Comes Tomorrow
ナウシカ



 ap bank fes'07

やったぁ〜!
ap bank fes'07のライブチケット抽選販売で申し込んでたやつが当たったぁ〜♪
しかも第一希望のコブクロが出演する日。

いやぁ〜こういうの初めてなので、まさか当たるとは思わなかった。
なかなか当たらないとか聞くし。

子ども達もきっと喜んでくれることでしょう。
つま恋は初めてだけど、いろいろ遊ぶとこもあるみたいね〜
ほんと楽しみだなぁ〜♪

あと問題はホテル!
結構、高いのね。
安いとこはもう予約で埋まってるし。
ちょっと離れた所のホテルを取ろうか。

ほんと、いい夏休みになりそう♪


2007年06月26日(火)



 『私はこうしてまだ…』

あなたは 私に
出会いを もたらしてくれた
突然のメール
見つけてくれて ありがとう

話せば 話すほど
私たちは とても 似ていたね
住んでいる場所も
とても 近かったね

誰にも 結局は
理解されないと 思っていた
孤独な2人が 出会ったね

過去を辿る 作業も
未来に 希望が見えて
雨上がりの 虹を
2人で 眺めてた

昼も 夜も 夜中であっても
時間の許す限り
語り合ったね
時が 限りを知っているように

あなたの発する 静かな心の声
見失いそうになる 歩むべき道
私が辿った 傷あとのようで
雲間 吹きぬける 風のように
晴れ渡っていった 明日へ


実は 私たちには
時間が なかったね
生き急ぐように
時間を 追いかけていた

人生のゴールを
まるで 競うように
早鐘打つ 脈を
数えていた

重なり合う 壁を
焦って 取り去る あなたに
軽いめまいを
覚える 私だった

何度も 何度も
繰り返される 質問に
息継ぎも できないぐらい
苦しい夜

待っていてほしい
ただ それだけだった
力が満つる その時まで

一番 助けたい あなたのことを
全力で 支えるには
時間が なさすぎた

やっと コールした日
機械音が 伝える
私の知らない 連絡先
聞こえる 声は
あなたの お母さん
あなたの死を 知った
涙は 出ない

頭に ふとよぎる
自ら 迎えた死なのか?
あんなに 怖れていた
何も わからず
ただ あなたの
最期を 知りたかった

真相は 事実として
そこに あるけど
あなたの 届けたかった思い
伝え終わったの?

私は こうしてまだ
生きているよ
やっと 流せた涙に
あなたを 想う


2007年06月25日(月)



 『誕生した2つの生命』

花が咲いたあとに
また小さな蕾をつけていた
それは 初めての母の日の
あなたの温かな優しさ

受け取ってもらえなかった
カーネーションの悲しさ秘めて
ブルーだった日が 
光射す日に変わった
うれしい母の記念日

お腹に宿ったあの日のことを
とても不思議に思っていた
こんな私の元へ
生まれ出てくれることを

誕生日
大好きな 『レ・ミゼラブル』を聴かせながら
早く生まれておいでと呼びかけ
それに応えてくれた あなた

病室で
かつてない痛みに耐えながら
早く出会えることだけを願い 
無事であれと祈ったあとに
か細い声で泣く
あなたに会えた


子育てに悩むうちに
あなたが思わず お腹に宿った
これまでのいろんなこと
吹き飛んでしまうぐらい 嬉しい しるし

とても元気で
お腹を蹴ると 本気で痛い
だけど それがまた 不安を消す
あなた流の 初めての励ましね

飛び出すように 生まれいでて
大きな声で 泣いている
オッパイが 何よりも好きで
ミルクは 全く飲んでくれなかったね

まとわりついて
大好きだもんと
愛の告白をしてくれて
なぜか 恥ずかしい
小さくても どこか頼りにしてた

でも いつかは
旅立つのね
今から 心の準備しようと思っても
やっぱり無理よね
その笑顔


2007年06月24日(日)



 『遠くで・・』が聴きたくて

買っちゃったよ〜
コブクロのインディーズ時代の1stアルバム♪

知らない人のために解説。
これは主に作詞作曲をしている小渕さんが、18歳の時に亡くしたお母さんのために書いた曲です。
歌詞もメロディーも切ない…

本当は私、お涙頂戴の親子物語は苦手なのだけど、これは素直な気持ちがそのまま書かれていて、ちょっともらい泣きしてしまいますね。
実際にライブで歌う時には、小渕さんのピアノソロで本当に泣きながら歌っているのだそうです(私はまだライブに行ったことがない)
武道館ライブのDVDには、その模様が入っているということで、これも注文しちゃった。

