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■ なかつよ
カテリーナ古楽合奏団を聴きにいく。県民小劇場オルビスの自主企画公演シリーズである。 カテリーナ古楽合奏団の名は、ロバハウスの名と共に知ってはいた。国立のNさんとこでフライヤーをよく見かけたからだ(ということは、メンバーかスタッフのどなたかがお客様なのかも知れない)。 オルビスは収容人数200人ほどのホールである。座席は可変式なので、ホールというよりスタジオといった方がより適切かも知れない。小さいので、舞台と観客の距離が近い。そこが観る方の妙な緊張感を解きほぐしてもくれるようだ。リアクションがあからさまに伝わり過ぎるのではないかという時すらある。
オルビスには今まで何度か行ったことがあるが、そのたび不思議に思うのは、どちらかというと実験的とでもいうのか、都市部なら観客は若者が主であろうと思われるような内容の公演でも、そうでないものでも、なぜか観客の年齢層は高めであるということだ。それもくさい文化人的な雰囲気を漂わせているようなおっさんではなく(その種の人も見かけないわけではないが)、おばちゃん的な雰囲気の人が少なくない。 おばちゃんが多いとどうなるかというと、舞台へのレスポンスがたいへんわかりやすく行われるようになる。ひとりうんうん頷いている人も多いし、公演中のツッコミも少なくない。それに、拍手の拍の取り方も若者とは多分違う。見慣れぬ物事には驚く。時にあからさまに違和感を示す。 演じ手によっては、普段とは違う客層にやや驚くこともあるようで、でも決して悪いようにはしないおばちゃんたちのもてなしに、「普段」とはまた違った面白さを感じているのではないかと想像する(何をやっても能面のように反応がない、っていうのはいやなものだ)。客層は広い方がいいだろうし。 しかし観客に若者が少ないということはやはり気になる。おばちゃんが多いのは結構なことだけど、若者の姿が少ないのは問題ではないか。もちろん金銭的な問題もあると思うけれど。
当日売りの券を買って入ろうと窓口に向かったら、女の子がつつつと寄ってきて、来られなくなった友達か誰かの分(想像)を1枚買ってくれないかと言った。3千円のチケットを2千円にしてくれた。ラッキー。 そういえば彼女は私より若かったな。
プログラムは、楽器の紹介などをはさみつつ進行した。 中世の音楽ということで、現代において一般的に用いられている楽器とはずいぶん違う形態のものも多くあったが、原型(により近いもの)を見るようで面白かった。西洋の楽器と東洋の楽器とがあるわけだが、中世というのはそれぞれの特色がもっとも融合されていた時代だったらしい。実際、弦を使った楽器でも、あるものはほとんどバイオリンだが、あるものはほとんど琵琶のように聞こえた。同じ、とか、違う、とかいう見方は既に枠組みでしかないのだが、とか言っているとらちがあかなくなるので、とりあえず。 パーカッションの演奏会に行った時にも思ったことだけれど、みたことのないシンプルなつくりの楽器をに接して、音を楽しむためにいろいろな試行錯誤があったのだろうなあと思う。ああだこうだやるのが楽しかったんだろうなあとも思う。
先人の「ああだこうだ」を追体験するのは面白い。時に生意気にも検証して、ついでに自分も一緒になってああだこうだやってみたりする。 それは懐古ではない。モダニズムを学んでいる気持だ。
アンケートは持ち帰って書き、FAXで送ることにした。 「来年度の発見ライブ(注・本企画の名)に呼んでほしいアーティスト又は面白い公演がありましたらご記入下さい。」の問いには、 呼んでほしいアーティスト:栗コーダーカルテット、柳下美恵(と無声映画と弁士) 面白い公演:素浄瑠璃(あるいは文楽) と書く予定。他になにかあるかな。
夕方のラジオで、県の国際なんとか課にお勤めの韓国人女性へのインタビューが流れていた。 大学時代に日本語と日本文学について学んだそうだ。日本文学は、現代では村上春樹、近代では夏目漱石など、他に「中代(ちゅうだい)」や上代の作品も読んだという。 日本のその種のタームに「ちゅうだい」という言い方はないと思う(少なくとも一般的ではない)。「中代の上田秋成」と言っていたので、中世と近世でまとめてひとつなのか。あるいは中世までひとくくりで上代なのか。それともまた別のくくりがあるのか。彼女の言い間違いでなければ、韓国での言い方ということになる。いつか、韓国にゆかりの人に聞いてみよう。 もっとも、かつて「中昔(なかむかし)」とか「中つ世(なかつよ)」という言い方があったことを思えば、「中代(ちゅうだい)」という言い方も不思議ではない。日本で学ぶ世界史(各国史)だって独自の区分があるのかも知れないし。比べてみると面白いかも。
2003年12月11日(木)
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