マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 【ショートストーリー】 エイプリルフール


【ショート小説】

エイプリルフール 

 深夜4時。美紗緒は【絶望】の二文字を抱え、早春の繁華街を、あてどもなく彷徨っていた。
再婚して十数年になる夫と、生活費の事で致命的な口論となり、家を飛び出した美紗緒は、タクシーを拾って駅前までやって来のだ。二千二百円のタクシー代を払うと、美紗緒の財布の中身は、5千円札がたったの一枚だけになってしまった。

もう、正直言って、どうでも良かった。
何時だってこうなのだ・・・・・・。
夫の給料日から僅か数日で、全てのお金がなくなってしまう。
美紗緒と夫は、ここ数年にわたる諸々の事情が重なり、自転車操業を繰り返す内、がんじがらめの生活になっていたのだった。
やっと半年前から夫が定職に付いた物の、今度は美紗緒に仕事の宛てがなくなり、そんな事の繰り返しにほとほと疲れ果てていた。

未だ仕事が見つけられないで居る美紗緒に、普段は優しい夫が「そんなに苦しい苦しい言ってるんなら、さっさと仕事を見つけて働けばいいじゃないか!」と怒鳴ったのが、そもそもの喧嘩の原因だった。

「何よ! 私に貯金が有った時は、散々人のお金を当てにして暮らしてたたくせに、一寸仕事をし始めたからって何故そんな事が言えるの? 私が働けて無いのはたった2ヶ月間だけよ! あなたは一体何年間、遊んでたのよ! 私だって必死で仕事を探してるわよ。探してるけど本当に無いんだから仕方ないじゃない。大体、此処まで追い込まれるまで働かなかったのはあなたのせいでしょ!」
そう叫んで、美紗緒は家を飛び出したのだった。

「もう、うんざりだわ・・・・・・」
美紗緒は、声に出して溜息を吐いた。
(たった5000円じゃ、従姉妹の住む東京にも行けやしない・・・・・・。もう本当に、どこかのビルから飛び降りるしかないわね・・・・・)
そんな事を考えながら、美紗緒はもう、松本駅周辺を二時間も歩き続けている。
しかし、いざ死のうとしても、そんな勇気が無い事は美紗緒自信が一番よく知っていた。

さすがにこの時間になると人通りもまばらである。
立ち並ぶビル。所々に深夜営業の居酒屋やバーの看板が点滅している。
早春と言ってもこの時間。コートの中には容赦なく冷たい空気が流れ込んで来る。
(ああ・・・、そう言えば以前、このビルから飛び降りて若い母親が亡くなったと言う記事を、新聞で見た事が有ったっけ・・・・・・)
目の前にそそり立つビルを見上げ、美紗緒がブルブルッと身震いした時だった。

「オバサン、さっきから何ウロウロしてるの?」
そんな声に振り向くと、美紗緒の息子ほどの若者が一人、寒そうにスーツのポケットに手を突っ込みながら身体を揺すっている。
美形の顔を持つその若者は、美紗緒に悪意のない笑みを向けている。
「ねぇ? 君、この辺に屋上まで階段で上れるようなビルはない?」
「あらら? オバサン、もしかして、死ぬ気なの?」
「ええ・・・、そうよ」
美紗緒の即答に少し戸惑いを見せながら、若者は声のトーンを一段変えた。
「ねぇ、ねぇ、それよりさぁ、僕の店に遊びに来ませんか? 僕の店に来たら、きっと楽しくなっちゃって、死のうなんて気持ち吹っ飛んじゃいますよ。いえ、僕が忘れさせてあげますから・・・」

どうやら、何処かのホストクラブの店員らしい。
「ありがとう・・・。それより、こんな遅くまで、毎晩こうやって営業してるの?」
「うん。僕、入店して間もないから・・・」若者は苦笑しながら頷いた。
「大変なのねぇ、こんなに寒いのに」
「うちの店は6時まで営業してるんですよ。でも、不景気で・・・・・・。今現在客数2組。今日中にお客連れて行かないと、僕、首になっちゃうんですよ・・・。お願いです! 来て下さいよぉ・・・」
若者は合掌しながらそういうと、美紗緒の腕を取った。
美紗緒はその腕を柔らかく外すと、可笑しそうに笑った。
「マタマタ・・・、そんなこと言って同情をひこうとしても、オバサンには全てお見通しよ。(笑)それに、営業するなら、せめて『お姉さん』くらいのリップサービスが無きゃ・・・・・」
美紗緒はいかにも可笑しそうに笑った。
「確かに・・・・・・。ごめんなさい」若者は素直に謝ると、親しげなテレ笑いを浮かべ「参ったなぁ・・・」と頭を掻いた。
美紗緒はこの若者に瞬間的に好意を抱いた。