一部の歌詞を紹介させてもらうと…

******

歌が 何より 好きだった あなたを空に送る日には
雲に はしごを かけるように あなたの歌流れてました
僕が 18で この世を去ったのは
「あとは自分で生きなさい」と
まるで 役目を 終えたかのように
なんにも言わず逝きましたね

まだ まだ まだ 生きてほしかった
いろんな話を 聞きたかった
今 一番 会いたい人が 今 一番 遠くにいます・・

〜〜省略〜〜

今 こうして 歌いながら あなたの事を 思い出すと
ほら 涙が 溢れそうで こらえなくちゃ うまくうたえません

******

最近の曲で『蕾』というのがありますが、あれはドラマ『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』のディレクターだか誰だかが、このコブクロのインディーズ時代の『遠くで・・』の曲を知っていて、それで主題歌を頼むならコブクロしかいないと思っていたそうで、それであの名曲が生まれたんですね。
あの曲はオリコンチャート1位取りましたもんね♪

今、コブクロはライブツアーの真っ最中ですが、ライブに行った人の話によると、何かの曲を歌って小渕さん、泣いたらしい。
そして、相棒の黒田さんが、小渕さんにタオルを投げ渡したのだとか。
う〜ん、泣ける話だ…

情報によると、20歳で結婚したという小渕さん。
まだメジャーデビュー前ですよね。
寂しかったのかな?なんて勝手に考えてしまうけど、結婚早かったのに、未だに恋愛の歌も書いたりできるなんて、さすがです!

ライブデビューはまだの私ですが、今はDVDで我慢しとこう!


2007年06月23日(土)



 『キュン…』

蜂の巣校舎の教室
廊下から2列目 前から3番目
一番の思い出になったのは
あなたが隣にいたから

授業中でも ウォークマン聴いて
パンツ一丁で 座っていたり
これが 進学クラスというから
自由すぎて 笑っちゃう

いきなり 首をはがいじめにしたり
授業中でも 突いてきたり
私は どうしていいのかわからず
もぉ〜とふくれてた

あなたは ハンサム顔に似合わず
おどけた3枚目気取り
女子高に通う 彼女の噂が
いつも 絶えずにあって
私じゃないと思ってた

私のこと いい子だと
聞こえるように 友達に話してた
それは 友達以上の感情じゃないと思ってた

大学受験と看護学校受験
お互い 進む道は違うけれど
励まし合いながら 勉強してた
夢を語り合ってた

卒業の日が 近づいてきて
楽しいからこそ 切なくて
それを 打ち消すように
ふざけあってた
休み時間と放課後

感謝の気持ちを込めて
卒業式に 義理チョコを
いつものふざけた感じで
受け取ってくれると
勝手に思ってたけど

片思いの人に 本命チョコを
渡してしまった
義理チョコの あなたが
とても 悲しげに見えた

卒業式 もみくちゃにされながら
写真を撮った
ファインダー越しの あなたは
いつものふざけた あなたじゃなかった

一番大切な友達 傷つけた
もう戻らない 淡い日々
胸がキュンと傷む 卒業


2007年06月22日(金)



 暴言の自由

「心の傷を涙で洗い流し、本来持っている優しさを取りもどすには、『暴言の自由』がどうしても必要になるのです。」
(『子育てがずっとラクになる本』より)

この言葉、今まさに私にほしい言葉でした。
あるblogで紹介されていました。

でも『暴言の自由』というのも、受け止めてくれる人がいないと難しいですね。
1人で暴言なんか吐けないし。

安心できる場所・人、そういう環境があって初めて『暴言の自由』が人を傷つけるアイテムではなくて、生きる力になるアイテムになるんじゃないかと。
まぁ〜そう簡単ではないというのはわかるけど。

時として、暴言が必ずしもいけないものではないということを知ってほしいと思います。
そういうの封じ込めない方がいいこともある。
でもまぁ〜使い方は考えないといけないけど。
難しいなぁ〜


2007年06月21日(木)



 コブクロ三昧な日々

高揚感もあり楽しいんだけど、さすがに体力が持たないね〜疲れてきた。
これでライブなんか行ったりしたら、どうなるんだか?

