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みんみん



 とある夏の日

母がお盆休みのあいだ、実家には甥っ子がずっといました。
何より、母の、甥に対する接し方にプロ根性を見ておりました。
「またお茶でも」と、休み前に母が誘ってくれていた計画はすっ飛びました。少しの間なら甥と一緒に3人で出かけることだって出来るんじゃない、と母は言ったけれど、甥と3人で母とずっと2人だけの話をしているなんてあり得ない。
甥はずっとこっちを向いてくれと言っているから。

▼「こどものとも 年中向き」2004年9月号
のぐちくみこ作・絵『いっくんのでんしゃ』
http://www.fukuinkan.co.jp/magadetails.jsp?goods_id=10307

甥と会うので絵本を1冊買っていったら、「2さつかってきてほしかったなー」と言われる。ムッとしつつ(大人げない)、いやしかし本当のことを言うと、買うときに、どうせならもう1冊くらい買えばいいのかなー、とか思ったけど、買わなかった伯母ちゃん。
甥は義妹と母にたしなめられる。

電車やバスが好きな甥のために選んだ。
乗り物がテーマになった絵本は、くっきりした色と線で描かれている場合が多いように思うけれど、『いっくんのでんしゃ』は珍しく柔らかい雰囲気を持っている。ストーリーだけでなく、ちょっとしたディテールも楽しく思えた。自分用にも1冊買うかな(と思いつつ買っていない)。

実はその後書店に行って次の2冊も購入済み、いつでも渡せるように車のリアシートに置いてある。

2004年08月15日(日)



 ガッペイ

幸せな結婚は双方の思惑が一致しないことには成立しないのです、たぶん。
愛情だって思惑だと言っていいと思うのですが(言い方としてはミもフタもありませんが、私があなたを好きだという思惑と、あなたが私を好きだという思惑)、個々人の話ではありませんで、富山のまんなかの市町村合併にまつわる問題です。


りー氏と私の実家は富山市の南に面したとある町にあります。歴史を誇るわけでなく(だいたい町名がまず安易)観光資源こそ少ないですが、住宅地として近年若年人口が急激に増えています。たぶん県内の自治体の中でも、現時点での体力およびΓテテンシャルはトップクラスと言っていいのではないか(町全体の雰囲気についてはまた別途考える必要がありましょうが)。歴史はあるが体力はない、という古い町からみれば、新興勢力のいわば成金的な町とすら言えるかも知れません(実家がある町をそこまでおとしめて言うか>自分)。
さてそのF町(仮)で先日、合併についての「町民意向調査」があったのですが、開けてびっくり、町の意向とは全く反対の結果が出てしまったのです。
http://www.kitanippon.co.jp/cgi-bin/news.cgi?id=A300#0002
さあ困った富山市。

F町町民の実感はどんなところでしょうか。
投票率が50%をちょっと超えるくらいなので、賛成多数じゃないの?と読んで投票には行かなかったという人もいるのかなあなどと思ったり。あるいはF町であろうと富山市であろうとどうでもいい、とか。

F町は、今の段階では(富山市と)合併する必要はないと言ってよく、むしろ単独で市になる可能性が、よりあり得べき方向性のように思えます。でも富山市は債務をなんとかしてF町に分担して欲しい。七市町村合併ということですが、実のところ富山市がいちばん一緒になりたい相手はF町なのです。そしてたぶん合併すれば、行政は全て富山市のやり方に従わざるを得ない。F町の皆さんとしては、んな調子のいい話には乗らんちゃ、べー、とそういうことだろうと思われます。

さてF町の更に南に、おわら町(仮)という、近年観光で有名な町があります。歴史ある地方自治体に少なくないパターンだと思うのですが、ここは町としての基礎体力はかなり低下しています(最近は郊外の方に企業誘致なども行っているようですが)。重要な観光資源である祭りも基本的には旧市街の皆さんのためのもの(ちょっとえげつないですね)。町の中には、旧町vsその他&新興町民という構造があります。
おわら町では行政がおわらの伝統(と言ったって実は現在行われている祭りは近代に入ってから復興されたものなのですが。いわば街おこしのものすごーく早い成功例)をひっさげて合併反対を表明していたのに、住民投票では合併賛成派が上回ってしまったのです。

しかしおわら町と富山市のあいだにはF町があります。まさかF町だけすっとばして飛び地のように新富山市とするわけには行くまい。
さあどうするよ。
というわけでなかなか面白い話になっている当地区の合併話であります。



「あー、朝日のすいか食べたいー」
朝日って県東端の朝日町かと思った私は、美味しいのかな、と尋ねました。
「F町民だから」

F町に朝日地区というのがあるのです。そういえば子供の時、運動会や盆踊りで踊ったF音頭にも、

♪朝日のすいか〜

と歌われていたのでした(歌は都はるみ)。
今は「よさこいF」(Fは町名)に取って替わられてしまいました。よさこいFって誰にでも踊れるんだろうか、じいちゃんばあちゃんでも踊れるのかな。

そりゃ買って来(こ)んならん(=それは買って来なくてはならない)。今日見かけたら買って来るわ。

りー氏はともかく、私もF町が好きなのか。
F町であってもなくても、住んでいる町と住んだ町には興味関心と愛着を持ちたい。自分の日常がある(あった)わけだから。

2004年08月09日(月)



 東京

ヤプースの方にも書いたように、結婚お祝いの会があり、上京しました。

2次会になり、終電があったりいろいろでぼつぼつ人が帰り始めました。
夜も深まるにつれて(と言っても電車がある時間帯レベルで、ですが)だんだん個人的な話になってきます。一緒に時間を過ごしていた頃には却ってこっぱずかしくて言えなかったことなどを話したりします。
こういう時間はもはや私の日常であるとは言えないから、とても大切に思えます。

普段飲みに行く機会がない、ということではありません。
りー氏とも飲みに行くし、友達とも会って楽しい時間を過ごすけれど、またそれはそれで違った時間であるということです。

東京は私が学びの物心をつけてもらった場所だから、生まれ育って日常を過ごす富山には申し訳ないけれど、今でもやっぱりどこかで「ただいま」と思っている、いや、「ただいま」と言っていいですか、という感覚があります。

そんなことも、もちろん、東京を離れたから思うことなのだけれども。
たとえば京都や大阪で学んでいたら、それだの街に「ただいまー」と思っていたんだろう。

私じゃない他の人たちには、街はどんな風に見えているんだろうか。例えば(名古屋と)神戸で学んで東京で仕事をしていたりー氏には、それぞれの街はどんな風に見えているんだろう。
まありー氏に関しては、たぶん「べつにー。フツー」と言うだろうけれども。

2004年08月06日(金)
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