『この先、誰かと暮らしはしても結婚は無いと思うし、死後は葬式もお墓も要らない。』
そう、おしゃべりの合間に意志を伝えると、
「......そういうわけには、いかへん。」
喜怒哀楽のうち、 『怒哀』 の入り交じった表情で母は、反駁した。
冗談と受け止めるかと思ったけれど、真面目な様子を汲み取ったのは、母たるゆえんですね。
このじゃじゃ馬ムスメのこと、よく理解してくだすっています。(笑)
たまに自分が『生まれてきた理由』を考えたりする、すぐに日常に引き戻されるけれども。
よくはわからないけど、きっと理由なんかはどこにも無いのかも知れないね。
「生まれてきてゴメンナサイ。」とも、たま〜に思うことがあるのです。(太宰さんの本の表題だ。)
なにかの拍子で、(そもそもささいなことではあるけれど、)どうも生まれてきたことに関していくばくかの“やましさ”があるような気がする。
なんでかわからない、そんな感情が深層心理の奥の奥、タマネギの芯の部分に居てそうだ。
平素は、物理的に私よりかは寿命が長いであろうと思われる弟に頼んで、死に水取ってもらお!と目論んでマス。
骨は、大好きなアメリカの海に流してくんな。
財産は何も残せないけど、私の火葬代と彼の往復の旅費飛行機代を貯蓄して置かねば・・・。
人生の終焉はそんなふうな用意を周到にしてから迎えたいと、常日頃思っております。
そんな死後の処置を望んでいらっしゃる方は意外と多いようなのです。
だけれど遺族は、それを許さないでしょうね。
儒教の影響も色濃いし、うちの母なんぞも、「お墓が無いと魂が成仏できずにさまよってしまう。」と堅く信じております。
世間体といふモノもありますし。。。
遺言をしっかりしたためて置くことにしよう。
「言った通りにしてくんなきゃ、化けて出る。」
それでも、葬式を強行されそうになったときのために、今から≪同盟≫なぞをくんで、皆で順にジャマしに行きましょうよ。
≪同盟≫の理念は簡単ですよ。
「式無し、墓なし、財産なし。」
せめて死に際くらいは、スマートに決めたいな。
|