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■ ナンギナンギ
去年の同じ時期に比べたら、エネルギーを吸い取られているような感じはだいぶ和らいでいると思うのだけれど、でもなあということはある。フザケンナなこととか。 まあいろんなことがあり、いろんなひとがいる。いやなことばかりでもない。たとえ数パーセントであっても、受けとめてくれる人がいればそれでよしとすべきなのだろう(と、自分を励ましてみる)。
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長崎の事件。 もちろん衝撃的だった。あってはいけないことだ。 でも、神戸の事件に比べたら、想像できそうな気もする。犯罪の低年齢化という問題はあるにせよ。
性別で分けてはいけないのだけれど、と前置きをしつつも。 男の子というのは難しいんだな。いや、男は難しい、と言うべきか。 仕事の場では女性よりも老若の男性と接する機会の方が多いけれど、本当にそう思う。男嫌いになりそうな時もある。性別の問題ではないのだけれど。
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気を取り直して猫話三題。
▼その1 のい話(またかよ) 「こないだ大変だったんよ」 と、母が言うときは、のいのことにきまっているのだ。
土曜の夜のこと。蒸し暑かったので、風通しをよくするため、玄関脇の部屋の網戸を開けておいたらしい。 翌日曜日。5時頃、祖母が、お父さん(=私の父)たいへんたいへん! というので、みると、先輩(仮。のいと同じ茶トラののら)が部屋の中に入ってきているのだった。あちゃー。 のいは必死で逃げ回ったため、けんかにはならなかった模様。噛まれたような痕跡もないようだ。でもそれはそれはショックな出来事だったらしく(いつも窓越しに見てひとりで興奮しているけど、やると見るとでは大違いか)、その後しばらく、父に近寄ることも出来ず、鳴きもしなかったとか。 幸い翌日はのいの大好きな母さんが在宅で、少しずつ安心してゆき、それでいつもよりちょっといい子になっていたとのこと(いつまで続くか)。 今日はなんだかいつもよりにゃあにゃあしゃべっていたな。
(先輩に)石投げてやればよかった、と父。 うーん、それはー、微妙な問題だ。のいは特別だが、猫はみんなかわいいと思ってしまうから、複雑。
マンガ『クロ號』に、気の小さい(弱い)猫ほど、トイレ後に砂をばっさばっさと大仰に蹴散らすという記述があった、ふうん、そうかあ、そういえばのいもばっさばっさとやるけど、こんなやんちゃ坊主(当時)なのに気が小さいのかね、と思っていた。 今も猫砂を散らしまくっている。
やっぱり内弁慶なんだね。
▼その2 みくちゃんと子猫 ある日実家のインターホンが鳴った。 祖母が出てみると、そこには裏のOさんちのみくちゃんが立っていた。手には黒くてやせた子猫2匹。 駅に捨てられていたらしい。みくちゃんは猫が大好きなんだけれど、お母さんは猫が苦手だから飼うのはダメだといわれたらしい。それで「飼ってもらえませんか」と尋ねて来たということのよう。 なんとかしてやりたくて、お母さんと大げんかしたみたいだ。 「そんなんだったらお母さんも富山に行ったらだめ!」 # 富山とはお母さんのご実家をさすらしい。実家は市外なので、在郷の人たちはみな富山市内に行くときは「富山へ行く」という。
よっぽどだったんだろうなぁ。とてもよくわかるけど。 子猫はどうなったんだろうか。
それにしても、猫と暮らすなら責任持てよ、だ。
▼その3 やっぱりというかなんというか ミャウリンガル発売予定。 で、考えた。 のい(に限らず)の言葉は意味は知りたいけれど、でもあれこれ考えもせずにわかってしまうのは、ちょっとつまらなくて、怠慢な気がする。それに、翻訳された人間語の声は、「のいの声」とはきっと違うのだろうし。 どうだろう。
2003年07月15日(火)
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