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■ 見出すこと
小さな発見。 小さな喜び。 小さな感動。
そして、小さな幸せ。
日記に書かない内容は(特に悪い・負の感情)当然たくさんありますが、それでもなるべく日々の日記を面白おかしく書いているつもりです。 だからと言って毎日がビックリするくらい刺激的かと言うとそんなことはなくて、ただ、感じ方による違いだけなんだと思います。
今の私の生活をクソつまらなく書くと、
・ガッコ行く ・バイト行く ・買い物する ・就職活動する ・たまに誰かと遊ぶ
こんな誰でも経験するよーなコトも、当人の姿勢次第と言うか、感じ方・捉え方次第でいくらでも面白く楽しくなるし、いくらでもつまらなく単調にもなったりするワケです。
前者の場合、特別コレといって大事件のない日々でも刺激があって充実感もあると思う。 日記の内容も、些細なことでも大きなネタになったりする。
後者であれば、物凄く読むのも面倒な日記になりかねないだろうなぁ、と最近よく考えます。
知人の日記をいくつも読んで回っていると、いろいろ傾向が見えてきて面白いです。 書き手のクセとか特徴とか、良い部分もイマイチな部分も含めて、何となく一貫性があったりする。
物凄く前向きだったり、 理論的だったり、 卑屈だったり、 啓発的であったり、 後ろ向きだったり甘ちゃんだったりetc
そんな中で、私自身も含め、何かを見出すことの大切さを実感します。
誰だって、毎日同じことの繰り返し。 それを不満に退屈に思う人もいれば、穏やかで落ち着いていて満足する人もいるだろうし、繰り返しの生活でも刺激を見出して楽しく生きてる人もいる。
私は出来る限り「小さないろんなこと」を見出しながら、生きているつもりです。
と言っても、自動的に思考がスタートすると言うか、日記書くみたいにつらつらと言葉が頭の中に流れると言うか。 敏感に感じ取る作業は、もう基本設定になっちゃってるみたいでラッキー(?)
物凄く些細なことで良い。
先の日記にも書いた「抽選カードを引いたら120円のチョトスが当たった」とか。 そんなことでも、私は本気でルンルン気分になるし、憂鬱な雨模様もナンノソノ、って感じになる。
バイト先で電話応対した時、得意先の方がとても礼儀正しい人だと、取り次いだ後に何だかほっこりとした気持ちになる。
デザインの仕事をしているパートの主婦さんと、 「子供にはぬり絵を1冊だけ買って、あとは何枚もコピーして色塗りさせるのよー」 なんて、何でもないような話をしたり、 デザインの仕事について聞いた時に快くいろいろ教えてくれるのも、とても嬉しい。
別の社員さんと手形の種類のお話とか、経理関係のお話を伺うのもとても勉強になる。
ガッコだと、掃除のおばさんとのお喋りはとても楽しいし、バイトがある時などは「頑張ってねー」と言って送り出してくれて、元気をもらえる。
駅に行ったらちょうど電車がきてラッキーだったとか、 パスネットカードの残額がちょうどなくなりそーだとか、 向かいの席で幼稚園児がはしゃいでいて可愛いなーとか。
朝起きたら、洗濯したくなるような快晴だったら嬉しい。 雨だったらもしかしてアマガエルが出現するかも知れないドキドキ感。
もっともっとたくさんある。 1日24時間、何10個も、何100個もきっとある。
ただ気がつくか気がつかないか、 気に留めないか気に留めるか、 何かを感じるか何も感じないか、それだけの違い。
私は気がつきたい。 気に留めたい。 何かを感じたい。
それが出来る限り、決して心が貧しくなることはない。 悲しさとか辛さに押し潰されることもない。
様々なことに感謝できる。 自身の不遇に浸るような人間にならないために、きっと必要なこと。
もちろんいつでも常にそういう姿勢でいられるわけではないけれど。 突然涙が出てきて焦ることもあるし、頭を掻き毟りたくなるほどの絶望的な衝動にかられることもある。
でも、そんなことばかりを考えて、そんなことばかりに浸っていたくない。
私は平凡な人生を、面白おかしく楽しく生きていきたい。
2005年06月09日(木)
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