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■ 祝 【マキュキュのからくり箱】満1歳の誕生日♪
一年前の丁度この時期、私は借金苦の辛さから全ての意欲を無くし、(もう死ぬ意外に楽になれる方法はない・・・)という、絶望的な気持ちで、ある、リストカットのチャット部屋に居た。 死ぬ勇気が無い私は、その人達の持つ勇気が、何としてでも欲しかったのだ。 そこに、たまたま、リスカを繰り返す友人の事で相談に来ていた、【リカ】という女性が居た。 そしてそれが、大げさに言うならば、私にとっての運命の出逢いになったのだ。
彼女と個人的な文字のやり取りをしてる中、彼女は私の書いた文章を、是非読んでみたいと言ってくれたのだ。 私は、当時、何とか賞金を手にしたいと、文芸公募を始め、初めて賞金【5000円だけだが】を頂いた、あるショートエッセイを彼女に添付ファイルで送ってみた。 そして、彼女がそれに感動してくれ、彼女のHPの片隅に私のコーナーを設けてもらい、私の文章が初めてネットで紹介されるようになったのだ。 そして去年の4月2日。第一号のエッセイ『我が家の台風娘へ』を始めてUPしてみた。
でも、文章を書き始めたばかりの私には、書き溜めたストックが有る訳じゃなし、そんなに毎日毎日、新しい文章を編み出す能力も才能も持っていない。 はなから続く訳が無いと、自分自身で自分を見放していた。 それよりも何よりも、度重なるアクシデントや、毎日の返済の催促に、いざパソコンの前に座っても、何の文字も打てない日々が続いた。 書かなきゃいけない・・・、何も書けない・・・、そんな使命感と焦燥感の中、パソコンに向かう事すら恐ろしい時期もあった。
それでも一年があっという間に過ぎた。 日々の苦しさは、私が今現在仕事を探せないで居る為、去年と変わりない。いや、むしろ、悪化しているかもしれない。 でも、そんな中、書き続けてこれたのは、こんな私の駄文を、読みたいと言ってくれる人がたった一人居たからだった。私の文章がチョットお休みをすると、すかさず催促が来るのだ。(笑)
誰かに私の文章が必要とされている・・・、という事が、私は何よりも嬉しかった。そして何よりも、生きる励みになった。 そんな人が一人・又一人と増え、今、何人の人達が私の書いたものを読んでくれているのかは計り知れないけれど、その人達に励まされて、可愛がられて此処まで来れた。
私にそんな思っても見なかった喜びを与えてくれた【リカ】ちゃんと、応援してくれている全ての人達に、心から感謝します。
本当にありがとう。
ここに、もの凄く嬉しい祝辞を頂いたので、それも載せさせてください。
1歳のお誕生日!(/ ̄ー ̄)/‥∵:*:☆*゜★。::*☆オメデトォー!! マキュキュのからくり箱には夏頃出会い、妊婦を楽しませ、新米ママの疲れを癒し、だめ亭主を持つ妻を勇気づけ、そして暖かく見守ってくれてる。 このHPを知らなかったらきっと私壊れてたかも。。。。 ありがとう、そしてこれからもよろしくね!(*- -)(*_ _)ペコリ by ふぇれちゃん
そして、今日こそは、少しだけ、自分自身の事も誉めてあげたいと思います。 マキュキュ、よく続けて来たね! よく頑張ったね! アンタは偉い!!!(笑)
サテ・・・。今日は、そのHPのきっかけとなった、【最後の桜】を、一周年記念の代表作として是非載せてみたいと思います。以前読んでくれた人も居ると思いますが、もう一度読んでみてください。
『最後の桜』
『後何回、私は桜の花を観られるのかな・・・』
ポツリと呟く貴女に、「何度でも見られるわよ・・・・・・」と、私は、とても不器用な笑顔を作る。
貴女と行った、最後の花見での会話。
結局、翌年の平成三年二月八日、貴女は桜が開くのを待たずして、この世から去って行った。
花弁の様な雪が舞う中を・・・・・・。
哲朗(息子)と三人で、よく松本城に桜を観に行ったよね。あの頃八歳だった哲朗が十九になったのよ? 最近じゃ、私を置いて、彼女と花見に行ってるわ(苦笑)
ねぇ・・・、又、貴女と一緒に桜を観たいよ・・・・・・。
昔みたいに小さな小さな御座を敷いてサ、貴女は珈琲、私は缶ビールで、二人で乾杯してサ。
色々な事を語り合いたいのよ。 優しい優しい桜の下で。
去年ね、貴女と同じ『癌』になったの。 私は、そう簡単にはリタイアしないけどね。 貴女に抱きしめて、慰めてもら貰いたいのよ。
「ねぇ、私は後何回、桜が観られるの?」
貴女に教えて欲しいの。 ・・・・・・ねぇ、おかあさん。
※ これからも【マキュキュのからくり箱】宜しくお願いします。
2003年04月02日(水)
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