ぼんやり日記
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2005年03月29日(火) |
人に赦されていない時 |
赦すこと。 クリスチャンにとって、日々、赦され、赦すことが 常に目の前にあるわけで。
以前から、こういう時はどうすればいいんだろう、と 思っていたことがある。
私が人を赦す、というのは 私の問題なので、おいといて、
相手が私を赦してくれるかどうか、が問題。 相手が赦してくれて、忘れてくれたのならいい。 問題解決に近づける。
でも、どうしても赦してくれない時だってあるだろう。 事の大小にかかわらず、赦さないと相手が思っている時、 いったいどうすればいいのだろう。
具体的に、今悩んでいるわけではないが そういう状況になったことは、過去にある。 結局は、その人達とは遠く離れてうやむやになっている。
蒔いた種は刈り取らねばならないから 目に見える形で、自分が誠意を尽くしたと思っても 相手が赦していない状況にあったら やはり祈りをもって謙虚に、自分の蒔いた代償を 刈り取り続けなければいけないのだろう。
恐らく、そこまで相手が赦さない心を持っているのは その人にとっても苦しみ以外の何ものでもない状態だから 相手のために心底、愛情をもっていのらなければ ならないんだろう。
それは、かなり、苦しい刈り取りだと思うけれど それしか、できないんだろうと思う。 「ここまでやってて、なんで赦してくれないのよ」と 逆ギレしそうになることも、きっとあるんだろうけれど。
2004年03月29日(月) 子供の外遊びと近所付き合い 2003年03月29日(土) 試合報告 / そろそろ準備を 2002年03月29日(金) 注射補助器、というのか?
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