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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2017年03月29日(水)
Vol.851 スペイン語を学ぶ

おはようございます。りょうちんです。

一昨年にミャンマーを訪れることになった時から学び始めたミャンマー語も、2年間も毎日運転中にCDを聞いて勉強していればそこそこ上達したと自分では思っている。直接ミャンマー語で誰かと会話する機会がないのでどのくらい自分の語学力があるのかわからないのだが、ある程度の日常会話なら話せるようになったと思うし、たぶん意思疎通はできるだろう。
だがそんなミャンマー語の勉強を、今年に入ってから一時ストップしている。たった3か月ミャンマー語から離れるだけで、どんどんミャンマー語を忘れてしまっている自分の頭の悪さが怖くて仕方ないのだが。ミャンマー語に代わり、実はスペイン語を学ぶことにしたのだ。
スペイン本国のみならず中南米の国々でも多くの人に話されるスペイン語は、世界中で約4億人もの人が話している言語だそうで、もしもスペイン語を話せるようになれば、日本語を話す人の約4倍、ミャンマー語を話す人の約10倍の世界の人々と意思疎通ができるようになるわけだ。さっそくミャンマー語の時と同様、図書館に行ってスペイン語の本を借りてきた。
ところがこのスペイン語、とてつもなく難しい。表記がほとんどアルファベットだったり、日本語としてすでに聞きなれた単語があったりするのはまぁうれしいのだが。男性名詞と女性名詞の区別や、動詞の変化がものすごくややこしかったりで、かなり苦戦している。もちろんミャンマー語も最初は相当苦戦したのだが、どちらかと言うとスペイン語の方が取っつきにくい気がするのだ。苦労しながらも、とりあえずあいさつや日常会話程度は話せるようになりたいと日々奮闘しているが、マスターするまではもっともっと努力が必要だ。
そういうわけで、夏になったらスペイン語を話す国に行くことになった。キューバという国をきゅきゅっと訪れて、久しぶりの海外旅行を満喫しようと企んでいる。



2017年02月28日(火)
Vol.850 幸せなのか、そうではないのか?

おはようございます。りょうちんです。

その人が幸せなのか、そうではないのか? 答えは本人しかわからない。例えば、ひとりの独裁者が権威を振るう独裁国家に暮らす人も、偉大な主導者のいる国に生まれて良かったと思えれば幸せだろうし、怪しい新興宗教にはまり多額のお布施を払っている人も、教祖からの教えを守り実行することが正しいと信じているなら幸せなんだと俺は思う。つまり、どんな状況でも自分は幸せだと感じることができれば、誰もが幸せなのだ。
彼は、ひどく貧しい家に生まれ育った。引っ込み思案でおとなしくて優柔不断で要領も悪くて、さらに人一倍鈍臭い彼は必然的にいつもいじめられっ子だった。高校卒業後、二十歳前にして早くも結婚し二児の父となる。しかし二人目の子を身籠った奥さんが出産のため実家に里帰り中、その奥さんに浮気されてしまう。我が子の顔もろくに見ることができないまま、離婚。数年後、生きていくことに疲れた彼は自殺を試みるが、未遂に終わる。その後、20代半ばで再婚。相手は10歳以上も年上の彼女で、高校生の連れ子がいたため奥さんよりも年の近い子を持つ父となる。新しい家庭の住居としてマンションを購入したが、わずか数年で2度目の離婚。彼に残されたのは多額のローンだけになった。
昔から、彼の家族はとても仲が悪かった。特に彼と彼の父は犬猿の仲で、就職して実家を飛び出した彼はなかなか帰省することもなかった。しかし30代半ば、唯一の味方だった彼の母が急死。それ以降、父とは絶縁状態になる。俺と音信不通になってしまったのも、その頃だ。
2月の寒い夜。彼の実家に、彼が倒れたと連絡が入った。どうやら母方の親戚の家に家族には内緒で居候していたらしく、そこで意識を失い救急車で病院へ運ばれたらしい。これを機に、彼には莫大な借金が残されていることが判明した。あれから2週間が過ぎたが、いまだに彼は意識不明のままだ。意識の戻らない彼は、ひょっとしてずっと幸せな夢を見ているのだろうか。明日は彼の44回目の誕生日だ。



