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風太
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2004年03月02日(火)
DAWN PURPLE






オレたちは、ほんの少し、出会うのが早すぎた。
だから傷つけ合うことしか出来なかった。










夕暮れの空は、ぞっとするほど赤かった。

今日もまた、たくさん人が死んだ。
広場は、おびただしい鮮血で染まっている。

空の色は、まるでその光景を映す鏡のようだ。
雲が、朱色を滲ませている。



銀次の琥珀の瞳が、その朱の空をじっと見上げる。
地上に這い出てシェルターの扉を閉ざすと、足下でぎっと錆び付いた音がした。
ここもそろそろ限界だろう。
また新たな隠れ場所を見つけなければ。
より安全で、たくさんの人が避難できるような。


思い、ゆっくりと立ち上がり、黒い猫っ毛の頭を巡らせる。
敵の気配はない。
今はどうやら安全のようだ。
それでも周囲に神経を配りながら、ゆっくりと歩き出す。
そして確かめるように数歩あるいた後、唐突に足を早めた。


今日は、もうこれで襲撃はないだろうか。
しばしでいい。
あそこに行って戻るまで、僅か数十分。
その間だけでいいから、どうかサイレンが鳴りませんように。


祈るように胸で呟き、足早に廃ビルの間の細い路地を駆け抜ける。
広場を突っ切れば早いのだが、そこには天子峰がいる。
今そこに自分が近づくことを、彼は嫌うだろう。
まだ惨殺の痕跡がむごたらしく残された場所に、子供が近づくのを良しとするわけがない。
もっとも銀次にとっても、今彼と出くわすことは、出来れば避けたかった。


ベルトラインの襲撃直後に出歩くことは、女子供は固く禁じられている。
まだ敵が周囲に潜んでいる可能性があるためと、壮絶な狩りの後始末を大人の男たちが行うため。

いくらそれが日常化していようとも、大人たちは護りたいのだ。
やわらかな心を、殺戮の日々に麻痺させたくないと、そう願っている。
希望を失わせたくないと。
それがひどく残酷な願いであり、いつかは必ず、この涙ぐましい努力もただの徒労で終わることを身をもって知ってはいても。



「銀次!」

背中から掛けられた声に、銀次はびくっと肩を震わせた。
路地の中ほどで、思わず足を止める。
手に持っていたものを、慌てて背中に隠して振り向いた。
「天子峰…」
「どこへ行く? 襲撃の後は出歩いてはいけないと、いつも言ってるだろう」
「あ、うん。でも」
「でも?」
天子峰が夕日を背中に受けながら、長い影を銀次の小さな身体の上に落とす。
路地を入って来ようとするのを止めるように、慌てて言った。
「友達が心配なんだ。きのう、初めてトモダチになった子で、48番地の方だから大丈夫と思うけど。でも、今の襲撃でどうしてるかなあって心配で。大人が一緒じゃないかもしれないし。だからあの、様子見たら、すぐに戻ってくるから!」
言うなり、その言葉の返事を待たずして、背を向け駆け出す。
天子峰は、どうせ見破る。
こんなちっぽけな嘘など。
でも、それを咎められて、引き戻されるわけにはいかなかった。


だって、どうしても気になるから。


それに、嘘をついたわけじゃない。
そう自分に弁解する。
天子峰は、銀次の言葉を信用したかどうかはわからないが、追い掛けてはこなかった。
つまり、一通りの安全確認は既に終えたということなのだろう。
だからといって、安心はしていられない。

急がなくちゃ。

思い、08通りを突っ切ると、目的の場所に辿りついた。
倒壊した3階建てのビル。
一階部分の窓枠のへしゃげた隙間をくぐり中へ入ると、落ちてきた2階部分と壊れた壁に行く手は完全に阻まれている。
だけども床との僅かな隙間に、子供が通れるだけの小さなスペースはあった。
そこを寝そべって、するりとそこを通過すると、匍匐前進で進むこと十数メートル。
床の上を真四角に切り取ったような空間に、下に延びる木の小さな階段が見えた。
ロウアータウンの倒壊ビルの群の中にはこんな風に、子供の緊急避難場所として作られている小さな地下室がいくつかある。
もっともここは作為的に作られた後に倒壊したから、今は立ち入ってはいけないことになっているのだ。

その禁を破ってはいるが。
この場合は、いたしかたない。

階段を降りると、胸より低い位置に扉があり、跪いてそこを開く。
中は、4メートル四方のがらんとした部屋だ。
裸電球が天井に一個。
窓はない。
天井も低い。背の高い大人だったら、ずっと屈んでいないといけないほど。
薄暗い部屋の隅に、スチールの本棚と机だけが置かれている。
どうして、こんなところに置かれているかは知らないけれど。