DVDが無事届いてDVDデッキを買いに走り、ほぼ毎日流していて、こないだうちに遊びに来た上の子の友達(小2)がふとそれを見て口ずさんでたよ〜♪
『君という名の翼』 学校でよく流れてるらしい♪

昨日も子ども達(小2と年中)と私だけでカラオケに行ったんだけど、最近はドラえもんとかアンパンマンとかの歌を入れなくても、コブクロの歌を入れてたら一緒に歌えて楽しめるので、なんともも嬉しい♪

『桜』 と 『蕾』 は、取り合えず覚えて歌えるようになったね。
笑ったのは、上の子が黒田さんのマネをしながら歌うこと!
『ヒゲのあるメガネのおっちゃんのマネ〜』 とか言いながら、立って胸に手を置いて体を揺らしながら歌うのよね。
もう大爆笑よ!

こりゃ〜一緒にライブに行ける日も近いか!
でも、まだちょっと長時間会場にいるのは難しいね。
小1の時に、舞台 『奇蹟の人』(石原さとみ主演)を2人で観に行ったのだけど、ほんとゴソゴソ動くは 『お腹空いたぁ〜』 とか、あまり落ち着いて観れなかったしね〜
周りに気を使って疲れちゃったし。

そうそう、コブクロ以外にハマっている曲といえば、高見のっぽさんの 『ハ〜イ、グラスホッパー』
これ先月ぐらいにNHKの 『みんなのうた』 で流れてました。
なかなかイイ歌なのですよ♪
子ども達もハマっていて、カラオケに行くと盛り上がります。

それにしても、のっぽさん、まだまだお元気ね〜
私の子ども時代のアイドルよね。
NHKの子ども番組 『できるかな』 で全く声を出さず、黙々と何か作りだす手は本当に魔法のようだったよ。

ある日、もう大人になっていた私がふとNHKをつけると、『できるかな』 がやっていて(のっぽさん、まだやってたんだー!)とビックリしたんだけど、それがたまたま最終回の日で、いきなり声を出して挨拶しだしたのにはビックリした!
ああ〜しゃべれたんだぁ〜のっぽさん。

そして今、バッタのコスチュームを着て、歌って踊ってるでしょ!
ほんと驚くよ〜しかもあれ、のっぽさんの作詞作曲でしょ?
多才な人だったのね〜と感心しきり。
それにメイキングのドキュメントも観たんだけど、子ども達への愛が溢れていて、ほんとこの人いい人なんだなぁ〜って。

子ども達が喜んで歌うのもわかるなぁ〜って。
アカン、のっぽさんのDVDも欲しなってきた、金欠やぁ〜

結構、子ども番組の歌とか本当に癒される曲が多いんですよね。
妊娠中のつわりで精神的にもしんどい時、NHKの 『おかあさんといっしょ』 の様々な曲にほんと励まされたり、癒されたり…
あなどれん、子ども番組!
そんな風に思ったので、コブクロの小渕さんが 『おでんくん』 が好きなのも 『ハム太郎』 が好きなのも頷ける!

『ハム太郎』 は観てないけど 『おでんくん』 はほんまにほんわか和む番組ですよ。
私からもお勧め!
小渕さん、こういう番組を観てるということは、子どもさんがいるんかな?
一緒に観てるのかもね〜


2007年06月18日(月)



 『途中下車』

重い体 引きずり出して
無理やり 電車に乗せた
提出する課題は
まだ何も書けてない

朝まで一睡もできず
心はやる気があるのに
体と切り離されたように
自由にならない

乗り換え口で
途中下車してしまった
映画の看板を前にして
そこから動けなくなった

「愛を乞う人」
吸い込まれるように
スクリーンに向かった
平日の昼の
ガラガラに空いた映画館で

流せない涙を
暗がりで
湧きあがるほどに
溢れさせてた
こんなに自分は
洪水の雨を溜めていた

「愛を乞う人」
無くした思いに
初めて出会った
もっと早くに
気づいてあげれば良かったのに

愛を求めた自分だからこそ
愛に背を向け
これまで生きてきた
1人じゃないと
強く立ち向かえないような気もしてた

気づいたそこから始まる
感情の渦の中で
もっと優しく
自分を支えてあげれば
歩み通せたのに

行き場のない
持て余した体と心
違う場所に帰りたがってる
本当の自分らしさ

途中下車から始まる
心の旅路は
今も続いてる
帰る場所なんて
旅の途中のほとりかも

寄り道もたくさんしたけど
出会った人の数だけ
自分もほら 気づいたら
辿り着けてた
明日の太陽
溢れ出す光に立ち向かえる自分が
そこに立っていた


2007年06月16日(土)



 取り憑かれたぁ〜

こんなに夢中になることは、本当に久しぶりだ!

