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HELEN&HEAVEN
Helen
MAIL

2003年08月22日(金)
生きるということ1

夕べは、久しぶりに大腸癌から癌が再発した知人の病室を見舞いました。
大腸癌そのものは切除して人工肛門に切り替え…1年後の最近、リンパと肝臓に移転しているのが発見されたのです。

癌細胞そのものは肉眼ではわかりにくい部位にあるとお手上げで、仮にメスをいれてもキリがないらしいです。かなりシンドイ点滴の抗癌治療をしているようでなかなか見舞うタイミングがはかれませんでした。

普段はウサギさんにおびえる彼ですが、今は、プロレスラーにでもキレるので、もうちょっと待って下さい。と、本人からメールが来ていたからでした。

彼は、本来なら今月退院する予定でした。

週に1回の抗ガン剤治療がもう「1クルー」伸びるから、退院予定も延びました。

「吐いてでも、自分のクチで喰う!」と点滴の栄養を拒否している彼です。
たこ焼きのリクエストがあったので退社後に買って持っていったところ…病室に本人の姿が見えませんでした。
しばらく待ってみたものの…戻ってくる気配がないので、スグ隣にある談話室に行ってしばらくテレビをみていました。ゼンマイ仕掛けのようなユルリとした動作が可愛い入院患者ジィちゃんが2人居ただけでした。
談話室から外の気配はみえるのですが、そのうち、若いお姉ちゃんが彼の病室に入って行きました。わりと血相を変えていたので『もしかしたら彼女かも?』と想像したんです。

ただでさえナーバスな病気にナーバスになっている彼女でしょう。
刺激しないで帰ろうと、同じ病室に入ろうとするジィ様患者さんにたこ焼きを託して帰ろうと、エレベーターで階下についた途端、携帯電話がなりました。

彼が階下まで降りてくるというので、あわてて「私があがります。」と制して戻りました。どうやら彼女ではなかったようです。交友関係がひろく若いお姉ちゃんが大好きな彼の元へは、女の子の見舞いが多くて、どれが本命の彼女か判別しにくくブッキングしないように非常に気を遣います。
彼がいうには『別に本命はおらんけれど、一人だけ、気持ち的に近寄ってきてる女の子がいる。』らしいんです。
いきさつ等聞いていると「なるほど、その気にさせちゃうね。」というような手段で籠絡しています。じつに、ズルイ男です。(笑)

それだけ一緒に居てお話ししていたい気分にさせてしまう引き出しのとても多い男でもあります。

さて、大の男が意識朦朧とし、自ら命を絶ちたくなるほどの抗癌治療をつぶさに聞いて、恐ろしさに身震いしました。
私ならきっと耐えきれないでしょう。

つづく…



2003年08月17日(日)
片づけられない理由


私は片づけがへたくそであります。
「片づけられない」を厳密に言えば「片づけたしりから散らかっていく」が正しいでしょう。

このお盆の間、十年来つきあってきた冷蔵庫とサヨナラしました。

私の気まぐれな模様替えにより、台所の数カ所を移動した十年冷蔵庫は、今年に、弾みにより冷蔵庫背面にある蒸発皿がズレたようで、蒸発の機能を失ってしまいました。
古い2ドア冷蔵庫の野菜室の下に水が溜まるようになったのです。

庫内は多少湿気てはいるものの冷蔵機能も冷凍機能も、なんら問題がないのでドア開閉のたびに拭き取りながら使っていました。
…が拭き忘れの時など庫外に洪水がおき、だんだん、嫌気がさしてきたのも事実です。

冷蔵庫用に貯金していたのがそろそろほどよい額に達してきましたので、お盆の間、家電製品をみに行ったついでに新しい冷蔵庫を購入してしまいましたんですよ。

冷蔵庫搬入にあたり通路をあけたり、台所を含め通る部屋を大掃除しました。

この際だから、要るもの・要らないものを分けようにもなかなか判別つきがたく、時間のかかるものでした。
今、途中で嫌気がさしたので(またかい?)パソコンに向かっている次第です。

要るものと要らないものを区別しながら、それぞれの物の位置決めをしていきました。
冷蔵庫搬入において邪魔になるリビングサイドボードの上が、私のデスクトップ置き場となっていたんですが、他にも化粧品やがらくたの山々でした。( ;^^)ヘ..
それらのものを一旦のけると………なんと広々とした空間でございましょう?!
(大改造!劇的ビフォア・アフター風ナレーションで…)

空間があるというのは、心まで広々としてくるもんですネ。

「よし!サイドボードの上はなるべく広く使おう!」決意した私は、サイドボード横にあった鏡台を撤去しました。
(元来、お化粧は居間のテーブル上でしていたから問題無かったんです。)

鏡台は、一般的に各家庭にあるものだから…という理由だけでおいていたような気がします。
他にも、各家庭にあるようなタンスという物は私は持っていません。
コートやオーバー類は押入の上段につり下げられるようにしています、押入クローゼットですね。
折りたためるものは殆ど、半透明の引き出し付き衣装ケースで管理しています。
適当にものを突っ込むクセがある私は中身がわからないと収拾がつかないのです。脱線しました。

さてサイドボードの横の鏡台のあったスペースにデスクトップを移しました。
あとは、居間の伊藤さんの長いすを撤去させていただきました。
たぶん、物のなくなったサイドボードの上で、のびのびされることと思います。
あれもこれも捨てたりしまい込んだりしている時に、ふと、気づいたのですが、

元来、“決められた物の位置”があったはずで、使って元通りにしながら実は、元通りにしないことのほうが多いんではないか?
あたり前といや、あたり前のことが、できていなかったのでございます。

