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みんみん



 たった/もう

夕方、駅前までバスに乗る。
ちょうど小中学生の帰宅時刻に重なったので、バスは満員だった。田舎の満員電車(バス)で困るのは、既に乗ることのできた乗客が(乗ろうとしている乗客の便宜を考えて)真剣に詰めてくれないことだ。いや、詰めてくれているつもりなんだろうけれども。
中学生はさすがに分別があるけれど、小学生ははしゃいでいるしランドセルはあるしで大変だ。詰メロ、と言いそうになった。

バスを待ちながら少年少女たちを眺めていたら、中にひとり目をひく女の子がいた。黒いコートの裾から制服のスカートが少しのぞいている。背が高くて、ショートカットで、黒いタイツがとても似合っている。中3なのだろうか、他の子たちとははっきり違う存在感があった。私はかわいい女の子が好きだからジロジロと見てしまいそうになる。
自分のうつくしさを自覚しているのもある種不幸だが、無頓着であるのももったいない。このまま、いい感じで成長してくれますように。なんて、大きなお世話もいいところ。
彼女の、ちらりと見えた定期券には城端線の駅の名があった。富山では立派な遠距離通学だ。


年上の女性に手紙を書く。
用事あってのことだが(用事がなくても手紙は書くけど)、書いていて楽しかった。


久しぶりの友人とざんぐりで飲み・食う。
楽しいこともつらいこともいいことも嫌なことも、ほんとうにいろいろなことがあるのだ、ということを話す。どういう状況であれ、元気で楽しければ(byりー母)いいのだが、それがかなわないこともある。楽しくなるためにあえて、いま、身を切るということもあるだろう。しかし健康ばかりは。
受け止める側に何ができるか/できないか。

ふだん、年上の人と関わる機会が多いからか、30年余りも生きてきた、というよりも、たった30余年しか生きていないのだ、という思いの方がまさってしまう(そう思っていなくてはいけないと強迫観念のように思わされてきたのだが)。しかし「たった」と思えることは楽でもある。これからがあると思えるから。場合によっては「これから」は思いこみなのかも知れないけれど、思いこみもまあよい。そしてたぶんいつの間にか「馬齢を重ね」という状態になるのだろう。今だってそうなのかも知れないが。それでいて一方では「年の功より亀の甲」とうそぶいているのだからたちが悪い。
君はまだ若いから、ということだけは言うまい。


帰宅したら玄関に巨大なアロエの鉢があった。
「ちょっと事情があって」りー氏が預かっているらしい。どういう事情よ。

2004年01月14日(水)
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