…というのも、もちろんコブクロの小渕さんのことだけど、これからはコビィ〜♪と呼ぼうか。

歌がいいのは前から思っていたし、CD買う程ではないけど気に入った曲はレンタルして聴いていた♪
新大阪の駅でバッタリ遭遇したのも、ちょっと気にはなったのだけど、NHKのトップランナーでのお2人のトークにちょっと惹きつけられてしまいました。
人柄の良さが滲み出てるのもそうだけど、なんか深みのある言葉にね〜あの笑顔にね〜2人のかもし出す雰囲気にね〜もうメロメロになってしまいました。
もう追っかけでもしてしまいそうな勢いですわ♪

それで、いろいろコビィ〜情報を仕入れている最中ですが、今月コビィ〜初プロデュースの新人歌手がデビューするんですね。
みつきという15歳の女の子だそうで、ドラマ『セクシーボイスアンドロボ』の主題歌を歌っています。
その子はすでに女優として活躍してたそうで、ミュージカルのピーターパンで主演はってますね、逸材じゃん!

今月20日がデビューということで、プロデュースするコビィ〜も今後露出が増えるんじゃないかと期待大!
う〜ん楽しみだなぁ〜♪

それと、これはビックリ情報だけど、コブクロの歌を元にした絵本があるのだとか!

絵本『雪の降らない街』

「雪の降らない街」「遠回り」「風」「赤い糸」「そばにおいで」「朝顔」
この6曲が元になった話ということで、歌詞がそのままセリフになっていたりするらしい。
これは是非とも読んでみたい。
「雪の降らない街」は特に好きな曲で、ここんとこ繰り返し聴いている曲だし♪


芸術も趣味もお遊びと言えばお遊びかもしれない。
無駄な時間、無駄なお金かもしれない。
でもそれが、疲れた生活の中のオアシスになったりする。
抱えきれないトラウマの癒しになったりする。
意味をなかなか見出せない生の価値にまでなったりする。
だから、いいよね♪

…ってわけで、コブクロじゃないけど、大好きなミュージカル・劇団四季の『エビータ』チケット取っちゃったぁ〜♪
こちらは難なく取れました。

映画『エビータ』(マドンナ主演)も良かったけど、さてミュージカルはどんな感じだろ?
『エビータ』のCD持ってるけど、四季のは歌が日本語になるわけね。
『レ・ミゼラブル』は日本でも成功してるけど、いかほどかな?
こちらも楽しみだなぁ〜♪


2007年06月15日(金)



 すっかりハマちゃってるよ〜

Team kobukuroの方でコブクログを立ち上げるほどに〜(コブクロファンクラブ内だけのブログです)

こっちにもUP♪

おお〜つま恋かぁ〜
これは行きたい!
チケット取れるかなぁ〜?
やっぱり人気あるから、電話が繋がらないまま、ハイ終了ってこともあるんだろうなぁ〜

今回のライブは間に合わなかったし、DVD届いたけど映らない〜
うちのDVD調子悪く、このディスクは再生できませんと来たもんだぁ〜

うぅ〜楽しみにしてたのにぃ〜
明日、DVDデッキを買いに走るぜぇ〜

よう考えたら、PCも調子悪くなってからだいぶ経つけど、そのまま放置してて、Web-TVも観れんのだぁ〜
動きのある小渕さんが観れないよ〜

まっいっか、まっいっかで放置していた機械たちも、コブクロのためには買いに走るしかねぇ〜って感じで、ほんと金欠になりそう。

こないだ、クーラーに冷蔵庫、洗濯機と買ったばかりなのに〜
結婚11年目、次々に機械もんはやられるね〜
ついでに、FAX電話も調子悪しなのよね〜

順番に買い揃えるしかない!
忍耐忍耐。


2007年06月14日(木)