2017年01月31日(火)
Vol.849 元気な男の子

おはようございます。りょうちんです。

去年のゴールデンウィークに結婚式を挙げたいちばん下の弟夫婦の元に、待望の赤ちゃんが産まれた。大きくて元気な男の子。考えてみれば式の時は当の本人たちも知らなかったのだが、その時すでにおなかの中に新しい命が宿っていたわけだ。だから秋に新婚旅行で訪れた沖縄も安定期に入る前だったので、手放しでは羽目を外せなかったそうだ。それでも念願の赤ちゃんが予定よりも1週間以上早く無事元気な姿を見せてくれたことに、誰もが大喜びをしている。
父と母にしてみると、5人目の孫になる。だが男の子が産まれたのは初めてなので、喜びもひとしおらしい。早速お祝いに配るぼた餅を手配したりとか、顔を見に病院に駆けつけたりとか、初節句はどうしようかとか、いろいろと忙しくしている。すでに弟夫婦で決めてあった赤ちゃんの名前は父の名前から一文字もらって付けるそうで、特に父は本当にうれしそうにしていた。
俺も休みの日を使って、初の甥っ子に会いに行った。ちょうどその日が病院から退院してくる日だったので、父と母とともに雪の降る中を弟の家まで車を走らせた。産まれてからたった5日目の甥っ子は、当たり前だがまだふにゃふにゃの赤ちゃんだった。おっかなびっくり抱かせてもらったのだが、小さいながらも3圓舛腓辰箸靴ないカラダは意外に重く、何よりとても温かだった。俺の腕の中で一生懸命手足を動かしていたが、母に受け渡す最後まで泣かれることもなくとても良い子だ。病院から戻ってくる車の中で初めてチャイルドシートに寝かせられてきたのだが、そこで早々に大量のうんちをしてしまったそうで、新品のチャイルドシートをデビュー戦にして汚してしまったらしい。「こりゃ将来大物になるぞ!」とみんなが大爆笑しても、赤ちゃんはそんなことはお構いなしですやすやと眠りに入っていた。
赤ちゃん用の食器をすでに一式そろえた気の早い弟に、出産祝いに何が欲しいか聞くと、食事の時に座れる赤ちゃん用の椅子とのリクエストがあった。首も座らないうちにそれはまだだろうと思うのだが、こどもの成長は本当に早い。今からステキな椅子を探さなければ。来月にはお宮参りも待っている。



