Comes Tomorrow
ナウシカ



 イベントごと目白押し♪

てな訳で、なんともソワソワ落ち着かない。

今年は”初”が付く出来事が何かと多く、思い切り下がっていたテンションも一気に上がっちゃいます♪

訪問看護の仕事は3年目に入り、私のいつものパターンではダレてくる頃ですが、まぁ〜いろいろありながらも、いつものパターンにハマることなく開き直りで何とか乗り切れそう!

患者さんとの信頼関係ができてきた分、遠慮のない関係になり、それが裏目に出ることも。
ここはビシっと職業意識を出して、シビアに対応。
それで何とか上手く?回りそうな感じです。

こないだの職場の飲み会で、ドクター抜きの女だけの内緒の飲み会だったんですが、いろいろ情報交換。
普段、私は1人で訪問看護に回ってるんで、こういう交流はとっても大事!

ナースは私を入れて4人・30〜40代・既婚子持ち、医療事務が3人・20代独身。
みんな仲良しですが、1人だけ私の苦手な人が…ナースの先輩。
なぜか、その人の前ではド緊張してしまうのです。
でも、こういう場ではお酒の力を借りて、あえて自分からしゃべりにいきます。
その度にイイ感じに歩み寄れてる感じです♪

その先輩から言われたのは『○○さん、みんなから良く思われたいと思ってるやろ?』
ああ…見透かされてたか。
『ああ…でも最近はそうでもないんですよ…こないだだってNさん(患者)とちょっとありましたし…』
『ああ〜Nさんから聞いたよ、喧嘩したんだって?』
ええ〜!?全部お見通しだったか!

それで、よくよく聞いてみると、実際のこととは全然伝わり方が違ってる!?
私が一方的にミスして、それを私が逆ギレみたいな形でNさんに怒って、それで『仕方がないから、私の方が折れてあげました』とNさんは言っていたらしい!

本当はNさんの我侭を私が聞けるだけ聞いて、Nさんの望み通りにしてきたんだけど、それが日を追うごとにエスカレートしていき、ある日、にっちもさっちもいかないようになり、私もこれまでの溜まったものがあったので、一気に爆発!

『そんなに私のことが気に入らないなら、毎日リハビリに行ってる医院はあるんだから、そちらで注射もしてもらったらいいんですよ!
これ以上、私もNさんの希望通りのことはできません!
私もできるだけと思って一生懸命、Nさんのために努力してやってきたけど、私も人間だし、そんな嫌味みたいなこと毎回言われて、気が悪いですよ!
申し訳ないけど、もうこれ以上無理です!
私は患者さんを選ばないけど、患者さんの方は受けたい医療、看護は選べます。
もう来るなと言われたら、もう来ませんし、それはNさんの好きなようにしてくれたらいいです!』

注射の薬液入れる手も振るえ、注射がまともに打てるかしらと思ったけど、何とか注射は落ち着いてやれて…
Nさんはというと、初めての私のそんな様子を見てビックリして…

『ごめんなさい、ほんとにごめんなさい、無理なお願いしてるってわかってて、それでも自分の思い通りにならないことを、こんな風に文句言ってしまって…
いまの発言は撤回させて頂戴…
どうか気を悪くしないで、また来て頂戴…』

取り合えず冷静さを取り戻そうと、やることだけやって挨拶して、そこを去りました。
(先生に言うなら言えばいいんだわ!もうやってらんない!)
そんな感じでしたが、次に訪問すると何事もなかったように、お互いその話には触れず、一応ぎこちないまでも笑顔で和やかに…それでまた落ち着いた関係?に戻りました。

患者とナースの関係だけど、ここは人間同士、付き合いも長くなり、深く生活に入り込んでくるといろいろあります。
私が相手を尊重し過ぎたあまり、Nさんの依存心を助長させてしまったようです。
80代の1人暮らし…寂しくて不安で、誰かにいろいろな気持ちをぶつけたかったのかもしれません。
でも、それを全部受け止めることが、決して患者さんのためにはならないと、以前にもカウンセラーに注意を受けたばかり…
難しいもんですね。

その先輩ナースから聞いたNさんの発言には、ほんとショックというか、なんなのよーと思ったけど…
『まぁ〜私も先生も、○○さんからそういうことがあったって報告も受けてなかったから、Nさんの一方的な話だけを聞いて、それはすみませんでしたねと謝るしかなかったけど、人っていうのは自分の都合の悪い話はしないもんだし、片方だけの話だけではわからないことも多いし、まぁ〜それは仕方ないんじゃないかな。
それは先生もわかってると思うし、訪問看護ってほんとにしんどい仕事だろうなって思ってるよ。
逆に先生のこと(苦情)も、いろいろ聞いてるんじゃない?』

