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■ 【エッセイ】 マキュキュの想い出箱(中学生編)前編
しかし、何時までも寒いですねぇ・・・。今年の春は一体何なのでしょうね? もしかしたら、もう一回くらい雪でも降るんではないか? というほどの寒さです。今日の松本はどんよりと曇り、今もファンヒーターのお世話になっています。 (アァ、灯油が後わずか・・・。しかも、もう今年は買えそうもない・・・【泪】)
そして、こうして自由な時間にパソコンの前に座れるのも明日まで・・・・・・。 あさってからは、今までの遅れを取り戻すべく、仕事に精を出します。 でも、日記の更新は私の命なので、極力続けますので、これからも応援して下さいね?
サテ・・・、昨日に引き続き、マキュキュの想い出箱、中学生編を書きましょうかね・・・。
九段小学校を卒業し、九段中学に入学した私は、相変わらず、夕方になると自分の店へ出掛けてしまう母との二人暮し。 最も、私と母が世田谷の家を出て、幡ケ谷の叔母の家に間借りしていた頃から、母には妻子持ちの恋人が居た。(昨日はその事に触れるのを、ついつい、忘れていたです(笑)) その人は母より一回りも年上。処が実にマメな人で(笑)、ちょくちょく家に来ては、半分は私達と一緒に暮らしているようなもので、本妻と母との間をあしげく通い、私に【お父さん】などと呼ばせていたのだ。【後にこの人と母は、母が亡くなるまでの長〜い付き合いが続く事となった】
当時母は、九段の一口坂という場所に、銀座の有名店から引き抜いた職人3人を雇い、素晴らしく美味しい焼き鳥&釜飯をメインに、数々の肴でお客様をもてなす、小さいながらも、和洋折衷のチョット小洒落た居酒屋と、その店の2階で、高級雀荘を経営していた。 客の中には芸能人も多く居て、お忍びで来るには最高の店だったらしい。
そして中学生になった私は、急に悪友も増え、【親より友達!】の世代になって行く。 当時の私の親友は、母が九段の人気芸者・父がマフィアの大Bossという、一級先輩の、筋金入りの超美人(S)。 家も近く、親に対する虚しさや反発、淋しさなどを語り合う内、互いの家に寝泊りするほどの親密な付き合いをするようになって行った。 双方の親同士も身内的な付き合いをしていた。
互いの親が夜居ないのを良い事に、互いの家に勉強をしに行くと嘘を付き合い(笑)中学生の分際で化粧を施し、夜の街へと【本格的不良デビュー】を果たした訳だ。
1970年代は、ハードロック真っ盛り。わが国でも、グループサウンズ真っ盛り。 街中に愛と自由のムードが流れ、超ミニスカートにマキシのベスト・ロンドンブーツ姿のヒッピー俗やら、絞りのTシャツに裾をほどいてヒラヒラにしたピチピチジーンズのフーテン族やらが、(ヒッピー&フーテン族の違いは未だ解らぬままだが・・・)街のあらゆる所でたむろし、サイケデリック真っ只中。街のあっちこっちで幻想的な音楽が流れ、【皆でラリれば怖くない】とばかり、何処を見てもラリパッパァ〜♪な人々で溢れかえっていた。
ジャニスジョプリン・ディープパープル・ピンクフロイド・ユーライアヒープ・ローリングストーンズなどに囲まれ、私と(S)は、親しくなったディスコ仲間のお父さんが経営するという、【ダリ】(仮名)という神秘的で風変わりな深夜喫茶に出入りするようになり、徐々に怪しげな世界へとのめり込んで行くのだった。
(長くなりそうなので、この続きは、又、明日書かせていただきます)
2003年04月12日(土)
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