「可哀想だけど無理よ。オバサン、5000円しか持ってないの。それにこれから死のうって人間に声をかけてもねぇ・・・・・・。それにしても・・・・・・」
「それにしても?」
「はっきり言って、あなたはこの商売には向いてないわ」
「なぜ、そう思いますか?」
「だって、余りにも正直過ぎるもの。ウフフ・・・。もっとその気にさせる演技力を身に付けなくちゃ」
若者は素直に頷くと、真顔になって美紗緒を見詰めた。
「ところでオバサン、何故、死のうとなんか思ってるの?」
「大人になると色々有るのよ、旦那様との折り合いとか、生活の苦労だとか、息子の素行だとか・・・色々とね。まぁ、あなたにこんな場所で愚痴をこぼしたって仕方ないけど・・・」
美紗緒はか細く微笑んだ。
「あっ、オバサン、ちょっと待ってて」
若者はそう言うと、数軒先のコンビニに走って行った。

(私ったら、こんな所で、一体何をしてるんだろう・・・・・・)
美紗緒は、フッと自分を嘲笑した。

若者はコンビニから出てくると、美紗緒に熱い缶コーヒーを手渡した。
「僕の奢りです。オバサン、来てくれそうも無いから仕方ないや。今日は此処で乾杯しましょう」
若者はガードレールに腰掛けると、コーヒー缶を前に差し出し、ニッコリと微笑んだ。
「ウフフ、遠慮無く頂くわ。乾杯・・・」
美紗緒も隣に腰をかけ、若者と並んでコーヒーを啜った。

「あぁ〜身体が温まるわ」
若者はこっくりと頷くと、美紗緒ではなく、前を見たまま呟いた。
「オバサン、絶対に死にたいだなんて思わないでください。僕の母は首を吊って自殺したんですよ。僕が中学の時、僕と妹と父を置いて・・・・・・。悔しかったなぁ・・・。悔しくて虚しくて涙も出ませんでしたよ。残された人間の悲しさや辛さがどれほどのものだか、オバサンに解りますか?」

「・・・・・・!!」

美紗緒は、若者の顔を凝視した。
若者も、美紗緒の顔を真剣な眼差しでじっと見ている。
二人の視線が長い時間絡みあった。

そして、二人は同時に言った。
『エイプリルフール!です』
『エイプリルフール!よ』


『プププ〜〜〜ッ!!』二人は指を差し合い、吹き出した。

「キャハハハ・・・・・・。そうよ・・・、そうなの。死のうとしてたなんて、全くの大嘘なのよ。夜が明けて、4月1日になったんで、先ずは手始めに、誰かを騙してみたくなっただけ・・・」
若者も可笑しそうに笑い転げながら、
「僕の母さんが自殺したって言う話も、丸っきりの作り話です!」
二人はしばらくの間、身をよじって笑い合った。

「どうですか? 僕の演技力。コレでも僕はホストに向いてないですか?」
「ウ・・・・・ン、まずまずの出来栄えだわねぇ・・・でも、もう一つってとこかしら?」
「じゃぁ、今度本当に店に来て、モテるホストのノウハウを是非指導して下さいよ・・・・・・。コレ、僕の名刺です」
若者はそう言うと、胸のポケットから一枚の名刺を取り出した。

「誠・・・君か・・・、いい名前ね。そうね・・・、コーヒーのお礼に、一度は行かなくちゃね。その代わり私を口説いてもダメよ。オバサンは貧乏なんだし、悪いけどホストにもあまり興味ないの」
「解ってます。オバサンはホストクラブに通うような人種じゃないって、そう感じるもの・・・・・・」
「でも、一度は必ず顔を出すわ。約束する。それまで首にならないように頑張ってるのよ? 私も絶対に生きてるって約束するから・・・」
美紗緒は若者のかじかんだ小指に、そっと自分の指を絡ませた。

「ありがとう〜。お陰て楽しいエープリルフールになったわ」
美紗緒はそう告げると、タクシーを拾い、それに乗り込んだ。

「南松本までお願いします」
美紗緒は、運転手に自宅の場所を告げると、少しだけ窓を開け、見送る若者に「さようなら」と手を振った。
若者も「待ってますよ」と微笑みながらそれに答えた。

美紗緒は力強く頷くと、暖かい気持ちで、残りのコーヒーを飲み干した。
「ご馳走様。とても美味しかったわ」
その声をタクシーのエンジン音が消して行く。
若者の姿は徐々に小さくなっていった。


若者の話は嘘ではなかったのかもしれない。
美紗緒は直感的に、そう思った。
美紗緒が死のうとしていたのも、又、事実だった。
でも、そんな気持ちは美紗緒の中からとっくに消え失せていた。

(一度は本当に行ってあげなきゃね。でも、まだまだ先になりそうだけど・・・・・・)

人間が、もうちょっと生きてみようかな・・・と思うきっかけなんて、こんな些細なものなのかも知れない。

あんな夫でも、今は一生懸命働いてくれてるんだし、悪い人ではないものね。
私も明日から、もっと本格的に仕事を探してみよう・・・・・。
美紗緒はそう呟くと、タクシーの窓から思い切り春の空気を吸い込んだ。
「寒っ!」美紗緒は首をすくめると、窓を締め切った。


さっきまで漆黒だった空は、少しづつ白味を帯びていた。



2003年04月01日(火)

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