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■ ゼブラーマン
レディースデーだったのでひとりで観に行った。
哀川翔のファンでもなく、宮藤官九郎のドラマが好きなわけでもないが、なぜかこの映画だけはちょっと興味を持った。 哀川翔のVシネマを観てしびれる人は、これって違う、と思うのかも知れない。また宮藤さんのテレビドラマは好き嫌いがはっきり分かれるようだ。私はダメな方なのだけれど(りー氏も同様)、映画「ゼブラーマン」はバカバカしくて楽しめた。
同じ脚本家でありながら、テレビはダメで映画ならいいというのは私の好みにすぎない。たまたま先日は、岩井俊二の映画をテレビで見て、これは映画じゃなくて夜中のテレビドラマかビデオ作品だったりする方が受け入れられるなあ、と思っていた。去年の春、UAと浅野忠信が出ている映画「水の女」を観に行った時、りー氏が「なんかNHKとかでやってる実験的なドラマみたい」と言っていたのも同じような発想かも知れない。なんでなんだろうなあ。あまり真剣に考えようともしていないが、そう思った。受容される場やツールに興味があるのかも知れない。 拙宅のテレビがもっと立派で画面も大きかったらまた違う印象を持つのかな。たぶんそうだろう。 今週もビデオを見終わらずに返却してしまった。映画は映画館で観たい。
さて今回は、ヒーロー物という世界で哀川翔を見せ物的に楽しみたいという思惑があった(というほどのことでもないが)。 クドカンさんのファンにとってはもっと突き抜けてバカバカしい方が良かったのかもしれないけれど、初心者としては穏当に楽しんだ。例えばテーマなんてものがうるさくこれ見よがしでなかったりするところにも目が行った。でも比較的さりげなく父と息子の話になってもいたりもして。 真っ当な、しかし新しくひねったヒーロー物を作ろうという気持が感じられた。一方で深読みながら、映画(しかも東映)の大仰さを映画の中で逆手に取っている−−しかも哀川翔という微妙な線の俳優(お好きな方すみません)を使うことで−−ように見えたところも面白かった。
哀川翔ファンには賛否両論だろうけれども、ファンではない者から観ると良さが引き出された作品になっていると思う。そういった意味でよい百本目の記念になっているのではないか。 私が特にいいなと思ったのは、哀川扮する主人公(さえない小学校教諭)が「浅野さんと呼んでいいですか」と言うシーン。
その他再発見した俳優さんたちとしては、、 ▼鈴木京香 スタイルがいい。胸元がきれいだった。そんなこと今更なことなのだろうなあ。画面では大柄なイメージで映りがちで、それは他の皆さんがあまり大柄でないからなんですね。非常に残念。それにしてもはっとさせられました。>ゼブラーナース ▼渡部篤郎 かっこよく映っていた。態度のヘラヘラ加減とシャープなスタイル(矛盾したこと書いてるな)が役柄に合っていたように思う。 など。 たぶん他にも細かくマニアックなキャスティングなんだろうと思う。
というようなことを書いていたら、ちらりと見たらしいりー氏に「イヤ汁がそこかしこにしみ出している」と言われた。 「本当は哀川翔なんて観ない私だけどー、とか言いたげ」 そんなことはないよー(確かに観ないけれども)。 「本当は満を持して観に行ったくせに」 ……その通り。
2004年02月25日(水)
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