Comes Tomorrow
ナウシカ



 死の誘惑、憧れ

私は何度も死にたいと思ったことがある。
原因は一つではないし、その時々の心理状況も様々。
不幸で苦しいから死にたいと思うこともあるし、この上なく幸福だから、このままの状態で死にたいと思ったこともある。

死ななきゃならないという強迫観念で死にたいと思うこともある。
私が死ねば、誰かが幸福になると思って、死を選ぼうとしたこともある。
また、社会の悲嘆、絶望に共感しすぎるあまり、一緒に死のうよと心で密かに思うこともある。

人間いつかは必ず死ぬんだからさ、どのタイミングで死んだら幸福かって考えて、死のタイミングを図ることもある。
また、その逆にまだ死にたくないよと思うこともあるし、死を覚悟して準備することもある。

そういうの自分自身でコントロールできているうちは、まだ全然大丈夫で、コントロール不能、自制不可となる状態は、正直怖いかな。
ちゃんと自分で意識して死にたいと思う。
でも、そんな簡単にはいかないわな。
予測不能で自分が選んだ訳でもなく、死んでしまうことはある訳だから。

最近の私は、かなり激しいジェットコースターに乗ってる感じだ。
いつもとは違う行動を取ったり、絶対できないと避けてきたことを、いきなり怒涛のようにやってみたり。
なんか変なスイッチが入ったみたいだ。
すっごく元気な日もあれば、クタクタに疲れて溜め息ばかりついてる時もある。

良い兆候なのか、悪い兆候なのか、それとも普通?なのか、皆目わからない。
専門家はひょっとしたら、ヒヤッとするかもね。
適度な活動と休息、気分転換、ストレス発散、あらゆる思考からの解放、または思索が必要かもね。


2013年03月28日(木)



 『失われた希望』

苦しいこともあるだろさ
悲しいこともあるだろさ
だけど僕らはくじけない
泣くのは嫌だ
笑っちゃおう
進め〜
ひょっこりひょうたん島
ひょっこりひょうたん島

******

キムタク、たけし、つるべで哀愁込めて歌ってるCM。
歌詞の内容とは逆に、私はこれを聴くと心で泣いてる。
うつ病で泣く気力すらなく、心でいつも泣いてる。

大切な友の不幸に…共感?
したいような、できるような、できないような、気になるような…

でも結局、他人の不幸の上に自分の幸福を重ね
他人の幸福の下に自分の不幸を重ね

自分で自分を納得させる言葉も見つからないのに
大切な友にかける言葉なぞ、持ち合わせてる訳もなく

ふわふわ日々生かされ、毎日、夢か現実か分からないまま
魂は変なテンションでグルグル変化し
存在する身体は、自分の思い通りには動いてくれない

******

アフリカでは、予想される恐怖を先に言及しておくとそうならない、という一つの迷信があるそうです。
つまり、希望が失われると非常に困るから、『失われた希望』と書いた衣服を身につけている。

という内容の話が、曽野綾子著『思い通りにいかないから人生は面白い』という本に書かれてあった。
生きるか死ぬか、過酷な環境の下で生きている、アフリカのある地域のエピソードして語られていた。

貧しいアフリカ地域に住む女の子たちは、寄付でもらった木綿の布に、フランス語で『失われた希望』という言葉がプリントされてある衣服を身につけていた。
絶望が現実のものにならないように…

失われた希望=絶望ではない。
闇の中で、かすかに光る希望を見失わないように
たとえ、闇の中でかすかな光すら見えなくても
その光=希望があることを信じられるように
失われた希望=絶望にならないように

苦しいこともあるだろさ
悲しいこともあるだろさ
だけど僕らはくじけない
泣くのは嫌だ
笑っちゃおう
進め〜


2013年03月22日(金)
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