Comes Tomorrow
ナウシカ



 自分とは何者なのか?

自分の中に芽生える様々な感情…
なかなか言葉にできません。
どれも矛盾に満ち溢れたものだから…

なんて人間は複雑な生き物なんだろう。
こんな相反する矛盾した気持ちが、一人の人間の中に共存するなんて!
自分本人すら理解できない心を、他人が理解できる訳もない。

切り貼りした言葉の羅列なら、いつも書くことはできるけど、読んでくれる人のことを考えると、なかなか書けない。
それは人のためというよりは、相手の反応が怖いというのがある。

私のためを思っての、どんな言葉も、今の私は反論してしまうかもしれない。
自分自身、考えをつき詰めると、感情が責め合って、どうしようもなくなる。
だから、棚上げして、日々を淡々と過ごしています。

事情を多少知ってる人は、私のことを冷淡な冷酷人間のように思うかもしれない。
心が、かなり病んでいる人だと同情するかもしれない。
何とか救ってあげようと、情熱を燃やす人も出てくるかもしれない。

だけど、私を知り、私を救える人は、ただ一人…
私だけです。
辛くても、とても困難な作業でも、それは私がするしかない。
もう覚悟を決めました。

一人で生きていこうとは思わない。
一人で生きてこれたとも思わない。
だけど、私は鏡に映った自分自身を、真っ直ぐ見つめ、その時々を生きていこうと思います。

人の一生なんて、あっという間…
悩んでる間に、もう最期の時が来てしまうかもしれない。
その時に、現実を静かに受け止められる自分でいたい。
私という人間を理解していたいと思います。


2005年02月28日(月)



 自己責任

自分がやってきたこと、やらなかったこと、全てに自己責任は発生する。
自分や他人に言い訳したって、何を分析したって、今ある現実…事実は変わらない。
どんな状況になろうと、どんな感情が押し寄せようと、それは自己責任でもって受け止めるしかない。

『もし…○○だったら?』
『もし…○○していたら?』
その後の結果が、必ずしも想像どおりの結果を生むとは限らない。

こういう結果が出たから、今の感情もある。
こうならなければ、今の感情とは、また違う感情が出ただろう。
それは、想像すらできないことかもしれない。

いいのか悪いのか、わからない。
不思議な一連の流れ…

自分が望んだから、こうなったのか?
それとも、また違う力が働いたのか?

いずれにせよ、過去の責任を取ることはできない。
もう取り戻せないのだから…
ただ逃げず、受け止めるしかないのか…

私は、未来に責任はある。
今ある生活に義務は発生する。
権利でもある。

必死に守ってきたもの。
そのために犠牲にしてきたこと。
両者を同時に取ることはできなかった。
どうしてもできなかった。

どっちに転んでも苦しかったかもしれない。
辛かったかもしれない。
後悔…そんな言葉では片付かない。

ただただ、人生を生きるしかない。
目をつぶっては、前が見えない。

最後の最期に責任を取ればいい。
誰も代われない、自分の人生だから…


2005年02月25日(金)



 何のため?

大学は本来、学問を究めるためと、何らかの資格を取るために行くものだと思うんですが、何となく大学に行く人、親が行けと言うから行く人、社会に出る前に、もうちょっと遊びたい?から行く人、ただ大卒資格が欲しいだけで行く人もいるかもしれませんね。
あまり、これといった理由もなく大学に行き、何も糧を得ることなく大学を卒業する?人は可哀想な人ですね。

家が経済的に苦しくて、大学に行けないという人もいるかもしれませんが、大学というところは、行く気になったら誰でも行けると思います。
二部もありますし、新聞奨学生で行く人もいます。
私の友達は、その新聞奨学生で大学を卒業しました。
女の子です。

通教(通信教育)したり、30歳をとうに超えてから行ってる人もいます。
驚くことに、60,70,80歳の学生もいたりします。
私が、19歳で看護学校に入学した時も、クラスには40歳の人がいたし、他のクラスには、どう見ても60歳を超えた、少し腰の曲がり始めた人もいました。

この不況で、有名大学を卒業していても、就職先がないということで、中卒でも受験資格がある看護学校に、わざわざ受験しにくる中年男性もいたんですよ!
今や、紙切れだけ(形だけ)の大卒資格は、小判で買い物をするようなものかな?

大卒資格も全く無意味ではないけど、やはり仕事ができる人、人にはないアイディアを出せる人、人を使うのが上手な人などが、社会で成功しているのではないでしょうか?

親が金持ちで遊んで暮らせる人は、一見楽しそうに暮らしているかもしれないけど、実際はどうなんでしょうね?
虚しい浅はかな人生ではないでしょうか?

私は、高3の11月に親が離婚したことで、大学には行かず、看護学校に進学しました。
高校は進学校で、文系進学コースのクラスに入っていたので、クラスメートの多くは大学に行きました。

私は、産婦人科医院に住み込みで、朝と夜働き、昼間は看護学校。
お産は昼も夜もないので、夜中に叩き起こされて徹夜仕事もありました。
それでも、朝から仕事は休むことなくして、昼は学校。
日曜日も、お産があるかもしれないので、遊びに出ることも許されないし、実家に帰るのも、ほとんど許されませんでした。

それでも看護師の資格を取るんだって、希望があったから頑張ってこれたけど、高校の同窓会に行けなかったのは辛かったですね。
住み込みの寮に、個人の電話は引けないので、いつも外部からの電話は院長に取りついでもらわなくてはいけなくて、実家からの電話以外は、嫌味を言われながら気を使わなくてはいけなくて、こちらからも公衆電話しか使えないから、あまりかけられないし…

正直、大学生活を謳歌している友人の話を聞くと、本当に羨ましくもありました。
でも、今の苦労は絶対実る!良かったって思える時が絶対来る!って自分に言い聞かせて、頑張ってきました。

そうして今は、逆に周囲から羨ましがられてます。
『資格があっていいわね〜』
『給料良くていいわね〜』
(私は、そんだけ苦労してやってきたんだよ!)と言いたいところを、『いやぁ〜そうかなぁ〜?』ととぼけていますが…

でも大学に行くことは、まだ諦めてなくて、高校を卒業する18歳の時の(いつか必ず、どんな方法でも大学に行ってやる!)との夢は、未だに持ち続けていて、今から楽しみにしている夢の一つです♪
でも、ただ行くだけでは何の意味もないので、今から、それを見つけたいと思っています。
『何のため』ということを。


2005年02月21日(月)
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