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みんみん



 買ったり借りたり行きたかったり

読みかけの本を残して小説読み週間は終了。
しばらくは摘読。

「隙間時間」(@れいこなさん)があったので本屋に。
▼長新太『なんじゃもんじゃ博士 ドキドキ編』・同『ハラハラ編』(福音館書店、2003)
を買う。

あのねいい本買ったから見せてあげる!とりー氏に言ったら、「どうせ、ごろごろにゃーん、とかそういうやつだろ」と返された。
(注・長新太『ごろごろにゃーん』福音館書店、も名作。)

借りた本(ぴょんちゃんより)。
▼伊藤比呂美+枝元なほみ『なにたべた?』(マガジンハウス、1999)
作って食べさせる、って愛情だけど、暴力でもあるから。



呪文のように行きたい場所をぶつぶつつぶやく。
思いついたら忘れないよう付箋にメモして、パソコンに貼り付けておこうか。
晩秋、たぶん京都には行くので(仕事で、だけど)、男山八幡−−って石清水八幡宮ですか、には行きたいと思っている。物見遊山気分で。
あと、奈良の古梅園。

2004年09月21日(火)



 週刊誌

昨日の人間ドックは市の医師会がやっている健康なんとかセンターというところで受けたのだけど、ここの待合室に置いてある雑誌が「週刊現代」「女性自身」「きょうの健康」の3種類。あとスポーツ新聞。きっぱり。
「きょうの健康」を読んでいる人は誰もいなかった。

お見舞いに行くときは雑誌やきれいな写真の載った本を持っていくことが多い。
自分の趣味もさることながら、まずはその人が好きそうなものを選ぶわけだけど、けっこう楽しい。

久々に行ったチェリオ、雑誌のラインナップは以前と変わっていないのだろうか。まだ、チェックしていない。
以前は、週刊新潮、読売ウィークリー、クロワッサン、旅行読売を置いていた(雑誌は)。
読売ウィークリーってぱっと見AERAみたいですが。

新幹線に乗るときには週刊誌を買うことも多い。週刊文春とか。
AERAも特集の切り口など面白いとは思うけど、問題提起しているようでどこかちょっと他人事というか醒めているように思われる時があり、読後感があまりよくないので、よほどでないと買わない(まあ薄いし)。
雑誌の記事に問題の解決策を求めようというわけではもちろんないけれども、現象として捉えすぎというか(抽象的な言い方になっております)、そのくせ丁寧に分析してあるかというとそうでもなかったりするので、言いっぱなしで冷たい印象を受けてしまう。
もちろん、書くということがまず問題提起の一歩でもあるわけなので、このへんは非常に難しい問題だと思う。単に私は励まされたいだけなのだろう。



NYのスタッテン島に建てられたメモリアル・モニュメントが完成した。設計をしたのはりー氏の後輩。
自宅にいる時にCX系のニュースで式典の模様が放映され、スピーチしている設計者・曽野正之さんの姿と、そのお父様の短いインタビューが流れた。
夜、やきとり屋さん(に行ってもあまりやきとりは食べなくて、りー氏はもっぱら串かつ目当て)行ったらテレビでNHKの7時のニュースが流れた。それでこんなところでも、曽野さんの顔が映っていないか、カウンターから身を乗り出してテレビを観ていた(でも写っていなかった)。
カウンターの中の気持のいい店長さんが、何事かというような顔で、作業をしながら一瞬テレビの画面をじっと見た。

2004年09月12日(日)



 地図の話

▼保坂和志『プレーンソング/草の上の朝食』(講談社文庫)読了。
だらだらしつつ、時々、はっ、と起こされるようにして読んだ。
著者自身が「文庫のために・その二」として書いた一節。

(前略)彼らの話が、まるで『大菩薩峠』のように延々とつづいたらカッコいいだろうな、とも思っている。

は、そう来るか。
長い小説には長い小説の読み方というものがありましょう。



子供の会話を聞いていて、自分が子供だったことを思い出す。
思い出している余裕があるのは他人様のお子さんを見ているからかも知れない。
あの「根拠」はなんだったんだろう。
ときどき、ごめんなさい、と謝って歩きたくなる。



