|
|
■■■
■■
■ 【エッセイ】 フゥーリィー (前編)
フゥーリィーとの馴れ初めは、今から13年前に遡る。 元々、飲み仲間の一人でもあり、私の店の常連でもあり、付き合う事になる10年も前から顔見知りだったフゥーリィーは、チョッピリ排他的で、泥臭く、口下手で、決してお洒落でも何でもないのだけれど、何故か居心地良さを与えてくれるキャラとして、結構、仲間内からは人気者だった。 それに加え、フゥーリィーは当時、私の親友だった(H)の、ほんの軽い恋人だったのだ。 一方私は、念願だった自分の店を経営したばかりで、他に好きな人も居て、意気揚揚とした毎日を過ごしていた。
しかし、店を経営して1月目に、たった一人の頼れる身内である私の母が癌に倒れ、母が亡くなるまでの4年間は、私にとって人生最大の修羅場だった。
(H)も私の店の直ぐ側で、カウンターだけの小さな店を経営しており、明け方までやっているその店に、私は自分の店が終わると毎日のようにバイトの子達を引き連れては自分のストレスを発散させる為、軽く飲みに行っていたのだ。
何時も用心棒のように端っこの椅子に腰掛けて、BEERを舐めているフゥーリィーを見ては『あなた、まるで、この店の番犬ね。そう言えばフゥーリィーは犬年だったっけ?』などと良くからかったものだった。
何時も数人の仲間が集まっては、皆でトランプをしたり、チンチロリンをしたり、そんな気楽な(H)の店で、私はまだ幼かった自分の息子の子育ての疲れや、店での疲れや、母の看病疲れ等を癒す毎日だったのだ。
そんな中、4年の月日が流れた・・・・・・。
或る冬の夜、突然(H)が家系でもある心臓病と、脳梗塞で倒れ、意識不明の重体に陥ってしまったのだ。 その3日ほど前のお正月には、私の店を元気に手伝いに来てくれていたのに・・・。 くしくもそれは、私の母が癌の末期で、明日をも知れぬ命と言う頃だった。 同じ大学病院の中を、母の下、(H)の下へと、私は毎日祈るような気持ちで、行ったり来たりしていたのだ。
やがて、記憶障害と車椅子生活を余儀なくされ、半分、廃人同様になってしまった(H)は、年老いたお父様と二人暮しということもあり、鹿教湯のリハビリ病院へと転送されて行き、私の母は、その後直ぐに他界した。 私は一度に2人の大切な人間を失い、気持ち的にもかなり落ち込んでいた。 フゥーリィーも(H)を失ったショックと淋しさで行き場を失い、私の店に通う回数が増え出した。
それから約半年後・・・・・・。 当時、母の残した借金を背負い、自分自身も大きな借金をして始めた店なので、不況と共に徐々に経営が苦しくなり、バイトに事欠く日も増えて来ていた。 かと言って、三十人程は座れる店なので、バイト無しではやっても行けない。
『誰か、スーパーマンみたいに、困った時だけバイトにすっ飛んできてくれるような便利な人間居ないかしら・・・・・・』 そんな私の愚痴に、フゥーリィーが、 「マキちゃんが俺でもいいなら、ただでバイトしてあげるよ。BEERの3本も飲ませてくれたら、バイト代はいらないからさ・・・」そう言ってくれたのだ。 居酒屋を経営していた経験もあるフゥーリィー故、料理もそこそこ出来るので、私にとっては願っても居ない助っ人だ。
そして、フゥーリィーに厨房を手伝ってもらいながら、少数のバイトと私で、再び店を盛り上げようと決意したのだった。
が、しかし・・・・・・。
(この続きは又明日)
2003年08月18日(月)
|
|
|