|
|
■■■
■■
■ 怒涛の広島まとめ
2018年09月24日(月)
2017年12月
お義父さんすい臓がんが見つかる。手術はできない状況なので、治す目的ではなく、延命のための抗がん剤を開始。
愛犬が車にひかれる(-_-;)
2018年2月4日
お義母さんが台所の椅子に座ったままほとんど動かず、違和感を感じる。
普段ならお茶を入れるために立つなど、私がやるから座っててと言っても「いいからいいから遠くから来て疲れとるのに」と立つくらいなのにな。
2月8日 あまりにおかしいと予約外でリウマチでかかっている病院を受診するも帰宅させられる。
2月11日 心配だったので様子を見に行くと、お義母さんはこたつからずりずりと1mくらいしか動かず。
2月16日 主治医の先生がいる曜日に予約外で受診。腰椎圧迫骨折のため入院となる
そして神戸からケアマネに連絡を取ったり、病院の連携室と連絡を取ったり 息子や嫁の中で唯一の無職の私が窓口で多数やりとり。
今までも義父、義母それぞれに「どう暮らしていきたいのか」「だったらどうしていけばいいのか」を繰り返し聞くことで考えてもらい、子どもたちの世話になるよりはヘルパーさんの導入かなとか、納得して少しずつ介護の世界に踏み込んでもらったのだけど
どうしても「まだ自分は」と頑固なタイプなので技を駆使する必要がありますね。
義父の介護申請も早めにしておいたので義母が入院となった今、暫定でヘルパーさんに入ってもらえることになって助かったんだったな。
以前から仕事を辞めて実家に戻ろうかな?という話を何度かしていた義弟に、 介護離職の恐ろしさを語り、全力で反対し、介護休暇で様子を見てみる案を提案するなどもした。
3月 義母緊急に入院したリウマチに特化した病院から市内のリハビリに力を入れている病院に転院 義父は抗がん剤後のCT検査結果説明。
4月 義母の退院に向けて自宅の改修
4月半ば 義弟 介護休暇で実家に戻る。 義父 抗がん剤2剤の点滴は続行不能で1剤へ。
4月末 義母 退院
5月 義母の介護度区変申請しようと思ったらちょうど更新があり、訪問介護と訪問リハが受けられる。
6月 義父の点滴治療続行不可能。最後の砦飲み薬の抗がん剤に。 すでに血小板の数値も低く予定より1週間遅らせないといけない&本来毎日飲むものだけど週4日という状況。痛みも出てきているので痛み止めの処方を訴えることと、麻薬を受け入れやすくなるように自分の体験などをアドバイスをするが、なかなか(笑)
7月6日7日 水害発生。2日間停電。断水16日間
水道は実家は井戸水があるので浄水したりなど工夫。
7月12日 義父 強い痛みのため予約外受診したところ腎機能の著しい低下などもあり入院し、オキシコドン(麻薬)初使用となる。
義弟の肉離れ、ニチイのヘルパーさんが安否確認に自宅訪問をしてくれお水を置いて帰ってくれていたことから、ケアマネにヘルパーさん再開を打診してみる。
7月27日 義父 水道開通に伴い試験外泊。 7月31日 義父 退院
8月21日 義父 抗がん剤続行不能、緩和治療進められる。訪問看護導入。 私 菌血症にて1か月入院(-_-;)
8月23日 大型台風西日本直撃 9月4日 大型台風西日本直撃再び(-_-;) 義父 緩和ケア開始。通院がつらくなってきたら近所の病院に入院する方向性が決まる。
9月11日 義父 介護度の区変決定。
9月23日 つまり昨日私が1か月の入院後久しぶりに会ったお義父さんは、朦朧としすぎていて、人の話に興味を示さない様子に違和感を感じる。
お迎え間近に陥るようなこの感じはこんな急に? だったらもう、ホント今日明日くらい大変な話なんですけど?
近所の水没した後復帰してくださった診療所の先生が訪問で来てくれていると聞くけれど、覚悟を決めるように言われてはいないんだけどな。
なんとも気持ちの悪い思いで帰宅したのでした。
その理由は少ししてからわかることになります。
|
|
|