2016年12月15日(木)
Vol.848 秩父徒歩巡礼・2日目

おはようございます。りょうちんです。

前回の続き、秩父徒歩巡礼・2日目。
天気は朝から快晴。武甲山がきれいに見える絶好の巡礼日和だ。当初は前日の続きで13番札所の慈眼寺から打つ予定だったが、ある理由で18番札所の神門寺から打つことに決めた。札所を順番通りに打つ必要はなく、どの札所からでも構わないらしい。札所の開く午前8時ぴったりに神門寺に着くと、気さくな住職の奥さんが門前の掃除をしながらあいさつをしてくれた。
23番札所の音楽寺まで打ったあと、いったんお昼ごはんを食べるため市街地に戻る。13番札所から17番札所までは比較的駅周辺の市街地に点在していて、実は昼食の時間に合わせてこの日の予定を変更したのである。さてそのお昼ごはん。秩父は隠れたそばの産地としても有名だ。特に「くるみ蕎麦」という、地元産のくるみをすり入れたつけ汁で食べるそばが絶品とのことで、早速名店を聞き出して食べてみた。これがひっくり返るほどの美味。歩き疲れたカラダにくるみの風味満載のそばがつるつると喉を流れて、大盛りでも足りないくらいだった。この日は特に暑かったので、冷たいそばが本当においしかった。
その後も空白だった17番札所の定林寺まで打ち、さらに夕方までひたすら歩き札所を回ってこの日は25番札所の久昌寺で打ち止め。すっかり日も暮れた真っ暗な道を歩いて戻るのはちょっと不安だったけど、歩行距離は概算で29.8km。実際にはこの日も30km以上歩いたはずだ。歩行時間は休憩込みで約13時間弱。
さて、秩父には巡礼古道というのがあって、江戸時代から続く巡礼のルートが存在する。街中には巡礼道と書かれた道標があちこちにあり、迷うことなく次の札所まで行けるよう案内されている。俺もできる限りこの巡礼古道を歩いたつもりだが、寄り道や時々道標を見失ったりで完全に巡礼道を歩けたわけではなかった。それでも巡礼中、たくさんの人に声をかけられる。同じ巡礼中の人だったり、地元の人だったり。それがとてもうれしくて、本当に楽しかった。
34番札所まで、残りは9つ。でも距離でいうとまだ折り返しくらいだ。春になってもっと日が伸びたら、この続きを再開したいと心に誓った。



2016年11月29日(火)
Vol.847 秩父徒歩巡礼・初日

おはようございます。りょうちんです。

仕事がめちゃめちゃ忙しく今は週に1度の休みがあれば良い方の俺だが、先日なんと2連休を取ることができた。今年2度目の貴重な連休をどう使おうか。直前に突然決まった連休だし、もちろん平日だから相方も友達も誰もスケジュールは空いてないだろう。それなら家でゆっくり休養したい気持ちもあるが、カラダを休めるのに2日間はさすがに長すぎる。おまけに休みの間は秋晴れが続きそうだと天気予報は言っている。相方は先日北海道や京都や大阪にふらっと出かけてたし、ここは俺もひとりで遠出するのも悪くない。ひとりで遠出なんて久しぶりだ。考えたら、ひとりだからこそ行きたい場所はたくさんある。
山奥にある秘境の温泉もススキで一面が金色に光る絶景の草原も魅力的だが、俺が選んだのは埼玉県の秩父盆地。この地に観音様を祀った34の霊場があり、四国の八十八ヵ所霊場巡りと同じように秩父三十四ヵ所霊場巡りとして昔から巡礼が盛んなのだ。しかも総行程は四国が約1,200劼紡个靴特疉磴100匐。これなら数日間で歩いて回れる距離だ。いつかは四国を歩いて回りたいと夢見ている俺にとって、秩父はその前準備の予行練習にはこの上ない場所なのだ。
真夜中に車を飛ばし早朝に秩父市内に入った俺は、道の駅に車を停めてそこを拠点に早速歩き始めた。富士登山の時に使った金剛杖が心強いパートナーだ。向かったのは1番札所の四萬部寺。線香とロウソクを灯し賽銭を投げたあとに合掌。せっかくの志を忘れないようにと納経帳も購入した。特に願いごとはないけれど、スタンプラリーじゃないんだからお参りだけはこの先もきちんとやろうと心に決めた。札所までひたすら歩き、着いたらお参りをして納経してもらう。ただそれだけ繰り返しなのだが、自分のペースで歩くことがなんだかすごく楽しい。その後も順調に歩き続け、初日は12番札所の野坂寺まで打つことができた。そこから再び車を停めてある道の駅まで歩いて戻り、ここまでの歩行距離は概算で約28.5辧札所の境内をあちこち歩き回ったりしてるので、実際には30劼歪兇┐燭世蹐ΑJ盥垰間は休憩も含めて約11時間半だった。
秩父徒歩巡礼・初日はここまで。2日目に続く。



