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■ 【エッセイ】 マキュキュの想い出箱(小学生編)
ともかく、私は大の勉強嫌いな子供だった。 勝手気ままな母のせいで、2度も転校を余儀なくされたのも、その理由の一つだけれど、幸か不幸か、私は母子家庭で鍵っ子暮らしが長かった為、我が家には『少しは勉強なさい!』などと口うるさく言ってくれる人も居なかったのが、勉強嫌いに拍車を掛けた。 これ幸いと、漫画三昧、TV三昧の自堕落ぶり。
それでも、世田谷の家を出るまでは、決して勉強嫌いではなかった。祖母が国語や算数は結構見てくれていたし、パパもママも家に居る時は勉強に付き合ってくれていた。 本来、【誉めてもらいたがり屋さん】の私は、3年生までは、中の上くらいの成績だったのだ。 しかし、両親の離婚を期に、半年間、間借りしていた幡ケ谷の叔母の家に移った時点で、勉強という二文字に、完全に【さよなら】を告げたのである。(笑) それから中野に一年半、それからマタマタ九段にお引越し。(忙しいわ・・・)
これも言い訳がましいが、何故か科目の進み具合が、転校する度に以前の学校より数段上を行っていて、もう、何の教科書を開いてもチンプンカンプンだった。 九段時代は、もう、見知らぬ外国にたった一人取り残されたような感じ。(笑)
遠慮深く、内気だった私は、友達作りもあまり得意ではなかったので、自然にクラスの落ちこぼれになったのだ。(笑)
勉強もわけが解らず、特別な友達も居ないと言う事になると、学校に行っても全然つまらない。 九段小学校に転校したばかりで、5年生だった私は、或る日、どうしても学校に行くのが嫌で、溜め込んでいたお小遣いと、内緒で作ったお弁当をランドセルに入れ、母には学校へ行くフリをし、初めての【不良】デビューを果たしたのだ。
最初の行き先は九段探索。靖国神社・千鳥ヶ淵から武道館の周辺をプラプラ宛てもなく散歩していた。 北の丸公園のベンチでお弁当を食べたり、漫画を読んだり、ボートに乗っている人々を眺めたり・・・・・・。 午後になって、退屈した私は、一人チンチン電車【都電】に飛び乗り、初家出。
行き先は、新宿の伊勢丹デパート。 コインロッカーにランドセルを仕舞い、代わりにランドセルからお出かけ用の小さなバックを取り出す。(←用意周到) そして、デパートの屋上下のぺットショップにまっしぐら。
何時も日曜の度、母と買い物に行っているデパートなので、勝手知ったるなんとやら・・・・・・。 買い物に明け暮れている母に「アソコに居るからね」という暗黙の了解で、楽しみな外食の時間が来るまで、そこで一人、可愛いペット達を何時間でも飽きずに眺めているのだった。
犬や猫はもちろんだけど、その頃は、真っ白な大きなオウムが私一番のお気に入りだった。 人が近づくと、「こんにちわ・ごきげんよう」と、ちゃんとお話もしてくれる。 人懐っこくて、鳥篭の隙間に手を入れると、頭を掻いて・・・と、首を摺り寄せて来るのだ。それが本当に可愛くて仕方なかっなぁ〜。 そして、悪戯っ子だった私は、そのオウムに会うたび、ずっと前からコッソリ内緒で、ある言葉を教えていたのだ。
「三越・三越・三越・・・・・・」と。(爆) それを、ようやく言えるようになったオウム君に一目会いたくて、思わずチンチン電車に飛び乗ってしまった訳だけれど、平日の昼過ぎ、小学生が何時間も一人で居る事に不信に思った店員に尋問され、しどろもどろの嘘を付いてもバレバレで、母に連絡されてしまい、あえなく私の初家出は失敗に終わったのだ。(爆)
オマケに、【伊勢丹】のオウムに【三越】と教えたものだから、店員に白い目で見られ、大恥をかいた母に後々こっぴどく叱られた・・・・・・。
以後、ペットショップへの立ち入りが禁止されてしまった事は、いうまでもないです。ハイ・・・・・・。 後、デパートのマネキンのカツラをずらしたりもして、良く叱られてました。(当時のマネキンは、ちゃんとカツラを被っていたのです)
そんな不謹慎で、どうしようもない小学生でした。(笑)
2003年04月11日(金)
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