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■ 紅葉ドライブ
今日はチーフと軽井沢をドライブ。 街中を避け、プリンス通りよりもずっと南側の別荘地を登ってみたりして。 道路は落ち葉でいっぱい。 山は、針葉樹の緑の一帯、霜?で葉っぱのない寂しい一帯もあったけど、大体はいい感じで黄色〜赤。 のんびり走り抜けただけだけど楽しかったです。 残念なのは写真を撮ってこれなかったこと。 カメラ持参しなかった更夜がおばかなのです。
◆邦人人質、殺害されてしまいました。 テロリスト側は、こんな方法しかないのかな? 無意味に人命ばかり失われていく。 そもそもはこの戦争が終わらないことが一番意味が分からない。
今回も、前回も、国に助けをもとめるのはどうかと思う。 亡くなった方を責めたいとかいうんじゃなくて、ね。 日本という国家が、「邦人」という理由だけで助けるべき・自衛隊を撤退させるべきという風に国家のあり方を批判する人に違和感を持つ。 人命は救えるものなら救うべきだし命は尊いものだということにはもちろん依存はないけれど、そもそも命の保障のないところ・・・というよりも、むしろ生きて帰ってこれたらいいね、っていう場所へ自らが足を踏み入れているということ。 何かあって助けを求めるくらいなら行くべきじゃない。
更夜はそう思います。
大使館の人だとか、NPOだとか自衛隊員だとか、要請をうけて行っているわけじゃない。 制止を振り切って、もしくは許可はされないだろう状況で勝手に足を踏み入れておいて国家が保護するべきだというのはおかしい。 権利というのは無条件に与えられるものじゃない。 それ相応の義務を果たしてこそ与えられるものではないでしょうか? 国家に保護されることが権利として認められるには、最低限、国のやり方に従う必要があるのではないでしょうか?
例えば、前回の人質になった方はイラクの人々の新の姿を伝えるだとか、劣化ウラン弾の影響を国や国連が調査をしないから自分が行くんだということを言っていたけれど、個人が一人二人行ったところでどうにもならないことだと思う。 業を煮やしてこの目で、というのではなく、国や国連の重い腰を上げさせるためになにか出来ないか。 そう考えるべきだと思う。
現地に行ったところで、個人のレベルでできることはない。
それが更夜の考えです。
2004年10月31日(日)
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