 『Life』

難解だね
生きる意味なんて
あるようでいて
ないようでいて
小さな出来事の積み重ねが
大きな生きる意味になったりする

毎日 同じ道 同じ顔に
出会っているとしても
どこか少しずつ違う景色
感じられるようになりたい

ほんの少しだけ
不安で 寂しい気もするけど
帰っていく場所は
1人の世界だったりする

会いたいけれど
会いたくない
そんな人間関係もあって
わがままな自分の心に振り回されて
今日もいつもの道を歩いていく


簡単だね
同じ意識 同じ場所で
何となく 生きることは
だけど そこを突き抜けて
乗り換えれば
違う場所に辿り着く

道に迷って うろたえて
パニックになってしまっても
そこにも 誰か
手を差し伸べてくれる人が
必ずいるから

狭い路地の角に 人の影を見て
ふと 安心したりする
きつい坂道でも 登っていく人を見て
自分の自信に繋がったりする

そんな 勝手な思い込みの中で
いつしか 人の中で生きている
孤独な自分がいる


2007年06月13日(水)



 『Dear memories』

今は『ALL SINGLES BEST』ばかり聴きまくる日々で、カラオケに行けば、コブクロばかり2時間歌いっぱなし…そこで初めて気づいたんですが、結構ご本人が出演してる映像が多いんですね〜
ちょっとこれは新たな発見!
お2人を観たかったら、カラオケへLet,s go!

そんなこんなしていると、小渕さんの詩やメロディーにほだされて、私も詩を書きたくなりました。
ほんと久しぶりのオリジナルな詩です(実は3年前に詩集を出版したことがありました)

それをちょこっと、ここで紹介したいと思います。


『Dear memories』

無理をして
脱がなくてもいいよと
服を着たまま
抱き合った部屋の匂い
今でも覚えてる

陽射しさす本とCDの山
ふと見つめて
目を逸らせない絵画

部屋を出れば
うつむきながら
足元もおぼつかない感じで
思わず支えながら
歩いた歴史の街


愛は永遠じゃないと
核心ついて
それでも
確かめ合いながら
言葉をつむぐ

キスをしてみたり
手をつないでみたり
首に手をまわしたり
何かを確認するように

過ぎた日々は
もう遠い過去
誰もいない部屋の抜け殻
愛に溢れていた
モノ達の行方は…


相変わらず
泣いたりするのが苦手で
笑うのも下手
音楽の趣味は変わったけれど
今でもひとり

過去にも戻れない
未来もわからない
今を生きるしかなくて

触れ合うことも
言葉交わすことも
もうないかもしれないけど
遠くで存在感じ合ってる
こんなでもいいのかな?

これでも愛なのかな?


乾いた心の
嘆きを受け入れて
今日もまた明日も
これからも生きて
何かを願う

人が過ぎて
季節も過ぎて
立ち止まらない日々の中
あの時だけが
あそこのまま
時が止まっているよう

私の中の壊れた時計


2007年06月10日(日)



 やっとコブクロのファンになった私

『ここにしか咲かない花』とか『桜』とか、いいなぁ〜って思い始め、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』というドラマは観てなかったのですが、時々どこからともなく流れてくる『蕾』という曲には心を奪われ、それでNHKのトップランナーでコブクロお2人のトークを聞き、ものすごく懐かしいものを感じてしまいました。

…というのも、お2人がデビュー前に歌っていた堺の商店街は、まさに私の青春の場所だったのです。
高校が堺にあり、アルバイトもそのすぐ近くでやっていて…
なぜ、あの時、出会わなかったんだろう…そう年代が違い過ぎました。

私はてっきり同じぐらいの年代だろうと思っていたら、7つも年が離れていたんですね。
そりゃ〜出会わないはずだ。
もうその頃には、私は吹田の看護学校に通っていたんだ、残念!

