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■ 栗拾い
朝、母から「裏の栗拾いに来る? それからさつまいもといちじく欲しい?」と電話があったので出かける。 りー氏は昨日の引っ越し(会社の)の残り仕事があるのか、バイクでどどどどと出かけたので、ひとりで行く。通り道の小学校(2校)で、運動会あるいは何かの行事をやっていた。
軍手をして、納屋の裏の茂みに入る。 火バサミでイガを拾い、両足で開くようにしながら(手だと痛い)実を出していった。物陰に隠れているイガを拾うのは宝探しのようで楽しい。 一緒に拾っていた母が、お父さんおかしいんだよ。今だから言うけどね・・・と言う。 「みんみんが(落ちている栗を)全部見つけられないかもしれないから、拾って1か所に集めておいたぞ」 そんな、お父さん、そこまで子供扱いしたらだめだよ、と母が言うと、「じゃあまたばらまいてくる」と再び裏に行ったらしい。適度にばらまかれた栗を私たちは楽しく拾ったというわけだ。拾いながら、関西に住む甥っ子に栗拾いをさせてあげたいなあと思う。 実は木の近くでイガからはずしたが、いくつかきれいなものは、イガに入ったままにしておいた。 それから父の作業している畑に行き、いちじく2種類とさつまいもと菜っ葉とモロヘイヤを収穫した(といっても私がとったのはいちじくとモロヘイヤだけ)。
拾った栗を袋に入れて置いていたら、のいがとても興味を示していた。 袋の中に顔をつっこみ気味にして匂いをかいだり、イガの方に手を出してはひっこめてみたり。
栗ご飯にしようと思ったけれど、まず茹で栗にした。 なんということはないのだが、割ってスプーンですくって食べるととてもおいしい。 明日は栗ご飯にしよう(あ、新米もらってくるの忘れた)。
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巨人軍の原監督が電撃辞任ということですが(うっかり解任されたと書きそうになりましたが、一応違うんですよね)、記者会見を見ていて、巨人という野球チームにおけるナベツネという人の権限の大きさを知りました。 私は巨人ファンでもアンチでもないのですが、富山は正力松太郎の出身地ということもあってか、巨人ファンの人は多いとききます。実家の両親や祖母なども、シーズンになると巨人戦の結果を気にしていたりしますから、巨人びいきであると言えるのでしょう。
これは一私企業の問題であると言わば言えるのですが、権力について、よく似たようなことを思う出来事がありました。 私の母校は(ご多分にもれぬ)大学改革の波のなかで、ほとんど「民主主義ってなに?」というようなやり方で行政にねじ伏せられようとしています。人文科学系は、中でも最も影響を受けるといっていいと思います(私の出身は人文科学系です)。 私(たち)の苛立ちは、在籍した(あるいは、している)学科がお取りつぶしになるから、というレベルではありません。公的機関である大学が、公的機関であるにもかかわらず、当事者である大学にも、また住民の代表であるところの議会にも、何の事前協議もなく、いきなり行政の側だけで強硬な路線変更(修正とはあえて言いません)という荒技をやってしまったということです。長の権限というのはそれほどまでに強いのか。行政は自分の首を自ら絞めているということではないのか。
行政に関わる人々一般を批判しようという気持はまったくありません。身近にも公務に関わる者はおり、誠実に仕事をしていると信じています。 だからこそ、これはきっと特殊事情なのだろうと思いたいのです。
自分の慣れ親しんでいる、あるいは慣れ親しんだ物事に対して、客観的に見つめることは難しい。 でも、しようがないよね、じゃなくて、それっておかしくないか? と今回は言いたいのです。 すぐにぷんすかぷんとなるわりに、本当のところは、なんでもありだろうなぁ・・・と思っていたりもするのだけれど、でもこの件に関しては、ただ、腹立たしく、情けなく、唖然としています。
今日、緊急のシンポジウムが行われる予定であると聞きました。
2003年09月28日(日)
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