知らないまちに行くときには地図を見る。
地図を見て歩いたり運転したり、地図を見ないで歩いたり運転したりする。
地図を見てだいたいの位置関係や目印を頭の中に入れ、風景を見ながら推理して行く。地図を見ていると楽しい。りー氏も地図好きだ。

実生活の中では(以下メタファーとして)ゼンリンの住宅地図や昭文社のマップルがなくて本屋で引き出しに入れてぺらっと売っているような国土地理院の地図みたいのしかないような場所もある。それでも、地図が全然ないような場所というのはない。ただ、ガイドブックがない場所はざらだ。
それから、本当は地図やガイドブックを見てきたんだけれどしれっと見てないような顔をしていることもある。問題はその自覚がないこと。

地理学という学問がある。
細かくいえばさらに人文地理学と自然地理学とに分かれるのかもしれない。大学の学科でいうと、東の方の大学では理系学部(理学部)に、西の方の大学では文系学部(文学部など)に設置される傾向にあるようだ。大学生の頃、理学部の先生から自然地理学の授業を受けた。
その授業は前半後半で担当の先生が違っていた。後半担当の先生は、第何次だか知らないけれど南極観測隊(っていうのかな?越冬隊の人たちですね)の一員だったことがある人で、南極でのスライドをいろいろ見せて下さった。ものすごく大きなトイレットペーパーのロールとか(確か)。
「みなさんもぜひ隊員になってください(とそこまで強い言い方じゃなかったかな)。南極では本当にいろいろな分野の仕事があるので」
と言われた。ほんと?私でも?と思った。一瞬。

理学部の地理学科を出た人曰く、地理学をやろうという人のきっかけには大きく2通りの傾向があるそうだ。1つは地図好き、もう1つは鉄道好き。
補足:
それから、山好き、もあるかも。
高校の時の地学の先生(って珍しいと思うんですが)はそんな感じでした。

2004年09月09日(木)



 当分

読んだり観たりメモとなる予定、となると前回のようなタイトルは実に具合が悪いというわけです。延々同じタイトルが続くことになりかねません。
さてどうしたものか。

淡々と細切れ読書を続けているので特に変化はありませんが、前回書き忘れていた1冊。

▼大森望・豊崎由美『文学賞メッタ斬り!』(PARCO出版、2004)
冒頭に「ひと目でわかる文学賞マップ」というのが載っています。現代小説のジャンルを〈ミステリ系〉〈ホラー系〉〈SF・ファンタジー系〉〈歴史時代小説系〉〈中間小説系〉〈文芸誌系〉に分けて、それぞれの文学賞の傾向とか審査について「斬」る、という本です。小説家になりたい人が傾向と対策を立てるための本ではなくて(それ方面の訳に立たないわけではないけれど)、文芸賞という観点から見たブックガイド、あるいは文芸・文壇評論として位置づけられる1冊です。
誰が・どのように審査するかによって賞の性格は変わります。当然といえば当然ながら。現時点では〈文芸誌系〉〈中間小説系〉に関した章のみを摘読しただけですが、こういうことを正面切って、しかも実名で書くっていうのは大変なのかなー、大変なんだろうなー、とうっすら思ったりもしました。
「斬り!」と言いながら、小説に対して斜に構えていないし、読後感が非常に爽快です。なんでも好き嫌いせず読もう!(出来るのか?)>自分



Nさんよりおはがき。絵は、ディック・ブルーナ描くぶたのうたこさん。
以下私信。ブルーナ描く猫はこちら。
▼『こねこのねる』
http://www.fukuinkan.co.jp/bookdetail.jsp?isbn=4-8340-0169-5
いわゆる猫目がちょっと邪険な感じ。

2004年09月07日(火)



