結局。オレらは、スバルに戻るまで、ずっとそんな風だった。 未払いの奪還料のことなど、これっぽちも思い出しもしねぇで。
じゃれあいに疲れたのか(じゃれあったつもりはねえ!)、初めての奪還の仕事に神経を使って少々疲労したのか。 アシ兼、塒でもあるスバルをいつもの公園の隅に停車させ、シートを倒して横になるなり、カミナリ小僧はいともあっさりと寝入ってしまった。
お互いに背中を向けて、顔をドアに向けているから、その顔までは覗くことは出来ないが。 ずいぶんと安らかな寝息が、背後から聞こえる。
――ったく!
いい気なもんだ。 こちとら、目が冴えて寝付けやしねぇってのによ。
何だか、まったく。
チョーシ狂いっぱなしだな。 コイツと組んでから。
…それでも。 あの時は。
頬を伝うヤロウの涙を見るなり、胸苦しくなった。 震えている頼りない肩。 ぎゅっと握りしめられた拳。
やれやれ。 とんだお人好しだ。 コンビを組んだばっかの、オレの相棒はよ。 なんでまた、ヒトの昔話だけでそう簡単に泣けるかねえ。 どこにでも落っこちてそうな話じゃねえか。 そんなのに、いちいちほだされてちゃキリがねえ。
シビアに考えつつも。 何とかしてやるかという気になったのは、いったいどういう風の吹き回しだろうか?
いや。 ヤローの涙なんざ、いつまでも見ていたかねえ。 みっともねー。 とっとと、泣きやませねえとよ。 格好悪いったらねえぜ。 って…それだけだ。
心中で毒づく。
「・・・・・・・チッ」
舌打ちしたのは、オレ自身のその言葉に対してだった。 あの時と同じ溜息が、ふいにオレの唇からこぼれる。 心にも無いそんな台詞が、何だかヤツを傷つけるような気がしたからだ。 別に聞こえやしねえのによ。
それでも、なぜか急に。 ヤツが悲しそうな顔でもしてるんじゃねえかと不安が過ぎり、肩越しにサイドシートを振り返る。
「…う…ん……」
振り向くと同時に身じろぎされて、慌ててその背中から視線を外した。 バツが悪そうに、再びヤツに背中を向ける。
チッ。 ったく。 …何やってんだかよ。
思いつつ、溜息と同時に自然と口元が綻ぶ。
カミナリ小僧は、少し身体の位置を変えて落ち着くと、また軽い寝息を立て始めた。 オレは、肩から順に慎重にサイドシート側に身体を振り向かせ、こちらに向けられているヤツの背中を見つめる。 安らかな寝息が、耳に心地よい。 呼吸とともにゆったりと上下する肩を見つめているオレの目は、いつのまにか細められていた。
”蛮ちゃん!”
思ってもみなかった呼称。 一番驚愕したのは、その響きの甘ったるさだ。 そりゃあ、赤面もするっての。 あんな顔して、あんな声で、あんなトーンで呼ばれちゃよ。
しかしなあ。 この美堂蛮さまが。 ”ちゃん”づけたぁな…。
カタナシだぜ。ったく。
もっとも、それがこいつじゃなかったら、間違いなく血ィ見てるとこだがよ。 いーい度胸じゃねえか。フザケロよ?と嗤った瞬間、呼んだ野郎の顔の方が、赤面どころか血みどろに真っ赤に染まっていることだろうぜ。
オメーだから! 大目に見てやってんだ。 わかってんのか?! ええ?!
考えつつ、規則正しく静かな呼吸に合わせて上下しているヤロウの肩を眺めているうち。 自然と、瞼は重くなっていった。 仕事の疲れはねえが、チガウ意味じゃ確かに疲れた。 妙に心地よい睡魔が襲ってくる。 ゆっくりと瞼を閉ざしていきながら、オレはふいにその背中を見つつ、ぼんやりと考えた。
…とは、いえ。 コイツ。 意外とトリ頭だからなー。 明日の朝になりゃあ、オレをどう呼んだかなんてぇことは、きれいさっぱり忘れているかもしれねえな。 また、しれっとした顔で”おはよう、美堂君”なんて言いやがるんじゃねえか。
そう思うと。 わけもなく、ちょっと物足りない気がしないでもない。
”蛮ちゃん!”
霞がかっていく頭の中で、はちきれそうな笑顔が浮かんで消えた。 口元が、フ…と笑む。 そしてオレは。 眠っているヤツの背中に、心の中でこっそりと呟いた。
…よお。
もう、呼ばねーか?
さっき聞いたのがもし、最後ならよ。
別に、それはそれで構わねえから。
本当の最後に、聞かせろや。 もう一回だけ。
お前の声で、もう一回だけ、聞かせろや――。 夢見がちっとでもよくなるように。
もう一度だけ…。
…なんてぇ、聞こえるわきゃねーか。
自嘲の笑みを浮かべつつ、静かに目を伏せる。
もーいい。 …寝るか。
――が、ふいに。
ヤローの気配が動いて、オレはうっすらと瞳を開いた。
ほぼ同時にころんと、ヤツがこちらに寝返りを打ってくる。 顔には出さず、かなり、ぎょっとなったオレをよそにヤツは――。 むにゃむにゃと何か寝言を呟いた後。
眠りにつく前よりも、さらに甘く。 寝入ったまま。 口元に、やわらかな幸福げな微笑みさえ浮かべながら。 その呼称を、声にのせたのだ。
「…蛮…ちゃん……」
刹那。 胸全体に、あたたかいものが、一瞬にして広がった。
その瞬間だけ目を見張るように瞳を開いたオレは、眠りの闇に誘われながら、少しばかりの抵抗を試みた。 だが、急激に襲いつつある睡魔にはかなわず、再びゆっくりと睫を落とす。
眠りに落ちていくオレは、いったいどんな顔をしていただろう。
もしかすると。 生まれ落ちてこのかた、一度もしたことのないような、誰にも決して見せられねえような。
そんな、とんでもなく締まりのねえ、にやついた笑みを。 その顔に張り付かせていたことだろう。
きっと、たぶん、な――
END
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