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遺書と屍
羽月
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2008年12月27日(土)



久しぶりに、あの子と駅で会った。
本当に偶然で、わたしは一瞬あの子に気付かなかった。あの子が気付かなかったら、多分通り過ぎていただろう。
最後に会ったのは10月の半ばだったかな。一緒にご飯を食べに行った。その後も食事には誘ったけど、ドタキャンされてからは仲間内からは中々誘わないようになっている。
あの子との付き合いも、三年になる。もう四年目だ。あの子は変わらない。いや、変わったのかな。少し大人になって、少し分別がついた。
でも、あの子はきっともうこっちには帰ってこないな、と思った。
友達を大事にする子だから、あっちの付き合いをもう切らないだろう。わたしとか、こっちの子たちとの付き合いが元々希薄だったんだろうなって思う。
わたしは、友達を見るとすぐ自分だけの友達にしたがる。それはとても悪い癖だ。こんな年になってまで、子供っぽくて恥じるべき性格の一つ。勿論他にもたくさんあるけど、これはそのひとつ。
だから、ずっと前から感じていたけど、とても寂しいんだろうなって、思う。虚勢を張るのはわたしの悪い癖だから、知り合いは誰も存在を知らないここで言う。わたしの悪い癖。見栄っ張りなところ。

それとは、・・・同じ、なのかな。わたしはあの子も多分、心配だ。ほっとけない子に構って世話を焼くのはもう習い性みたいなものだ。あの子はもうわたしの手の届くところにいないし、どんなことをしているのかも知らないからわたしが心の中で祈るだけ。あの子が健やかであればいいのに、と。
でも、傷つかなければいいのにとは言わない。傷は痛いだけじゃないって思うから。痛いだけで終わったら、ただの馬鹿だ。それならそれでいい。でもできれば、痛みから何かを拾って欲しいとも思う。あの子が傷つくのを前提で言っているわたしは随分と酷い女だ。そして馬鹿だ。

あの子はあの子の道を行くし、わたしはわたしの道を行く。
あの子とわたしの道は一瞬交わっただけ。
楽しかったし、嬉しかったし、悲しい思いもした。怒ったし、泣いた。
まるで愛の告白のようだ。
またこの先も交わるかもしれない。それは多分、だれにもわからない。
わたしが歩いていれば、いずれそんなときも来るだろう。
もう、へたり込んでいるあの子を支えることは出来ない。もとから多分、結局そんなことは出来なかったんだ。
だから、これは別に決別じゃない。
「じゃあね」で「またね」。
この偶然は多分、偶然じゃなかったって思うよ。
ばいばい、またね。



2008年12月24日(水)



止まない雨はなくて、明けない夜はなくて。
でも確かに、目を閉じ口を縫い蹲ってしまいたい瞬間はある。
雨など止まなければいいと、夜など明けなければいいと、願ってもそうならないと知りながらも憎むような強さで祈る夜がある。
わたしは結局何処にもいけなくて、ずっとここで蹲っていただけ。
差し出された腕も、せかいのこえも全部振り払って、悲しみに沈みたかっただけ。
でも世界はわたしを許してくれなかった。
こどもじみたわがままは終わりにしなきゃ。もう守ってくれるひとはいない。
わたしのせかいにわたしはひとりきりだから、わたしは、もうひとりで歩かなければならない。



2008年12月20日(土)



ゆるさないでください、と請うことは、ゆるしてほしいと願っていることと恐らく同義なのだと思う。
到底許されないほどのことをし続けている。無為に時間を過ごすことは、何にも代え難い罪だと思う。消費をするばかりで何も生産しないなんて。ことばも。感情も。それすらも、つくりださないなんて。しんでいるとおなじじゃないか。
浅ましくもだれかに請いたい。ゆるしてくださいと、請いたい。
それができなくて、わたしはゆるさないでくださいと呟き続ける。

*

笑えとか、泣くなとか。わたしが自分に課したことを裏返してみた。笑えるくらいに浅ましく、わたしは楽になりたかった。
ずっとわたしは笑いたくなくて、泣きたくて、許して欲しかった。
ただしいせかいはわたしをいちども断罪しなかった。だから、そのつけはきっと今から来る。時間は有限で、わたしはその時間を無為に過ごしすぎていた。
せかいはほんとうに、ほんとうに、なきたいくらいにただしくて、まちがっていればいいのにって、本当はなんども祈った。
わたしを罰してくれればいいのにって、何度も祈った。
罪を幾つも隠しながら、それを暴かれる日をほんとうはずっと待ってた。
でも、やっぱりせかいはただしかった。
それがわたしへの罰になるってしってた。

*

いきています。
死ぬことはできません。
わたしはわたしの責任が在るからです。
ここに生きてしまったという責任があるからです。
わたしが存在していたという責任があるからです。
わたしは、わたしが出会ったすべてのひとに、わたしと出会ってしまったという責任を取らなければなりません。
その責任は、きっとわたしをずっと生かすものになります。

わたしと出会ったことで不幸になった人に、
わたしと出会ったことで幸福になった人に、
わたしと出会ったことで何にもならなかった人に、
わたしは、すべてに、責任があります。

ここに生きてしまいました。
存在を残してしまいました。
後悔しているかもしれません。それでもとても幸福でした。
もう楽になりたくて、それが出来ないことも知っています。
ここに生きてしまいました。
ここに、生きています。
今もまだ、生きています。
心臓は、動いています。

悲しくなるくらいにいとおしく、生きています。生きています。それだけで、涙が出るくらいに。

*

メール、読んでいます。ありがとうございます。
お返事が出せなくてすみません。少しでなく筆不精なもので、これから先もお返事を返せる見通しが立ちません・・・・
メール機能を付けていながら申し訳ないです。すみません。