…というわけで、ますますカッコ良く、歌や詩に深みを増したコブクロお2人のファンになってしまい、生まれて初めてファンクラブに入った私でした♪

特に小渕さん…LOVEです★彡
PCと携帯の待ち受け画面は、小渕さん一色です♪


2007年06月09日(土)



 2度目の出会い

あれは昨年のこと。
私は東京の方に用があって、新幹線に乗るべく新大阪の駅にいました。
まだ朝早い時間だったので、まだそんな人通りも少なく、改札を通ると何だかガヤガヤと人の話し声が…

そこで振り向くと、やたらと背の高い人が数人の人と話しながら歩いています。
(えっコブクロのデカイ方!? まさか、他人のそら似?
本当にコブクロなら、ちっちゃい方もいるはず!)
…この時はまだお2人の名前を知らなかったのです、ごめんなさい。

それで、ちっちゃい方を探すと…いました!
(やっぱりコブクロだぁーなんと奇遇!)

私がビックリして眺めている間もなく、お2人は『走ればまだ間に合うでぇ〜』と、たぶんスタッフさん達でしょうね、その人たちとホームに上がる階段をかけ上がり始めました。

周りには、私とコブクロさん達以外はいず、私もなるべく早い新幹線に乗りたかったので走りたかったのですが、コブクロのお2人と一緒に階段をかけ上がるのが、急に恥ずかしくなってしまい、ああ〜どうしよ、どうしよと思ってる間に、お2人の姿は見えなくなってしまいました。

もう諦めて、ゆっくりホームに上がった私は
(コブクロのお2人は間に合ったかなぁ〜もし乗り遅れていたら、少しの間でもすぐそばで眺めていられるのに…)
そんな淡い期待を抱きながら…でも新幹線のドアが閉まるところが見え、もうお2人の姿も見えませんでした。

ああ〜間に合ったんだ…私もあの時、一緒に走っていたら、同じ新幹線に乗れたかもしれないのに、間に合いましたねと言葉の一つもかけ合えたかもしれないのに…ああ〜バカな私…コブクロは芸能人なのに、なに意識してんだか…

そんな感じで2度目の出会い…ならぬ遭遇は終わったのでした。
なんともコブクロには縁を感じてしまった私です。


2007年06月08日(金)



 初めての出会い

あれは2001年夏のこと。
旦那と1歳になる娘と、友達家族と一緒に少し遠出をして遊びに行った帰り。
和歌山のマリーナシティーに立ち寄った際、どこからともなくメロディーが流れてきます。

結構、大音量でBGMを流すとこだなぁ〜なんて思ってると、なんとコブクロの野外ライブをやっていたんですね!
すでに大ブレイクしていたコブクロのお2人。
ファンの声援もすごかったです!

音楽や芸能界について疎い旦那に、私は一生懸命説明していました。
『あれ、コブクロっていって、大阪のストリートからデビューしたらしいで。こんなとこでタダで生歌聴けるなんてラッキーだね、私ら♪』

ちょっと遠かったけど身を乗り出したりして、お2人の歌に聞き惚れていました。
この頃はまだファンにはなっていなかったけど、でも間近で聴いちゃうと、やはり嬉しくなっちゃいますね♪

そのライブ終了後は花火大会があり、1歳の娘は初めての花火を見て、手を叩いて喜んだり、はしゃいだりしてました。
コブクロライブとセットで、とても楽しい良き思い出になりました♪


2007年06月07日(木)



 ある映画監督の静かな死

私が以前勤務していた外科病棟に、映画監督が入院してくるということで、ちょっとした話題に。
でも名前を聞いてもちょっと知らない。
知る人ぞ知る有名な監督さんだということだったけど、病棟の誰もその監督を知りませんでした。

入院の時にはお弟子さんという人が数人付き添い、度々着替えやら差し入れやら持って来てはお世話をしていました。
ただちょっとミステリーなことが…

『事情は何も聞かないで、どうか”コレ”でよろしくお願いします』
そうお弟子さんは深々と頭を下げて、私たちに言うのです。
”コレ”というのは健康保険証を見せないのです。
『お金は必ず現金で払いますから、どうかよろしくお願いします』
こちらとしては自費で払うと言っている以上、それ以上介入することもできず…

(保険証持って来ないなんて変わってるなぁ〜
映画監督というだけあって変人なのかしら?
どんだけお金かかると思ってんのかしら?
そんな無駄金があるなら、もっと有効に使ったらいいのに…)
なんて私は思ってました。
それに、そんななのに部屋は個室ではなく6人部屋に入院されたのです。

そして、大きな手術をして、しばらく点滴による薬物治療もして、それこそ毎月の入院費は100万円単位。
それでも毎回遅れることもなく、お弟子さんという人が医療費を払っていかれました。