2016年10月31日(月)
Vol.846 来年の今頃は・・・

おはようございます。りょうちんです。

今年の夏、楽しかった思い出を俺は何ひとつ作れなかった。7月は2日間、8月は3日間、9月は5日間。俺の休日の日数である。もちろん連休なんてあるわけがない。唯一遠出をした毎年恒例の夏登山も、今年は残念ながら雨に祟られて実現できなかった。仕事ばかりの毎日。自分の時間なんて作れるはずもなく、ただ目の前にぶら下がっている仕事をこなすだけの日々。今の俺の中は、仕事が9割以上のウエイトを占めて生きている。
自分の時間がほぼ皆無の俺であるから、誘われた夏のイベントはすべて断ざるを得なかった。久しぶりの中学時代の同窓会も、それぞれの家族がそろって集まった大学時代の同級生との飲み会も。大好きだった高校野球から距離を置いているのも、自分の時間が取れなくなったのが大きな一因でもある。相方はシルバーウィークを使って北海道や京都に旅行に行ったり、弟は仕事絡みとはいえスウェーデンに行ったりしているのを聞きながら、俺はただ黙々と欲望を殺して夏を過ごしていた。
仕事が大好きでそこに生きがいを感じているのなら、これでもいいのかもしれない。だが、ぶっちゃけ今の仕事環境も労働条件も劣悪である。仕事の作業そのものに関しては苦ではないのだが、ボランティアみたいな賃金だし、職場の人間関係はこの上なく最悪だ。強靭なメンタルを持っていると自負する俺ですら、何度心が折れそうになったかわからない。おそらく普通の強さの心の持ち主なら、とうのとっくに病んでいるに違いない。
それでも俺が耐え続けていられるのは、ゴールが見えているからだ。来年の春が終われば、俺は自由になる。その日が確実にやって来るのがわかっているから、このつらい毎日も修行の日々だと思えることができる。今のこの時間を、俺は無駄だとは思っていない。それでもやっぱり、「来年の今頃は…」と常に考えながら今日も過ごしている。こんな毎日を消化試合と呼ぶならそれでもかまわない。白く輝くトンネルの出口はもう見えている。今はただ、少しでも時間が早く流れていくことを祈るだけだ。



2016年09月29日(木)
Vol.845 秋の夜長

おはようございます。りょうちんです。

シルバーウィークに合わせて相方がちょっと遅めの夏休みを取った。自分の誕生日を絡めた9日間もの連休で、北海道やら京都やらに旅行に行ったり名古屋の実家にも帰省したりして各地に羽を伸ばしていた。一方俺はその間ももちろん仕事の日々が続き、毎日相変わらずあわただしかったのだが。相方が留守にして我が家にいないのを良いことに、結構ぐうたらにのんびり生活することができた。毎晩頭を悩ませる夕食の準備を考えることもなく、仕事帰りに軽く外食で済ませたりしてその分自分の時間を増やすことができた。
いつもより時間はたっぷりある。やりたいことはたくさんあるのだが、久しぶりにパソコンを立ち上げてあてもなくネットサーフィンでもしよう。そういえばパソコンを手に入れたばかりの頃は、毎晩眠る時間も惜しんでパソコンの前でいろんなサイトを見ていたっけ。そこでいくつものお気に入りのホームページを見つけ、たくさんの知り合いにも出会えたのだ。
そんな中、昔よく聴いていた曲のプロモーションビデオにたどり着いた。懐かしすぎて一気に心はあの頃に引き戻される。今や動画サイトには懐かしいあの頃のプロモーションビデオやライブ映像、なかなかメディアには登場しなかったアーティストの貴重な映像など、いくつもアップされている。中学生から高校生になった頃の80年代後半の俺は、まだ主にレコードやカセットテープで音楽を聴いていた。大学生だった90年代前半は、少ないおこづかいの中からなけなしのお金を出してCDを買っていた。社会人になった90年代後半から2000年頃にかけては、仕事中の職場やカーラジオから流れてくる曲に耳を傾けていた。いろんな想いが重なる懐かしい曲たちが、今はこうやって簡単にパソコンで聴くことができるなんて時代は進歩したものだ。しかもあの頃は見ることができなかった映像も一緒に見られるのだから、もううれしいことこの上ない。
俺はむさぼるようにそんな動画を探し出して、片っ端からお気に入りだった音楽を鑑賞することに身をゆだねた。気がつけば長い夜は終わりが近づき、まもなく朝がやってくる時間だ。秋の夜長、懐かしい音楽に耳を傾けるのも悪くない。



