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■ ミュウー 【第二章】 (2)
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ヨッチが横浜に帰ってしまって、三日がすぎた日曜日の朝、突然(とつぜん)僕は、お母さんにゆり起こされた。
「テッチ大変よ。ついさっき、大家さんの奥さんから電話があって、大家さんが今、こっちに向ってるんだって。そういえば、『屋根が古くなってきて、雨もりがするといけないから、近々見にいく』って言われていたのを、お母さん、すっかり忘れていたわ。こまったわ・・・・・・いやだ、どうしましょう・・・・・・」
お母さんは、オロオロしている。
そのお母さんの足元でミュウーが、エサをねだって、身体をスリスリしている。
「た、大変だ。どこかにミュウーをかくさなきゃ・・・・・・。お父さーん、大変だよ! 今ね、大家がこっちに、むかって・・・・・・」
僕は玄関を飛び出ると、庭の草むしりをしているお父さんに、そういいかけて、そのまま、かたまってしまった。
大家のじいさんが、もう、すぐそこまで歩いて来ている。
(ああ、神様・・・・・・)
僕は、思わず十字を切った。
「ごきげんよう、久しぶりだぃね。サテ・・・と、ちょっくら、屋根サ見てみるか・・・・・・」
大家はそういうなり、ずかずかと玄関の中に入って行った。
『あ・・・・・・!』
お父さんと僕は、同時にさけぶと、口をあんぐりと開けたまま、その場に立ちつくしてしまった。
なんと、ミュウーが、ごていねいにも、玄関先で大家を出迎(でむか)えているではないか・・・・・・。
―その後の事は、もう、ひさんだった―
もちろん、ミュウーの事は、かんぺきに大家にバレてしまい、僕達三人ならんで、こっぴどい、お説教(せっきょう)を受けてしまった。
「いいかぃね! すぐに猫を追い出さなければ、お前さん達に出てってもらうじ!」
大家は、そういうと、ブリブリ怒りながら帰って行った。
「こ、こんなボロ家(や)、だ、だれがいてやるもんか!」
お父さんが気弱な声で、そうさけんだ時には、もう大家のすがたは、小さくなっていた。 それから、一週間後の、日曜日の朝、僕は、ふたたび、お母さんからゆり起こされた。
とうとう大家が追い出しに来たのかと思って、僕はあわてて飛び起きた。
「テッチ、急(きゅう)で悪いんだけど、文也伯父(おじ)さんに呼ばれたから、皆で行く事になったのよ。早く顔を洗って支度して」
「なんだ、お母さん、それを早く言ってよ。あ〜、あせったぁー。てっきり大家かと思ったよー。でも、なぜ? 今日はレストラン、休みでしょう?」
僕は大家じゃなかったことで、ホッとした。
何でも、文也伯父さんから、大至急(だいしきゅう)、皆で来るようにと、れんらくがあったらしい。
「皆で・・・って言う事は、ミュウーも連れてっていいってことだよね?」
僕がニヤニヤして言うと、お母さんは、少し僕をにらんで、
「しかたないわね・・・・・・」
と、首をたてにふってくれた。
「ヤッタァー」
僕は急いでしたくをし、いやがるミュウーを、むりやりリュックに押しこめ、お父さんのオンボロ車に乗り込むと、僕等は文也伯父さんの家へと向った。
ミュウーは、車に乗るのがはじめてなので、どこに連れて行かれるのかと、不安そうに鳴きまくっている。
ミュウーはあんがい、おくびょう者らしい。
僕は伯父さんの家に行くのは久しぶりなので、とてもうれしかった。
―伯父さんの家は、一階部分が、こぢんまりとした、とてもステキなレストランになっていて、二階の部分が住まいになっている。
トレンディードラマに出てくるような、しゃれた建物だ。
以前は、伯母さんと、息子さんと、三人で暮らしていたのだけれど、息子さんは、結婚して、イギリスで暮らしているし、伯母(おば)さんが病気で亡くなってからは、伯父さん一人きりで、住んでいる。
昔は文也伯父さんも、名(めい)料理人(りょうりにん)だったのだけれど、今は、お父さんと、お母さんの他に、田中さんという、うでききの料理長をやとって、料理のすべては皆にまかせ、経営者として、お店の管理をしているんだ―
―次回に続く―
2002年06月06日(木)
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