『ああ…まぁ…』
そんなこんなで訪問ナースと往診ナースの情報交換は欠かせない。
まさかNさんが、全然違う風に先生に言ってるとは知らず、ちゃんと報告はしとかないといけないなぁ〜と教訓になりました。

医療事務の子は医療事務の子でいろいろあるようで、愚痴や不満ぶちまけ大会みたいになったけど、これはこれで皆、熱い気持ちで仕事してるからこその愚痴であって、これからどうしていこうかという話も出てくる。
責任感も強く、職場全体のことを真剣に考えてる人ほど、やはりいろいろ思うところがあるようだ。

今回の飲み会は、そういう2人が燃え尽きて職場を去ることになって、送別会ということでした。
皆それぞれに部署が違って、普段しょっちゅう顔を付き合わして仕事してるわけじゃない。
でも、こうやって会って話してみると、なるほどと見えてくることもあって理解し合えて、でもなかなか全体を改善していこうというのは難しい。
私は私の仕事をキチっとこなすしかない。

今度は先生たちとの飲み会だけど、私は都合により参加できない。
先生も一緒になって考えてくれたらいいんだけど、なかなか難しいんだろなぁ〜
女組は諦めモードですわ…思い切り。

うぉ〜最初に書こうと思ってたことと全然違うこと書いてもうた!
楽しいイベントごとの話を書こうと思ってたのに…


そうそう、こないだ以前、勤めていた総合病院の総婦長から自宅に電話!
いきなり緊張する電話だったけど『戻ってこない?』という話だった。
もう辞めてから7年になるのに!

そのちょっと前にも、別の職場から『戻ってこない?○○さんやったら、いつでも歓迎するで〜』と看護主任♂から電話!
辞めて10年やで!
しかも私は、その看護主任にフラれたのだぁ〜
今は私も主任も結婚してるけど、当時はお互い独身♪
トヨエツ似の主任にホレて、夜勤の2人きりになれる時に告白したのだけど、思い切りフラれました。
そんな人から誘われるとは、ちょっと複雑すぎるやん!

その前にも、辞めて4年になる職場から『戻ってこない?』

ああ〜有り難いお話です。
万年人手不足な業界だからだろうけど、何年経っても私のことを覚えていてくれて、こうして連絡くれるんだから、やっぱり真面目に仕事をしてきた甲斐があるというものです。

人間関係も大切な要素で、若気の至りで変な?辞め方したところからはお呼びがかからない。
当然といえば当然だけど…

意外と狭い世界だから、どこで働くにしても敵はつくらない方がいい。
ストレスを溜めない程度に八方美人になっておくのも、まぁ〜世渡り術かな。
もうしばらくは、今の仕事好きだし頑張りますけど、帰れるところがあるというのは心強い!
体力気力の続く限り、何歳になってもナースでいたいです!
苦労して資格取った甲斐があったなぁ〜しみじみ♪


2006年07月28日(金)



 友との語らい

楽しい♪
テンションが上がるわけでもなく、また下がるわけでもなく、ただただ静かに流れる時の中で、思考はあちこちに飛ぶのだけど、いろんなものが膨らんでいく。

今日もたくさん本を買ってしまった。
読みかけのまま、PC横に積まれていきます。
読んだ本は本棚へ。
当分読まないだろう本も本棚へ。

とにかく私は、読む本のジャンルがバラバラで、あちこちつまみ食いするみたいに読む。
結婚して子育てに追われて、読書どころじゃなかったここ数年だけど、中学以来の読書の虫が湧いてきて、何とも楽しいです。

来月は大学でお勉強。
心理学を学んできます。
その前に看護記録というお仕事も片付けていかなくちゃ!
…っとその前に、洗濯物の山とオモチャの山も片付けなくちゃ!
…っとその前に、小1の上の子が夏休みに突入して学童に行くので、毎日お弁当作って、そんでもって毎日プールの用意!

ああ…静かに浸ってる場合じゃなかった…


2006年07月18日(火)



 わかることの苦しさ

わかる、わからない、わかるような気がする、わかったつもり、わかるわけない、わかるだろ、わかりたい

いろいろあるよね…
でも、わかるってこと、すごく苦しい時がある。

私がうつ病になる前、バラバラになっている家族ひとりひとりをわかりたいと私は努力した。

2〜3歳の頃、実の親から子どもの恵まれない夫婦に養子に出された私の父。
実父はそこそこの会社の社長。
父には兄と妹がいた。
2番目の男の子として養子に出されたんだろうか?
10歳の時に、何かに疑問を持った父が自ら戸籍謄本を取り寄せ、真実を知った。
養父は子ども嫌いの呑んだくれ、養母は父を溺愛した。

台湾で生まれた私の母。
11歳の時に母親を病気で亡くし、戦後の貧しい中、まだ幼い妹、弟の世話をしていた。
学校にはほとんど通えなかったらしい。
貧しくて貧しくて、子ども時代は家族のために犠牲にならざるを得なかった母。