2016年08月31日(水)
Vol.844 ヤママユガの恐怖

おはようございます。りょうちんです。

【ヤママユガ】チョウ目ヤママユガ科の大型の蛾。北海道から九州に広く分布。成虫は目玉状の紋様があるハネを広げると15僂砲發覆襦2褐色または茶褐色で8月から9月頃にかけて多く見られる。「天蚕」とも呼ばれる。
小学生時代、俺は2学期が始まるこの季節が嫌いだった。通学路のあちこちに大きな蛾が大量にいたからである。電信柱、ブロック塀、アスファルトの上。何十匹と見る蛾は気持ちの悪い目玉の紋様を背負い、灼熱の太陽の光を受けてもハネを広げたままでんと鎮座して、近くを通り過ぎるのが怖くてたまらなかった。夜に街灯のまわりをびらびらと不器用に飛ぶ姿を見てからは、今はじっと動かなくても突然自分に向かって飛んで来たらどうしようと不安ばかりが募った。
弟と一緒に百科事典を開くと、そこには俺らを恐怖の底に陥れた実物大の写真が載っていて、ヤママユガという名の蛾だと判明した。当時の俺はカブトムシやクワガタやセミやトンボなど夏の昆虫は喜んで捕まえていたくせに、このヤママユガは見向きもしなかった。珍しいアゲハチョウの仲間などいろんな種類のチョウを捕まえて夏休みの自由研究で昆虫採集をした同級生も、その中にヤママユガは含まれていなかった。きっとヤママユガは誰からも嫌われていたんだと思う。
そんなある日、俺はヤママユガを踏んづけてしまう大失態を犯す。しかもビーチサンダルで。その瞬間ヤママユガはバサバサとハネを動かし、俺のかかとにあの気持ちの悪い紋様のハネが触れてしまった。猛毒の鱗粉にさらされた足はみるみるうちに赤く腫れただれ、ひどい痛みで大変なことになるとパニックになった俺は、泣きながら走って帰り速攻で風呂場に駆け込んで足を洗った。
今回のひとりごとを書くにあたり、ヤママユガについていろいろ調べたのだが。どうやらこのヤママユガ、毒は持っていないらしい。確かにあのあと、足が腫れたりかぶれてただれたりした記憶はない。むしろ繭からは良質の絹糸が作られ、飼育もされる良い蛾なのだそうだ。見た目の気持ち悪さからヤママユガの恐怖に怯えていた俺だったが、今なら改めてじっくり観察してみたい。だがここ十年以上、ヤママユガを全然見かけなくなった。どこに行ってしまったのだろうか。



