マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 【子育てエッセイ】何時までも親友でいたいから (前編)


 皆様、3日ぶりのご無沙汰です。
この所、色々と、バタバタしていたもので、日記の更新が出来ませんでした。
心からお詫び申し上げます。』m(._.)m ペコッ

 旦那は、貰い事故に遇うわ、それに、伴い、何とか収入を増やすべく、おとといから、パートが終った後、友人の店の手伝いをし始めたので、8時半に、家を出ると、帰ってこれるのが、12時頃になってしまう・・・・・・(・・,)グスン
 貧乏暇無しだぁ〜。 トホホ・・・・・・。
 そんな訳で、ゆっくり日記を更新して行く暇がなくなりつつあるのです。
 でも、皆様、極力、努力はしますので、見放さないで下さいね〜〜。(*^_^*)

※ サテ・・・、今日の出し物は、1年前に書いた、子育てエッセイの前編です。 


 
        『何時までも親友でいたいから・・・』 (前編)


免許を取って僅か、三日目という、息子が運転する車の助手席に座り、思わず十字を切る私。
オッカァ・・・顔色、青いよ
横目でチラリと私の顔を覗き込み、息子がイヒヒヒィッと、ほくそ笑む。

ホラホラ! わき見すんな!
「ハイ、ハイ・・・」と、ため息混じりの息子。
・・・と、狭い交差点の左側から車が一台出て来た。
「危ないっ! ブレーキブレーキ!」私は思わず叫んだ。
「オッカァ・・・俺の運転、全然信用してないでしょう・・・だいじょうぶだってばぁ〜、ちゃんと見てるからぁ〜。それに、言わしてもらうけど、この車には補助ブレーキ付いて無いからね!」
両足をカチカチにふんばっている私を見て、小憎らしく息子がのたまう。

 家を出てから、そんなやり取りが三十分程続き、私達は、目的地の松本空港に着いた。
 私は額の油汗をそっとぬぐい、かろうじて無事に着いた事を、神に感謝した。
息子は早速、フェンス越しに飛行機を見ている。
私は芝生に寝そべりながら、そんな無邪気な息子の後姿を見詰めていた。

こんなに大きくなっちゃって・・・・・・

ふと・・・、小さかった頃の息子の記憶がよみがえり、私はそっと目を閉じた・・・・・・。


 私は息子が産まれた直後に離婚という修羅場を迎え、それに伴い、建てたばかりの家も手離さなければならず、息子と母を目の前に、途方に暮れていた。
一時期は、死ぬ事すら考えていた。住む家も、お金も全く無いのだ。
これからの事を考えると、正に、絶望の二文字しかなかった。

でも、愛くるしい息子の笑顔を見ると、その気持ちは変わる。
泣いちゃ〜いられんわい!

そう、思い直した私は、生計を立て直す為、已む無く、一時的に息子を手放す決心をしたのだ。
当時まだ生後2ヶ月だった乳飲み子の息子を、正に後ろ髪を引き千切られる思いで、泣く泣く乳児院に預け、先ずは、母と二人で対策を練った。
 勿論その間、私は、出来るだけ毎日のように、息子に会いに行き、お乳を飲ませたり、一緒に遊んだりして、極力息子との距離をたぐり寄せていた。
 当時五二歳だった私の母と二人でアパートを借り直し、親戚から借金をし、カウンターだけの小さな店(喫茶兼パブ)を持ち、私達は一日も早く息子を取り戻すべく、一生懸命に働いた。

息子の二歳の誕生日を期に、やっと待望の息子を引き取ることが出来たのだが、正直言って、私は嬉しさの反面、不安で一杯だった。

いきなり「はい!」と手渡されても、子供をどう扱って良いのか、全く解らないのだ。
私の母も同様で、子育てから、余りにも遠く離れすぎている為(苦笑)参考にならない。
 甘えさせ方、叱り方、誉め方、躾方、病気の時は? 好き嫌いは? 何もかもが手探りから始った。

 母子家庭ということも有り、仕事が第一なので、折角引き取ったものの、あまり息子との時間を持ってやれず、おまけに経済的余裕も無かった為、旅行等にも殆ど連れて行ってやる事が出来なくて、息子には常に寂しい、不憫な思いをさせて来てしまった。

 母と私は交代で店をやり、私が夜の部だったので、息子が保育園に上がるようになると、益々息子といてやる時間が少なくなった。
そして・・・、息子が一年生の時、苦楽を供にして来た私の母が癌になり、4年間、入退院を繰り返した挙句、私と孫の身を案じながら、六二歳という若さでこの世を去ってしまった。

 それからの子育ては、どうしても人の手を借りなければならず、夜の間は、何人かの友人に交代で留守番を頼まざるを得なかった。
色んな人間のを借りながら、スクスクと育って行った息子は、とても優しく、感性の豊なユニークな子供に成長して行った。
勿論、友人達の協力の賜物でも有るが、珍しいほど純粋な子供だ。

一般の家庭ほど、子供オンリーに、時間を費やしてやる事は出来なかったが、こんな私でも唯一、子供と接してきた中で、正解だったと思えることがある。

 それは、何時でも、どんな時でも、子供と本音で接して来たということだ。
正直に、素直に、全てありのままにさら曝け出してして来た。
 あなたの母親は、決して立派な人間でもないし、聖母マリアとは程遠い人間なの。むしろ、他の人よりダメ人間だし、泣き虫だし、怒りん坊だし、わがままだし、・・・・・・でも、あなたの事が大好きだから、どうか、何時までも私を見放さないで、親友でいてね? と、情けなくも、その都度、息子に言って来た。
それこそ、店でいやな事などが有ると、息子の前でオィオィ泣きじゃくった事もある。
怖い映画を見て、トイレに行けなくなった私に、息子が仕方なさそうに付いて来てくれた事も何度か有った。

高学年になると、息子はいたずらっ子になり、しょっちゅう担任と一緒に謝罪に行かされた。(笑)
時には、息子と、取っ組み合いのケンカもした。
或る日、息子が、反抗期の子供なら、一度は誰でもが口にする、「だれが産んでくれって頼んだ? 子供は親を選べないからねぇ〜!」と、小生意気な事を口にした事がある。
すかさず、私は、こう答えた。
あなたは、ちゃんと、私を選んでくれたのよ? 何億って言う 精子君の一匹だったあなたは、カケッコが遅い割には、他の精子君たちを跳ね除けて、ちゃんと泳ぎ切って、一等賞獲ったじゃないの。 だから、あなたは、ちゃんと私から産まれたくて、頑張ったんじゃない・・・。違う?」
 息子の唖然とした顔が、今も浮かぶ。 

『どうしようもないけど憎めない親』私は、そんな親でいたかった。

                      (後編に続く)


2002年04月17日(水)

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