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■ 【子育てエッセイ】何時までも親友でいたいから (後編)
もしかしたら、日曜日まで日記を書く事が出来ないかも知れないので、今、少々時間が空いたのを良いことに、後編を載せてみました〜。(*^_^*) 今日の松本は、物凄い風雨で、あちらこちらで、傘のオチョコ現象が見られました。 まるで、台風みたいな空模様・・・・・・。 そんな中、私は、重たい腰を上げて、自分の愛車を、わざわざ、バスに乗って、松本駅前の駐車場迄、取りに行ったのです。 何を慌てていたのか、何と、大馬鹿モノの私は、昨夜、カギを掛けたまま車をロックしてしまい、私の愛車は寒々しい駐車場で、一泊する羽目になったのです。 最近どうも、忙しさのせいで、モトモト、良くない脳みそが、尚更、軽石状態になっているもようです。( ;^^)ヘ..
『何時までも親友でいたいから』(後編)
やがて、時を経て、こんな私にも恋人が出来、息子の理解を得て、何時しか三人で暮らすようになった。 息子とじゃれ合う彼を、何時しか息子は『オヤジ』と呼ぶようになり、初めての父親・・・と言う存在に対し、息子は照れ、又、喜び、或いは、戸惑い、とても複雑な心境だっただろうと思う・・・・・・。
嬉しいだけではなく、息子の中には、常に(母親を取られた)と言う気持ちも、確かに、存在していたと思う。 事実、私は、息子と主人との間で、板ばさみになったり、息子の気持ちを思って、贖罪の意識に駆られた事も何度となくある。 本当の親子でさえ、子供の成長に連れ、ギクシャクする事もままならないのに、やはり、血が通わない親子関係は、それなりの難しさがある。
息子は高校を出ると、『オヤジ』にバトンタッチをするように、家を出て、ガールフレンドの住む、隣町で働き始めた。 そんな最中、一昨年前、私も母と同じ『癌』に掛かってしまった。
幸い、私は初期であった為、手術と抗癌剤で『癌』はあえなく退散した。 しかし、病気を知った時の息子の憔悴ぶりは、私が見ても、あまりに痛々しく、そんな息子の為には、まだまだ死ぬ訳には行かないと、その心配振りが、とても嬉しくもあった。
退院後、私達は三人で4泊の神戸旅行をした。 今までに無く豪勢で、贅沢な旅行に、息子も私も、主人も、おおはしゃぎだった。 三人が一緒の、旅行と呼べる旅行は、この時が初めてかもしれない。 物凄く楽しかった、神戸の旅行は、あっという間に終ってしまった。
息子は今では、月に一度か二度、突然帰ってきては、私の手料理をほおばって行くだけになってしまい、私は寂しくて仕方がない。 息子がまだ小さかった頃、飛行機が大好きだった息子と母との三人で、お弁当を持って、度々この空港公園にやって来た。
「ブィーンブィーン」と大きく両手を広げ、飛行機を真似てはしゃいでいた、あの頃のチビスケが、たくましく、ハンサムに成長した十八歳の息子とダブり、それが涙で揺れる。
・・・・・・と、タタイミング悪く戻って来た息子にバレてしまった。
「オッカァ、今、ひょっとして泣いてた?」 「う、うん・・・チョッチね・・・」 「何でぇ?」と、フシギそうな息子に、私は、
「ねえ、お父さんを作った事、少しは恨んでる?」と恐々訊いて見た。
「ぜーんぜん。だってオッカァみたいな、じゃじゃ馬オバハン、俺一人じゃ手に負えないもん。オヤジのお陰で、分担できて嬉しいよ」 「本当? 正直に言ってみ? 本当は少し寂しかったんでしょう・・・・・?」 「だ〜・か〜・ら〜・全然!」と、にべもない。 「コンニャ〜〜〜ロウ!! 寂しかったって言え!」 私は息子を思い切りくすぐり回した。
「ギャ〜〜ッ!! くすぐったい。ヤメローッ!」 息子は、泣きながら、抵抗する。
「オイ! こんな私だけど、何時までも見放さないで親友でいてくれる?」 私は、昔のように、そう聞いてみた。
「ハイ、ハイ・・・・・・。その代わり、今夜はステーキね!」 「何だ? そりゃ!」私は憮然とする。 「サテト・・・、オヤジが心配してるといけないから、ソロソロ帰ろうか?」 と、息子が目配せする。 「じゃァ、帰りは私が運転していくわ。アンタの運転じゃ、生きた心地しないから」 と、私は息子の手から車のキーを取り上げて言った。 「ダ〜メ! 俺がして行く!」 そのキーを、息子が奪い返す。 「いや〜よ〜! 死にたくないもん! 私がする!」 「俺だ!」 「私だ!」 私達は、もつれながら、車のキーを、奪い合った。
(終り)
2002年04月18日(木)
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