物は持たずにシンプルに生きるのが一番でしょうけれど、そうは行かないときに、せめて一つ増やしたら一つ捨てる勇気を持ちたいと思っています。
あとは、『決められた位置に、決められたモノを!』が明快なルールですね。

それでは、片づけに戻ります。…しぶしぶ( ´・ω・)




2003年08月11日(月)
100年経てば…

「あと100年経ったら、今、存在している我々は皆死んでしまっていない。電車の中の面々を見ながら、ふと思うの…。」とG藤さんが時々おっしゃられます。

時間というモノは無尽蔵にあるように錯覚してしまいがちな毎日ですが、お正月が来たらゴールデンウィークが過ぎればお盆休みで、そうして「師走は、ほんませわしのぅおすなぁ〜」と、年の瀬に嘆いてみたりします。

肉体は万有引力の法則に忠実に従い、老いは確実に我と我が身にもやってきます。
脱線しますが以前、SFに少しはまっていた時があって眉村卓(時をかける少女の作者ね♪)や小松左京、星新一は今でも時々読みます。

小松左京の作品の中に関西人のオッサンは自分のヨメのことをほぼ例外なく「うちとこのオバハン」とオバハン呼ばわりするという描写があっていたく感心したことがあります。

例:「うちとこのオバハン今、買い物行ってまんにゃわ。」

そして関西のオバハンは自分の旦那のことをほぼ例外なく「うちとこのオッサン」と呼びます。

例:「うちとこのオッサン、休みになると“トド”みたいにゴロゴロ寝てテレビ見くさってるか、パチンコ行きくさっとんね!」てな感じです。

私はこの「オッサン」「オバハン」呼ばわりに愛情と照れくささとが入り交じったシャイな関西人の魂を感じてしまうのです。
脱線しました。もとに戻ります。

さぁ、「我こそは100と幾つまで生きてやるぞ。」という意気込みのお持ちの方ならともなく、

今現在、小学校に上がりたてのボクちゃんだって、二十歳のピチピチギャル(死語)だって、40歳代の“美味しい女性”だって、60歳代の“老いてなお盛ん”なジィさまだって、

100年後には存在しない不思議を時々考えています。

歯医者のジィちゃま先生は80歳過ぎ…

「僕はどう長生きしたって、あと10年も生きられないから。」が口癖です。

長生きして欲しいんですが、それを言うと個人差はあるが「ある年齢を超えると社会性が失われる。」らしいです。
そうかもしれない。
今だって、わけのわからん電話をくれるときがあるもんな。

そんなことをツラツラ考えるに、人の一生って言うのは案外短い。

短いなかにいろんな見聞と知識と経験を詰め込みたいものだと最近思っています。

あれもこれもしたいです。




2003年08月07日(木)
野菜考

お料理をしているとき、時々思い出すのが、私に『オペラッタ』が憑依した、あのしもた屋風の串カツ屋での会話。

コースの中に串カツは勿論のこと『地鶏の鍋』もあったのですが、その鍋にいれる白菜の先っぽが4cmほど、「シャッキーン!」と切り落とされているのを見て、一人のうんちくたれ蔵が仰いました。

「お百姓さんはなー、自宅では、こんな風に野菜の先っぽを切ってから食べはるのやで。」

なぜか?

「野菜の先っぽって毒素が溜まっているのやって。」

私:「それは農薬のことですか?」

「違うよ。野菜の元来持っている“アク”みたいなの。お百姓さんは自分で育てているからわかっているのだな。」

('ε') フーン  … ひとつ賢くなりました。

ニラやネギを切るとき…時々思い出してカットしてみますが、時々、忘れてしまいます。

…ていうか、キャベツの時はどうしたら良いんでしょう?

そんなことを思いだしながら、今日、鹿児島から送っていただいた黄金イモをふかしていると、Y子ちゃんのことが甦ってきました。

Y子ちゃんは高校生時分の同級生で、同じ部活でした。

その頃、Y子ちゃんの身体の弱かったお母さんはもう他界していなく、Y子ちゃんはお母さんの遺言とも言うべき「野菜など好き嫌いしないで食べなさい。」お約束を守っていました。
さらにすすんで枝豆の外皮(袋)まで食べながらY子ちゃんは「野菜は皮に栄養があるのや。こうやって丸ごと食べるとゴミも出ないし節約にもなる。」と言っていました。

真似して食べてみたが、芯がクチのなかに残ります。(;´Д⊂)
Y子ちゃんはエライなぁ。

何年か後、部活の同窓会でY子ちゃんに出会ったが昔のままほっそりとした体型の彼女でした。

「Y子ちゃんは、相変わらず、スタイル良いねぇ!」感心して言うと、彼女はきゅうに胸を反らし…

「オンナは、太ったらお終いや!」とのたまうのです。けッ(・д・)

あいかわらず、考え方は飛躍しすぎだし…外見だけでは人間性ははかることはできませんよ…とは内心思ったが、ウマの耳に念仏と思い黙っておきました。

よくTVなどで『賢い節約主婦』等の特番が組まれています。

賢い節約主婦は…ネギの根っこ付きからまたネギを再生し、にんじんのヘタからにんじんの葉を再生し、
お茶がらで佃煮をつくり、大根の葉・大根のへたなどをみそ汁の具材などにしておかずの品数を増やし、なおかつ、生ゴミが出ないため必然、節約名人の異名を取ります。

しかし、お百姓さんの説を選択するとなると「さきっぽの毒素の溜まった部分」を切り落とさないとひどく身体に悪そうです。

ここで「節約したいが身体に悪い。」という逆説がなりたち、

健康>医療費>節約のジレンマスパイラルに陥ることになります。

漂白野菜などが出回っている昨今…“野菜で健康促進”は“サプリメントで健康促進”に取って代わられそうな気配です。