そんな2人が出会って結婚して、私と妹が生まれた。
私が物心つく頃から両親の不協和音は見て取れて、そこに巻き込まれていった。
大人の顔色を伺うことが、当たり前のように私には身についていた。

いつも誰かが喧嘩している。
仲良く笑い合えてる日は滅多にない家庭。
お互いがお互いの主張を繰り返し、怒号と暴力が飛び交う毎日。
私は年齢と共に、両親に反発するようになっていった。

それでも私には信仰があったし、やりきれない思いとか満たされない思い、理不尽な不条理な出来事も全部、自分の中であれこれ考えて、自分で無理やりでも処理していった。

父と同じように母と同じように、暴力で人を傷つけたり、貶めたり、ウサを晴らしたり、そんなことはもうしたくなくて、自分が同じような人間になることに逆らって生きてきて、親に抵抗することにも疲れて、親にやられたことをやり返すという反抗もじっと耐えてしないように努めてた時期があった。

大人になって親への理解を示し、父と私、母と私、妹と私、ひとりひとりの思いを聞き、愚痴を聞き、文句を聞き、ウンウンわかるよと心寄り添い、なだめすかし、慰め励まし、私を散々傷つけ悩ませてきた人の味方になり、支えになり、バラバラな家族を私ひとりで繋いできた。

『おまえだけは、わかってくれるか?』と嬉しそうに言っていた父。
『あんただけや、話をわかってくれるのは』と何でも子どもみたいに、私に言いに来てた母。
『ねえちゃんだけや、頼れるのは』と言っていた妹。

私はゴミ箱のように、みんなの吐き出し口になって受け止めてきた。
自分のことは後回し、自分の感情には蓋をして、ただただ理解と共感の情を示し…
家族ひとりひとりの立場に立てば、痛いほど気持ちがわかる。
そうなのか、そうだったのか、それは大変だったね、でも大丈夫だよ、安心してね、私がついてるよ…

私はどんどん擦り減っていきました。
それこそ、自分の生命を削るような思い。
みんなの気持ちはわかっても、肝心の私の気持ちを私自身がわかってなかった。
私は私自身によってボロボロになっていきました。

人のことを”わかる”ということは、時として苦しい。
”わからない”でいることの方が楽なこと多いかも。
人としては”わかる”だけど私としては”わからない”そんなこともある。
またその逆、人としては”わからない”だけど私なら”わかる”ということもある。

憎しみで人を殺してしまう人の気持ちは、人として理解はできないけど、私は何となくその気持ちがわかる。
そんな感じです。
でも、何でもわかるわかると、物わかりのいことは言ってられない。
時として”わからない”と声を大にして言うことも大切。
”わからない”ということがわかりましたと言うことも大切でしょう。
とっても難しいんだけどね。
”わからない”だけで話を済ましちゃうと、それはそれで問題ありだし。

とにかく、わかりあえることもあれば、わかりあえないこともある。
それを踏まえた上で、それでも人を認めていく。
人も大事、自分も大事。
尊敬はできなくても、尊重はしたい。
そういったところです。

自己防衛であっても、人のことはなるべく傷つけたくないね。
でもまぁ〜人と関わって生きてる以上は、それは誰も避けられないかも。
答えの出ない問題はそのままにしておくか、逃げるかしましょうか?
私はそんなわけで、親からは逃げてるわけだけど…
向き合って傷つけあうこともあるしね。
それでいいのか悪いのかはわからないけど、今とれる最善の策を取るしかない。

それぞれに人は、出来ることと出来ないことがあるんだよね。
それを私はわかりたいって思います。


2006年07月02日(日)



 大漁

先週の日曜、旦那の仕事仲間たちとキャンプに行きました。
子どもたちも入れたら、20人ぐらいはいたよな。
じゃじゃぶりのあいにくの天気でしたが、オートキャンプ場の屋根がある所を借りて、それでバーベキューなどして楽しみました♪

それで、そのお仕事仲間にモリ漁が得意な人がいて、雨がザンザン降る中、網にいっぱいの魚やら、伊勢海老?、あわび、さざえetcを捕ってきてくれました!
なかなか海から戻ってこないんで、遭難してないだろうなぁ〜とブラックユーモアも出ましたが、大漁で帰ってこられてヤンヤヤンヤ盛り上がりました♪

子どもたちも大喜び!
買ってきていた肉を焼いて食べたり、魚は山ほど食べて、伊勢海老は味噌汁にして食べました。
最高においしかったですね〜♪
私は主に食べる係…楽させてもらいましたぁ〜
でも帰りはグッタリ…でも心地よい疲れでしたね。


2006年07月01日(土)
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