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■ 神岡
Mさん、Kさん、りー氏、私の4人で神岡へ。 神岡鉱山を撮り続けている写真家、中田さんの写真展の初日である。中田さんはMさんの大学時代の友人。故郷・神岡での写真展開催は2度目とのことだった。 午前9時からのオープニングに合わせて出発する。前日にりー氏がお祝いのアレンジメントを調達してきていたので一緒に持っていく。 # わーPちゃん、見せるのを忘れたよ。花。>私信
白黒はオリジナルプリントだが、カラー写真はインクジェットプリンタで出力されていた。 写真集で見ていたよりもコントラストがはっきりしていて、色が美しい。それもそのはずで、写真集はオフセットでインクが4色、インクジェットプリンタでは6色だから、単純に微細な表現が可能になるということらしい。 1枚、とても好きな写真があった。廃屋の向こうに広がる叢。大きめのポストカードにして、友達に送りたいと思った写真。
人の気配のある写真。 「人が写った写真」ではない。人が写っていなくても、その気配のある写真というのは、あるような気がする。撮った人が向こうに見ている(そこにいた)人。その場合に私が念頭に置いている「人」は、個別具体的な人を指すのではなく、もっと匿名的で、普遍性を持った存在のような気がする。 しかし撮るのは個別具体的な人。ある個人。
私はいつもりー氏に「あんたはちっとも人を撮らない(怒)」と言うのだけれど、じゃありー氏の人物写真を見たいのかというとそうでもない気がしてきた。りー氏の人物画というのも見たことがない(かつては絵を描いていた)。 # ただしりー氏の撮るのい写真は # わかりやすい愛情にみちみちみちみちている(笑)。 抑えて隠微に。説明的でなく。 向かい合う者に想像する余地を残す表現にひかれる。だからこそ抽象的なものも好きなのかもしれない。
神岡鉱山自体は、その下流にある神通川流域@富山の人たちにとって必ずしも歓迎すべきものではなかったかもしれない。イタイイタイ病。 いま、巨大なショッピングセンターが立っている場所には、かつてカドミウム汚染田があった。
今日は終戦記念日だった。 思い出す。
昨夜も友にのいを見せたくて実家に行ったが、今日はMさんKさんをご案内する。 Mさんは家に猫がいて、Kさんは大の動物好き。おおいに遊んでもらうのい。 座りながら立っている人間に飛びかかるさまは、まるでムササビかモモンガかという具合。
リフレクソロジーの反応が出ているらしく、何だかだるかった。遊びに行っている最中もひとりで休憩していた(・・・)。首の付け根なども痛かった。悪いところが出ているらしい。 のどはよく開いている気がした。声の出がよい。
2002年08月15日(木)
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