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2016年04月30日(土) ■ |
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Vol.840 桜熱 |
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おはようございます。りょうちんです。
「今夜から降り始める雨は本降りになり、風も次第に強く吹くでしょう。桜にとっては花散らしの嵐。満開の桜も今日が見納めになってしまいそうです!」 桜が見頃を迎えた今月上旬、天気予報で女性キャスターがそう伝えていた。毎年この季節、桜の花の咲く頃になるといつも、TVなどのマスコミでは桜に関する話題で持ちきりになる。ニュースでは今年の開花予想日はいつだとか、今日はどこでソメイヨシノが開花しただとか満開になっただとか。二言目にはほとんど桜の花に関する話題を持ってくるのだ。この季節に咲く花は桜だけじゃないのに。ユキヤナギもレンギョウもモクレンも、桜と同じ時期にきれいに咲くのに。 「桜ソング」なるものもここ何年かのブームだ。昔は今ほど桜を歌った曲は多くなかった。しかし今、毎年春になると何かしら桜に関する歌詞が散りばめられた曲が気がつけば流れている。過去にヒットした名曲と呼ばれる「桜ソング」は確かに存在するけれど、ここまで誰もが桜ばかりを歌っていると、何だかありがたみがなくなる。と言うか、むしろ少し幻滅してしまう気さえもするのだ。 最近の日本の「桜熱」は、やや過剰な気がする。それぞれの花は季節ごとに色鮮やかに咲き、花を愛でることによって四季の移ろいを感じることができる。花は桜だけではない。なのに、桜の花だけがどうしてここまで特出されるのか。 予報通り、夜になって風雨が強まり、本格的な春の嵐が過ぎた翌朝。桜の花も今年はもう見られないだろうと思いながら、通勤途中の川沿いの桜並木にさしかかった。すると、すべて散ってしまったと思っていた桜の花は、激しい雨風に負けずまだまだ見事に咲き誇っていたのだ。信号待ちの渋滞の間、その桜の花を車の窓越しにずっと見上げていた。改めて見てみると、心の底から本当にきれいだと思った。そうか、桜だ。桜はやっぱり特別なんだ。花見といえば昔から桜と決まっているし、華やかながらも儚い桜の花の命は日本の美学の象徴なのだ。だからこそ桜の花だけが特別だということに、花を眺めていて俺は改めて気がついた。 ちゃんとしたお花見は、今年も俺はできなかったけれど。日本人の心を持っている人なら誰でも、桜に特別な思い入れがあっておかしくないのかもしれない。
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