『看護婦さん、いつもありがとうございます』
映画監督というから、どんだけ尊大ぶった人だろうと、実は警戒していた私ですが、いやいやどうして、とても腰の低い、穏やかに話をされる、とても瞳の奥に優しさを蓄えている人で、見た目も仙人のようです。

監督は何とか大手術を乗り切りましたが、すでに手遅れの状態で、もう余命宣告を受けられていました。
本人への告知はなかったので、早く病気を治して退院するんだということも話されていました。

痛みがだんだんきつくなってきて、モルヒネを使うようになっていたんですが、我慢強い人で、よほどのことがない限りナースコールも押さなくて、こちらが心配になって見に行くことも多かったです。
苦悶表情をしていて、『痛いんじゃないですか?大丈夫ですか?』と聞いても、『ちょっと痛いですけど大丈夫です』と笑顔を必死につくろうとされます。
同室患者さんへの気配りもされる人で、同じ部屋の人からも慕われていました。

(いったいどんな映画を撮っている人なんだろう?
どうして保険証を持って来ないのだろう?)
看護していく中でそんな疑問が湧いてきました。

食欲もだんだん落ちてきて、みるみる痩せてきて
『でも早く元気になるためには食べなくてはいけませんね。
頑張っているんだけど、なかなか食べれないんです』
監督、初めての弱音でした。

病気からして食べれないのは当然なんだけど、”治る”という希望を持って生きている人です。
人は希望がないと生きていけない。
『そうですね…別に病院食だけじゃなくてもいいんですよ。
何でも食べたい物を食べて下さい。
刺激物はいけないけど、差し入れしてもらってもいいから…
そうだ、お好み焼きとかどうですか?
あれなら栄養がありそうだし、柔らかくて食べやすいかも。
ソースの味が濃すぎると食べにくいかもしれないから、そこは少し取って食べられたらいいですよ』

数日して監督のもとに行くと、差し入れされて食べた後のお好み焼きが残っていました。
『看護婦さん、ありがとうございました。
お好み焼きおいしかったです。
いつもよりもたくさん食べられました』
私は何もしてないのに、嬉しそうに私に感謝の言葉を何度も述べる監督。
本当に良かったと喜んでいた私ですが、それが監督の最期の晩餐になってしまいました。

それから数日ほとんど何も口にできず、点滴だけで栄養をつないでいて、意識も混濁してくることが多くなってきて、そして私が夜勤の泊まりの夜、意識が薄れ、本当にすぅ〜っとロウソクの火が消えるみたいに静かに息を引き取りました。
延命処置はしないでほしいというのがご家族の希望でした。

監督の体をきれいにして、衣服を整え、死に化粧をして…お弟子さんやご家族がドカドカ来て騒がしい…ということもなく、本当に静かに亡くなられました。

看護師の私らが一仕事終えて、ほっとしているところに『困った…』と主治医が頭を抱えていました。
『死亡診断書が書かれへん』
聞くと戸籍がないとのこと!
ああーだから保険証が持って来れなかったんだ、持っていなかったんだ!

ご家族とお弟子さんが来られ、事情を聞くと、監督が若い頃に日本にやってきた中国難民であることがわかりました。
つまり不法滞在者。
数十年も不法滞在のまま、日本という国で映画を撮り活動していたんです!
私たちが聞いていた名前は日本名の義名だったので、皆が知らなくて当然だったのです。
ちょっとビックリ!
お弟子さんも100人位いて、支援者も多いのだとか。

監督が主に撮っていた映画はドキュメント映画で、アジアを中心にストリートチルドレンの支援活動をしているとのことでした。
映画で稼いだお金は、ほとんどそういった恵まれない子ども達のために使われました。
監督のそういった活動に共感した人々が、不法滞在であるにも関わらず、監督の弟子になったり、お世話をしたり、公私に渡り支援を続けてきたんです。
(スゴイ!こんなことが、この日本であるんだ!
だからなのか、だから監督はあんなに穏やかな優しい目をして、痛みに取り乱したりすることもなく、じっと耐え、人への感謝をどんな時も忘れない人だったんだ!)

私は晴れ渡る空のようにスッキリした気持ちになり、『看護婦さん、ありがとう』と言う監督の優しい笑顔を思い出していました。
そして私も心の中で、『監督、ありがとう』とつぶやいていました。


2007年06月03日(日)
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