Comes Tomorrow
ナウシカ



 本音と建前を使い分ける人々

あるblogに以下のようなことが書かれていました。
http://d.hatena.ne.jp/real-intention/20060506

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本音と建前の区分けが、その使い分けをする者達にとって、有効に機能するためには本音を知らないナイーブな者達が存在しなければならない。
もしナイーブな者がいなければ、本音と建前の区分けは何の意味もなさず、全く機能しない。
本音と建前を区別する者達は、区別を知らないナイーブな者達を騙すことで、そこから利益を得ようとするのであり、それに対してナイーブな者達が取り得る戦略は、論理的な帰結として、次の二つがある。

1.本音と建前の区別を知り、その区別に騙されないようにする。つまり、ナイーブでなくなること。

2.本音と建前の区分けを廃棄すること、廃棄させること。

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ここで言われているのは、いろいろな場面で当てはまるのかもしれませんが、ナイーブな者の存在という視点は面白いですね、なるほどと頷けます。
本音と建前を使い分ける人は、善意であれ悪意であれ、ナイーブな人たちを意識してのことなんでしょうね。

騙すという言葉はキツイけれど、やはりそこには何らかの目的があるわけで、それぞれの思いがあるのでしょう。
本音ばかりがいいとは思わないけど、建前を本音と信じる人々がいる中で、自分としてはどちら側で行くのかですね。
まぁ〜ケースバイケースかな…


2006年08月23日(水)



 心に灯る人の目

『○○さ〜ん!』
昨日、子どもたちを連れてスーパーに買い物に行ったら、ふいに後ろから声をかけられました。
振り向くと、前の職場でお世話になった診療所の受付の人。

『子どもさん、大きくなったね〜』という会話から『今年も楽しみにしてたのよ〜写真付きの年賀状…』
そう…今年は誰にも送らなかったのです…診療所の院長からも年賀状が届いていたけど、お返事も書かず…それは喪中だったから。

私はどう言おうかと躊躇いながら『ああ…身内に不幸があったので…誰にも出してないんです…喪中のハガキも出さずにすいません…でも来年は出しますから♪』

そう…まだ実父が亡くなったことはリアルな知り合いには言ってないんです…っていうか、私の家族、親族にも言ってない。
だから、うちの旦那は普通に年賀状出してた。

父が亡くなってから1年以上経って、だいぶ私の中では落ち着いてきました。
…というか、父という存在からやっと解放されて、街中を歩いている時に父の影に怯えないでも済むようになったから。
似ている人を見かけても、ドキっとすることはなくなりました。
だって、もうこの世にはいないんだもの。
それだけで、ホッとしているんです。
こういう感覚は、同じような体験した人にしかわからないことだろうなと思います。

今日、久しぶりにかつての仲間と言ってもいいのかな?、私がネットをやり始めの頃にお世話になったサイトを見に行きました。
『家族という名の強制収容所』

ただただ吐き出すことが必要だった時期。
ただただ聞いてもらうことが必要だった時期。
ただただ共感し合える仲間が必要だった時期。

今はそういうのも卒業して、現在と未来を見つめ歩き出している自分。
過去に囚われ、深く悩むことはなくなったけど、新たな課題はたくさんある。
これは私の問題。
過去がどうとか、親がどうとか、そんなのは関係なく、私自身の問題として乗り越えていきたい。

カウンセリングもカウンセラーといろいろあって、取り合えずもう行かない!と決めていて、腹をくくって、調子が悪くなる冬に備えて鍛えの夏って感じで、いろんなことに向き合い挑戦していきたい!

そう言えば8年前、抗うつ薬をもう飲まないと自ら決めて、新聞の代配に挑戦して、それで徐々に自分に自信をつけ職場復帰もし、その半年後には妊娠、出産、子育てと追われてきた。
いろいろなストレスで喘息も再発したけど、吸入薬片手に今日も元気♪

そうそう、その以前お世話になったサイト『家族という名の強制収容所』
管理人である彼女もいろいろあったのよね。
もうメールやり取りすることもないけど、離れたところから、そっと見守るような感じで、時々気にしながら見てた…勝手に。
詩集を一緒に出した仲なので、同志のような気分になってるのよね。

今日、久しぶりに覗いてみて、ちょっと涙出てきた。
彼女も山を1つ越えたような感じで、幸福そう?だった。
なんか共感できる感情がたくさんあるから、よけいにちょっと自分のことのように嬉しかったりする♪
良かったね〜ほんとに良かったね〜と思うし、私も負けずに頑張ろうと思える。
交流を持っていた時期は短かったけど、こういう関係もいいもんだなと。

また見ていてくれてるかどうかわからないけど、ほんとに短い期間で私を理解してくれて、ありのまんまを受け止めてくれた人がいた。
ビックリするぐらい急速に私を知ろうとしてくれて、また全てのことを肯定してくれて、また取り繕わず正直に何でも話してくれた人。
その人とは、たった1度食事しただけで、その後は一切メールもしてないけど『ずっと見てるから…』と言ってくれて、最後握手をして別れた(恋人ではありません、念のため)

感覚的に似てる部分が多かったから親友になりえた人だったけど、諸事情があり連絡を絶ちました。
かなり寂しかったけど、涙は見せず笑顔でさよならしました。

でも、そういう目に見えない人の目とか、温かな心とか、そういうの生きていく上で、とても励みになる。
私の心には親の愛がない。
今まで、そういうものを感じられない人生だったので、身に染みて有り難いのです。
ほんとに感謝感謝です。
ありがとう♪

ちょっと書き過ぎたかな…


2006年08月03日(木)
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