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2016年03月31日(木) ■ |
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Vol.839 はじめての眼科 |
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おはようございます。りょうちんです。
確か小学1年生から2年生になる春休みのちょうど今くらいの季節、桜がもうじき咲くか咲かないかといった頃だったと記憶している。俺は目のケガをしてしまった。右目だったか左目だったかすっかり忘れてしまったが、目の中に鉄屑が入りそれが眼球を傷つけ、白目の部分がウサギの目のように真っ赤に炎症を起こしてしまった。当時はまだ視力も良かったのだが、炎症のせいで視界がぼやけて見える。そもそも目そのものが腫れてしまっていたので、しっかりまぶたを開けることもできない。朝起きると大量の目やにで目は開かないし、汚い手で触ると余計にひどくなると言われても無意識のうちにこすっちゃうし、近所の薬屋で買ってきた眼帯をやったところでもううっとうしいったらなかった。そんなわけで、両親に生まれてはじめての眼科に連れて行ってもらうことになった。 今なら市内に眼科はいくつもあるし、総合病院にも眼科が備わっている。だがかかりつけの小児科ですら我が家からは車を20分も走らせなければならなかった時代、市内では「羽鳥の目医者」と呼ばれる眼科以外に選択肢はなかった。ただこの「羽鳥の目医者」はすこぶる評判が良く、名医として非常に有名だった。 さて、ここからは一般的な病院や医院の固定観念をすべて捨ててから読んでほしい。「羽鳥の目医者」はかなり辺鄙な農村地にあり、広がる田園を抜けた森の中にぽつぽつある集落に名医は住んでいた。昔ながらの茅葺き屋根の大きなお屋敷が住居兼診療所になっていて、敷地内には庭木がきれいに手入れされていた。広い玄関に入り、三和土で靴を脱ぐ。土間から上がった待合室は畳敷きの和室で、患者たちは部屋の片隅に積まれた座布団を各々持ってきて、そこに正座や胡坐をかいて座って待つスタイルだった。板張りの廊下の奥の診療室はさすがにフローリングで診療台はベッドだったが、部屋の造りは紛れもなく純和風だった。 先日相方にこの話をしたら、たった40年足らず前にそんな町医者が存在していたなんてと、ひどく驚かれた。俺もその時一度しか訪れていないが、確かにかなりインパクトはあった。残念ながら俺が訪れた直後に高齢のため廃業されてしまったと聞くが、そんな町医者がいたら病院嫌いな俺でも行ってみたい気になる。
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