その机の下を扉の前から、かなりの距離を置いて覗きこみ、銀次はほっと胸を撫で下ろした。


よかった。居た―。


そのまま四つん這いで、そうっとそれに近づいていく。
恐る恐る覗き込んだその顔は、薄暗い明かりの下、血の気を無くして青白く映った。
多量の出血の後のせいだろうか。
唇の色も白い。
意識を失っているのか、眠っているのか、ぴくりとも動かない。
銀次は、手に持っていた紙袋を床に下ろすと、中から包帯と消毒液を取り出した。
こんなもので間に合う程度の傷じゃないことは、幼い銀次にすらわかるけれど。
深い傷の手当の仕方は知らないから、仕方なかった。

黒のシャツの左肩は、血の色で鈍い茶色に変色している。
身体の下のあてがった古い毛布にも、それは多量に吸い込まれていた。
ざっくりと鋭い刃物で、切り裂かれたらしい。
切れ味は、相当だ。
肉体と一緒に切られたシャツの切り口の美しさが、それを雄弁に物語っている。
背中まで回るほどの大きな傷。

ベルトラインか?
いや、ちがう。

どうしてだか理由はわからないけれど、そうじゃない気がした。
この少年は闘ったのだ。誰かと。
同じ子供相手の傷では有り得ないから、たぶん大人相手に。
しかも、対等に?
まさか、そんな。
自分とそんなに年は変わらないだろう、こんな小さな子が?
自分で考え、同時に疑念に首を傾ける。

ここにいるのを見つけた時は、正直、もう助からないかもしれないと思った。
それほどの深手だったから。
だけどもこの僅か二日ばかりの間に、驚異的な回復力で少年の傷は治癒に向かっている。
血も渇き始めている。
包帯を解いてガーゼを開き、傷痕を見て尚驚いた。

すごい、これって。
どうして?

息を飲む銀次の気配に、だらりとコンクリートの床に落ちたままだった手がぴくりと動く。
それには気づかず、傷口の消毒をしながら、銀次は少年の顔を見つめていた。

整ったきれいな顔立ち。
その頬や額に、さらさらとストレートの黒髪がかかっている。
大人しそうな口元。
少し神経質そうにも見える、細い顎。

どんな子なんだろう。
外国人のようにも見える。
言葉はわかるだろうか。
それにしても、どうしてこんな子供なのに、色の濃いサングラスをかけてるんだろう。

思いつつ、手当を終えて、傷口に新しいガーゼを置いて包帯を巻き始める。
簡単だが、常もこんなものだ。
そして、医薬品すら手に入りにくいこのロウアータウンでは、手当も充分に施せず死んでいく人も多い。

でも、よかった。
これなら、きっと助かる。
足も怪我をしているけれど、肩ほど酷くはないし。
きっと大丈夫。

気がついたら、友達になれるだろうか?
名は何というんだろう。
同じ年くらいかな。
いや、少し年上だろうか。

そう考えて、どうしてだかわくわくしている自分を感じた。

トモダチは、たくさんいた。
今もいる。
だけども。
明日、そのトモダチとまた遊べるかどうかはわからない。
また、明日。
そう言って別れたそれが、永遠の別れになってしまうこともめずらしくはないから。
だから―。

人との出会いは、同時にこのロウアータウンのおいては、いずれ訪れる別れも意味する。
それを覚悟しておけ、と、そう天子峰に教えられた。

だのに、今、この感情の落ちつきのなさは何だろう。
どうしてこんなに、心がざわつくんだろう。
そして、決してそれは不快なものではなく、どちらかといえば――。


そう考えながら、横たわる彼に布団代わりのボロ布を掛け、少し汗ばんだその額を拭おうと指先を触れさせた時。


銀次は、どきりと心臓が高鳴るのを感じた。

ふいに、長い睫毛が微かに反応したのだ。
そしてそのゆるやかな振動が、濃い陰を落とす瞼に伝わり、ぴくっとさせる。
それが合図のように。
睫毛が持ち上がる。
緩慢な動きで。
スローモーションのように、ゆっくりと。


銀次の胸が。早鐘を打つ。
どうしてそうなってしまうのか、自分でもわからないけれど。



そうして。
睫の下から現れた瞳は。
今まで意識がなかったにも関わらず、ぼんやりすることも、焦点が合わないなどということもなく―。


ガッと一気に見開き、真っ直ぐに銀次を捉えた。



その瞬間。









人は瞳だけで、こうも印象が変わるものかと、そう思い知らされた。










端麗ともいうべき顔立ちは、一瞬にして、とって変わったのだ。
青く凶暴な光をぎらつかせた、飢えた野獣のような残忍な顔に――!












「――――!」

悲鳴一つ上げる間もなく。

鮮血が、コンクリートの床に飛び散った。

















オレたちは、出会うのがほんの少し早すぎた。
だから、傷つけ合うことしかできなかった。





済んだ瞳はただ、憎しみの対象にしか成り得なかった。












To be continued