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2014年05月31日(土) ■ |
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Vol.817 借りもののカラダ |
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おはようございます。りょうちんです。
最近ずっと考えているのだが、いまだに頭の中できちんと整理できていないことを今回は記したいと思う。伝えたいことが上手に表現できない部分も多々あるが、ここに記すことで少しでも俺の考えていることがまとまれば良いと願いつつ。 人の身体は、家電や自動車に似ている。この突拍子もない例えが適切なのか自信はないが、何かに例えるなら家電や自動車が最もわかりやすいものだと思う。家電や自動車には寿命があって、どんなに大切に使ってもいつかは壊れて使えなくなる。酷使したり乱暴に扱えば寿命は短くなるし、メンテナンスをして丁寧に使えば長期間の使用も可能だ。人の身体も同じで、無理や無茶が祟れば長寿は見込めないし、具合が悪くなっても的確に処置するほど長生きできる可能性が増す。また、背が高いとか声がきれいだとか視力が悪いとか色黒だとか人における身体的特徴は、家電でいうならスタイリッシュなデザインだとか水濡れに弱いとか、自動車でいうならスピードが出るとか燃費が悪いとか、そういう部分に繋がってくると思う。 ただひとつ違うのは、家電や自動車は自分の気に入ったものを吟味した上で購入することができるが、身体は好きなものを選ぶことができず生まれた時に与えられたものを一生使っていかなくてはならない。だからこそ、ずっと使ってきた自分の身体ゆえに、カラダは自分のものだと錯覚してしまうのだろう。いわばカラダは、生まれた時からやがていつか動かなくなるまで使うことを許された借りものなのだ。人の本質的な部分は魂だか心だかわからないが別のところにあって、それが単純にカラダを使いこなしているだけなのだ。そう考えると、身体が衰えていくこともいつか死を迎えることも、別に怖いものではないと思えてくるから不思議である。 こんなことを書くと、怪しい宗教に影響されたかとでも思われてしまうかもしれないが、けしてそうではない。自分の身体とは何か哲学的に考えていたら、こんなふうに整理するのが俺にとって最も楽な考え方だっただけだ。愛すべき借りもののカラダを、俺はこれからも大切に使って生きていこうと思う。
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