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■ 春の手紙
昨年の暮れ、りー氏が玄関先にチューリップの球根を植えた。 それが今芽を出してきている。りー氏が気づいた。 私はそういうところが(も)がさつである。
誕生日にぴょんちゃんからもらったアレンジメント(オルテンシア・アズール製)のお花は、週末、すっかり満開になった。 届いた時は、グリーンの中に小さいつぼみが埋もれてちょこっとだけ顔を出していたのだけれど、今はチューリップその1!その2!その3!バラ!といった具合に、ここにいますおりますと言わんばかりににぎやかだ。
Kさん夫妻よりお便り。小躍りしてりー氏の帰りを待つ。 ミャウリンガルその他のお礼を送ったらすてきなお手紙を頂戴したという次第。Yさん(奥様)が丁寧に書かれたであろう文字を見て、自分の、ゆるい手で書きなぐったような手紙を恥じる。
メールという手段がなかった頃、人との関わりにおいて、個人的な手紙をやりとりできるようになると、おし! と思っていた。誰にでも手紙を書いていいというものではないような気もして、ためらわれた。それほど、手紙は好きで、大事だ(った)。 今はさすがに、書いていて楽しいというよりはハラハラドキドキ心臓が飛び出しそうな手紙を書くこともある。それでも、少女パレアナのように(笑)、どんな手紙も楽しく書きたいと思っている。いや心がけたい。 ゆったりと手紙を書く頻度も減ってしまった。でも今も心は常に文通希望だ。
そしてNさん、お手紙と贈り物をありがとう。
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市立図書館に行った。初めて翁久允(おきな・きゅういん)文庫を利用した。 翁は富山県立山町の出身で、アメリカに移民の後、週刊朝日の編集長などをつとめ、国境を超えた活躍−−という言い方もあれだな−−の後、再び富山に帰ってからは俄然郷土研究に目覚め、雑誌『高志人』を創刊したという人。 なんてことも、実は昨日まで知らなかった。小説を書いていたことがあるらしいというのと、護国神社裏手にある瀟洒な邸宅が翁邸だということを知っていた程度だ。 閲覧したい資料が見つからず、棚に並んだ背表紙を逐一確認しているうちに、面白い資料をいろいろ見つけた。私よりりー氏の方が面白がるんじゃないかという資料を。たとえば戦後、富山で開催された大博覧会のガリ版刷一次資料とか。市史などは当然こういったものを参照して(あるいは孫引きで)書かれたに違いない。 一緒に棚を探しながら、面白そうな資料がいろいろありますね、特に富山の近代史に興味がある人には、と司書の方に話しかけると、そうなんですよ、と言って翁の履歴について触れてくださった。 目的の資料が見つかったので、全冊(といっても30ページ程度)コピー。別に郷土の研究をしようというわけではないが(興味がないわけでもないが、やるとしてもいわゆる郷土史研究的な視点にはなれないような気がする)、外に出て帰ってきたらドメスティックになったというのはとてもよくわかる。外からの視点(第一にいやらしくなく、できれば地に足がついているもの)は必要だとも思う。
代表的な辞書の各項目は、歴史的に古い用法から順に並べられるという傾向にある。O(xford)E(nglish)D(ictionary)しかり、日(本)国(語大辞典)しかり、広辞苑しかり。 しかし今日K氏(前出Kさんとは別人。外国語の、語史じゃなくて現代語が専門だと思う)と話をしていて、むしろ日常的には広辞苑などの辞書のそういった(今使われてもいない用法をすっとばしていかなくてはならんという)側面が面倒、と言われ、目からウロコが落ちる。自分が現代の人でないことを(改めて)知らされたようだった。 他にも、作例ではだめで、出典を明示した用例が併記されていないと落ち着かない、という感覚があるのだけれど、それは私が外国ではなく日本寄りだからか。
2004年02月24日(火)
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