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■ 変化
20歳の女の子(面識はないが、知り合いの知り合いではあるようだ)が書いた文章を読む。 ある時、初めて会った30歳の男性の持つ雰囲気にくらくらしそうになり、いかんいかんと自分をおさえた、とあった。30年間生きてきたいろいろの中で、変えようとしてももう変えることのできない何かがあるだろうから、と。 ニヤリ。
もっともらしいことを言うのはだんだんうまくなるのかも知れない。言うか言わないかは別として、言おうと思ったら言えるかも、くらにいはなるのかも知れない。と同時に、「もっともらしいことを言う」ことの欺瞞が実感されてもくる。いやな感じで。 年上の人はいつまで経っても年上のままだ。年齢の差は縮まらない。 関係性は、全く変わらないというわけでもないのだろうけれども(変えようとしない人はいるかも)。
30年は大した年月だが、50年、100年には及ぶべくもない。 10年の差は大きいけれど、例えば自分が持っているとしたら、その差を自己肯定のみに用いたくはない。年若くてもものを知る人はいる。 一個人の生活史においては、年を重ねれば重ねるほど知恵がつく、というのは一般的に言える気がする。しかし個々人のポテンシャルはまた別の話だろう。
昔、子供だった頃、「年の功よりカメの甲」とうそぶいていた。 大人にはやりにくかっただっただろうと思う(それあんまり人に言わない方がいいね、と笑いながら言われたこともある)。最近は、「亀の甲より年の功」と思うようにもなった。それは自分が年を重ねてきたからというよりも(いやそれも皆無ではないのかもしれないけど・・・いやーねー)、年寄りや年長者はいつまでもそばにいてくれるわけではない、という実感からだ。
「30年間生きてきたいろいろの中で、変えようとしてももう変えることのできない何か」 今や人となりの基本ラインは変わらないのだろうと思いつつも、事実の前に変更せざるをえないこともあるのかもー、と(すでに/たかだか/それでも)31歳の一個人は思う。
変わることが怖いのではなくて、いったいどんな要因がきっかけになりうるのか、私はそこに興味がある。
2002年09月11日(水)
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