トルストイの 『悪魔』は先日読み終えた『クロイツェル・ソナタ』と同時に掲載されていました。
『クロイツェル・ソナタ』を読み終えた勢いで続けて読んでみました。
『クロイツェル・ソナタ』の方は、夫が嫁を嫉妬のあまり殺してしまうのですが、『悪魔』の方は、婚礼前に抑えがたい下半身の処理に、ちょっとばかしお世話になった女性が忘れられなくなってしまう状況に陥ってしまいます。 「妻」を殺して「その女性」と一緒になるか、「その女性」を殺してしまうか…ピストルを用意したのちの一瞬の判断の結果は自殺でした。
この『悪魔』は『アンナ・カレリーナ』同様、実話を元に書かれています。
実際の事件は、かなり続いた情婦(ある女性)と、ふぃに別れて別の女性と結婚した男性が、3ヶ月後現れ、かつての情婦をピストルで射殺してしまったのです。
男性にとって、かつての情婦は『悪魔』だったんです。
女性の方は人妻で、かつての情夫なんてものは眼中になく、次から次へと新しい情夫を取りかえてはエンジョイしているのに、男性側だけが生真面目さゆえか、その場で足踏みを繰り返し、女性を忘れられないでいたのです。
忘れられないのは肉欲だったという方が適切かも知れません。
物語は“白いふくらはぎ”や“溌剌とした肉体”に惑わされ、避ければ避けるほど逆効果として狂おしく相手を求めてしまう男性の懊悩がこれでもかという具合にえがかれています。 旅行へ行ったり仕事に熱中したり…も、意識を変える手段とは、ならなかったようです。
ひとたび『悪魔』に魅入られたのなら、そうなってしまうのかも知れませんね。
私は、私自身の望むことは何かはわからないけれども、性の欲望に突き動かされて、どんどん破滅への道を進んで行くような理性の無くし方はイヤです。
肉体はいずれ枯れ果て、大地へと還って行くのに、 『人間の尊厳』を無くしてまで、相手に執着する理由はなんだろう?
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