2016年07月29日(金)
Vol.843 コンプレックスの塊

おはようございます。りょうちんです。

ファミレスで食事を終えレジでお会計をしていると、突然俺の名前を呼ばれてびっくりした。振り返ると、高校時代のクラスメイト。「全然変わってないからすぐにわかったよ!」なんて言われたけど、25年振りに再会した彼こそあの頃の面影をそっくり残したままで、にこにこ笑ってそこに立っていた。
彼は、言わずと知れた優等生だった。進学校とされている母校の中でも成績はトップクラスで、卒業後の進路も都内の超有名一流私立大学に早々と学校指定で推薦が決まっていた。おまけにバスケ部のキャプテンだった彼はいつも爽やかで、顔立ちもすごくカッコ良かった。温厚な性格で誰からも好かれる彼は本当に非の打ちどころのない好青年だったと思う。女子からも結構モテてたはずだ。
「神は二物を与えない」なんて言うけれど、彼みたいに良いところばかりを持ち合わせている人もいるんだとあの頃の俺は本気で思っていたし、彼みたいになりたいと彼をうらやましく思い憧れすら抱いていた。頭も良く運動神経も抜群で見た目もカッコ良く性格も悪くなく誰からもモテモテの彼に引きかえ、その正反対の立ち位置にいた当時の俺はコンプレックスの塊だった。成績は後ろから数えた方が早かったし、運動神経も良くなかったし、体も小さく見た目もさえないのび太くんみたいなポンコツな俺に人気があるわけもなかった。持ち前の明るさでそんなことはまったく気にしていない素振りをクラスメイトには何とか見せていたが、心の中ではいつも数多くのコンプレックスと戦っていて、常に背伸びをして虚勢を張っていた気がする。
今でこそ、誰もがそれなりのコンプレックスを持っていて大なり小なりの悩みを抱えて生きているんだと当たり前のように思っているけれど、高校生だった俺にはそんなことすらちゃんと理解できていなかった。きっと彼にだって、それなりのコンプレックスも悩みもあったに違いない。あの頃の俺にもし会えるならば、「もっと自信を持っていいんだぜ!」と教えてあげたい。
彼は結婚して今でも俺と同じ市内に住んでいるそうだ。時間がなくて長話ができなかったから、今度会えたら高校時代の思い出話にもっと花を咲かせたい。



2016年06月30日(木)
Vol.842 不審者が現れた

おはようございます。りょうちんです。

日曜日の真夜中。午前0時を過ぎ、日付は月曜日に変わっている。降り出した霧雨がアスファルトを濡らす。街が最も静かになる時間、大通りから路地に入ると誰ひとり見かけることもない。誰もが眠りにつく中、週末の忙しさで疲れた仕事帰りの俺は、いつものように車を走らせアパートの前の駐車場までやってきた。
アパートの脇に電柱があって、街灯が照らしている。ほんのり明るくなった電柱の下に、見知らぬ人がじっと立っていた。車で横を通り過ぎる時、上を見上げて目を閉じているのが見えた。最初、幽霊かと思った。そぼ降る雨の中、傘もささずぼんやりと照らされる気味の悪い姿は、まさに幽霊に見えた。駐車場に車を停めた俺は、ミラー越しにもガラス越しにも何度も見返したけれど、どうやら足はある。固まってしまったように微動だにしない姿は、どうやら幽霊ではなさそうだ。俺は車に乗ったまま少しの間様子を見ていたのだが、いつまでもこうしているわけにもいかず、そっと車から降りてその人の近くに向かった。50代半ばくらいで白いフードのついた服を着たその見知らぬ男性のそばまで歩みを進める。すると突然、彼は何の前触れもなく動き出した。びっくりした俺は反射的に「大丈夫ですか?」と声をかけるものの、彼は無言のままよたよたとおぼつかない足取りで歩き出し、俺の横を過ぎていった。そして次の電柱の下まで来ると、また同じような態勢でじっと立ち止まったのだ。
部屋に帰り、俺は速攻で警察に電話をかける。事の詳細や彼の特徴をわかる範囲で説明した。しかし電話を切ったあとも彼はまだ隣の電柱の下にしばらくいたのだが、やがて再びよたよた歩き出しT字路を左に曲がり見えなくなった。そしてすぐに向かうと言っていたお巡りさんが来たのがそのわずか3分後。すでに姿を消した彼はまだ近くにいるはずと、お巡りさんはあわてて探しに向かった。
なぜ彼が俺のアパートの前でじっと立っていたのか。単なる酔っ払いか、ボケて帰る家がわからなくなってしまったか。泥棒や空き巣には見えなかったし、すぐに危害を与えるような感じはしなかったけれど。不審者が現れたことには間違いない。お巡りさんは彼を見つけられたのだろうか。まったく、物騒な世の中だ。