 今日の読書

どちらかというと和食派なりー氏がめずらしく洋モノを食べたいというので、気になっていたお店に行く。
生パスタなど。



【読んだ本】

▼片岡義男『自分と自分以外 戦後60年と今』(NHKブックス、日本放送出版協会、2004)
縦書きと横書きの日本語について書かれた一文が特に印象に残った。覚え書きとしての横書きモード、縦書きの緊張感、というようなこと。

▼鷺沢萠『バイバイ』(角川書店、1997)
▼同『少年たちの終わらない夜』(河出書房新社、1989)
鷺沢作品を読みはじめたとき、ハッピーエンド志向みたいなものを感じてどうにもむずむずしていたのだけれど(ハッピーエンドが嫌いというわけじゃないんですが)、『バイバイ』に限ってはそんな結末に安心した。>ネタバレ?
主人公にイライラしつつどこかで共感しつつ読まされてしまった。


【いま読んでいる本】

▼小林恭二『本朝聊斎志異』(集英社、2004)
続きをぼちぼちと。

で小林恭二に行くつもりでいたのだけど行かなくて、

▼保坂和志『この人の閾(いき)』(新潮社、1995)
の、表題作を読んだらとても面白かった(文体も内容も。思わず傍線引きたくなるようなくだりがいくつかあった。楽しみの読書でそんなことしようとはあまり思わない方なのに)ので路線変更してみた。
保坂和志は数年前に手に取ったことはあるのだが、その時はなぜか読むことができなかった。楽しんで読む場合は出会う時期にも左右されるのかも。
それで今は本書所収の2作目と、その時挫折した、
▼保坂和志『プレーンソング/草の上の朝食』(講談社文庫、1996)
をぼちぼち読んでいる。
保坂さんと言えば愛猫家としても知られている。
……それで読む気になったのか?>自分
ただセンテンスが長い人なので、作品とこちらの気分によってはしんどいこともあるかなー、と思いつつ。

余談。センテンスの長い文章を書くのは難しい。一つの文章が長い人を見ると持久力があるんだなーと思う。自分自身を振り返ってみると、長いセンテンスをうまく扱う自信がないこともあって、どうしても短くなりがちなのだけれども(それはそれで場合によってはちょっと幼稚っぽいのだが)。


小説に娯楽を求めております。

2004年09月05日(日)



 保守

しばらく、こんなの読んだとか観たとか聴いたとか、そういうことを書いてみようかと思う。



夏は小説を読みたくなる。
この夏は鷺沢萠をよく読んだ。1、2冊最後まで読み切れないものもあったけれども。
特に『ウェルカム・ホーム!』(新潮社、2004)を楽しく読んだ。「家族」がテーマの小説である。
家族親族との仲はいい方だと思うけれど、血縁親戚関係が絶対だとは全く思っていない(だからつきあわない、のではなく、だからこそ仲良くしたいと思うのですが)。この小説の出来がどうこうというより、たぶんこういう心性が好きなんだと思う。
鷺沢さんは初期のものもよくまとまっていると思うけれど(高校の現代文の教科書に載ってそうだけど)、それが若書きだというのがちょっとしんどい感じもするかな。



今日買った本。
▼長新太『つきよのキャベツくん』(文研出版、2003)
キャベツくんシリーズの、たぶんいちばん新しい絵本。
本当は別の長新太の本を買おうと思っていたのだけれど、とんかつが出てくるのでりー氏に見せてあげようと思って買った(でも「ふつー」と言われた。ちぇ。)。

いま読んでいる本。
▼小林恭二『本朝聊斎志異』(集英社、2004)
ちょっと落ち着いて読めないような要素もあるのだけど、あまり深く考えないようにして気楽に読んでいる。

鷺沢作品も一段落したので、次は久々に小林恭二で行こうかな。



昼行灯、という言葉がむやみに気になる。それは私かと思って。
日記の名前も昼行灯に変えたいくらいだ(変えないけど、たぶん)。

2004年09月02日(木)
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