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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2009年01月13日(火)
Vol.737 偶然の確立

おはようございます。りょうちんです。

母が病に倒れてから、この春で丸6年。順調に回復していたように見える母のカラダも、老化とともに少しずつ弱ってしまうのは仕方のないことだ。今日、母が再び入院した。そして明日、手術をする。最近はずっと調子が良く元気そうに見えていた母ではあったが、先月の初めの定期検診でそろそろ再手術が必要かもしれないとの診断を受けてしまったのだ。母の希望であわただしい年末を避けて年明けに入院し手術をすることは、だからもう去年のうちにわかっていた。ただ、手術と言ってもそんなに大掛かりなものではなく、ほんの数日で退院できるそうで。久しぶりに病室を訪れた母は、あの頃の長い入院生活を思い出して少しだけ懐かしんでいた。
今回の手術を受けるにあたり、事前に担当医からいろいろ説明をされたのだが。手術後に合併症を併発してしまう可能性も、まれにあるんだそうだ。最悪の場合、命を落としてしまう場合もあるらしく、その確立は1000人に1人。0.1%の確立だ。それを聞いて、「私は運が良いからなぁ…」なんて笑っていた母ではあるが。やっぱりそんな偶然の確立がいくら低くても、不安にならないわけはない。
しかし手術が決まった年末に、担当医が言っていた言葉を俺はあとから思い出した。あくまでも統計上のデータだが、今の母と同じような病状の人の8年後の生存率は20%にも満たないんだそうだ。つまり、8割以上の確立で8年後に母はこの世にはもういないわけで。東京だかどこだかわからないが、ロンドンの次のオリンピックを母は見ることができない可能性が大きいのだ。計算をすると、8年は約3000日。3000分の1の確立で、母がこの世からいなくなる「その日」が訪れるに違いない。なにげなく暮らしている毎日なのに、「その日」は0.03%という確立なのだ。0.1%とか0.03%とか、数字だけ見るとなんだかものすごく小さな数にも見える。だが母は確実に、そんな偶然の確立を背負いながら今を生きているのだ。
明日、俺はずっと病院で母の付き添いをする。「その日」がなるだけ遠い遠い未来になるように祈りながら、母の手術を待つつもりである。



2009年01月05日(月)
Vol.736 罪は罪、罰は罰

おはようございます。りょうちんです。

酒気帯び運転でパトカーに捕まってしまった彼が、その罰則に頭を悩ませていた。罰則の選択は2つ。30万円の反則金を支払うか、2ヵ月間の懲役をすること。反則金を支払ってできるだけ早く解決したいのが本音だが、まだ20代前半の彼は今すぐ大金を自分ひとりで工面するのが難しいようで、それで俺に相談してきたのだ。
調べてみると。同じようなケースの場合、ほとんどの割合で反則金を支払って解決している。その方が時間もかからず手続きも簡単に済むという理由で、捕まった方だけじゃなく警察など手続きをする側も半強制的にその流れで話が進んでいくらしい。しかし彼から相談を受けた時、「そんなの懲役を選ぶのが当たり前でしょ!」と俺は即答した。
いつもお世話になっている彼のために、俺は力になりたかった。だから彼にお金を渡すのが惜しいなんて、まったく思っていない。だが、何でもお金で解決しようとすることが、俺には間違っていると思ったのだ。お金さえあればすべてがまかり通るなんて、明らかにおかしな話である。悪いことをしたと反省するのなら、お金で片付けるのではなくしっかり懲役をして、そのあとは胸を張って生きれば良い。それが本当に反省をするということなのだと思う。
飲酒してから8時間以上たたないと完全にアルコールが抜けないということを知らなかった彼には気の毒だが、知らなかったことも含めて罪なのだ。仮に今回の件が彼ではなく相方や両親だとしても、俺は同じことを言っていたに違いない。まして俺が彼の立場だったら、迷うまでもなく懲役の罰則を選択をする自信がある。かなり厳しくかなり偏った考え方だと俺自身も思うが、罪を犯したのならそれに見合った罰で償うのが正しいことだと俺は思う。つまり、罪は罪、罰は罰なのだ。
結局、彼の力になれたかどうか俺にはわからないが。どんなカタチであれ、彼がココロから反省をして、二度と同じ罪を犯さないことを祈るばかりである。



2009年01月03日(土)
Vol.735 炊飯器を買いに

おはようございます。りょうちんです。

少し前から、実家の炊飯器の調子が良くない。保温機能が上手く働かないことがあるようで、時々だましだまし使っている。弟も帰ってきたことだし、この際ひとまわり大きいサイズの炊飯器に買い換えたい。そんな話を母から聞いた。それなら俺がお金を出す。俺が実家に帰った時もそれで炊いたおいしいごはんが食べられるなら、喜んで俺が買う。そう言って俺はパンフレットを集めて母に渡し、年が明けたら一緒に買いに行くからどんなのが良いかよく調べておいて、と約束した。
だが、駅伝が終わるとすぐに向かった家電売り場で、今年初めての親子ゲンカをしてしまった。優柔不断な母に、俺がしびれを切らしたのだ。炊飯器と言ってもいろいろある。機械音痴の母は、あまりの種類の多さに目移りしてしまったのだろう。俺が渡したパンフレットじゃよくわからなかったと言う母は店員を呼びつけて、勧められるがままに手に取り眺めている。そんな高機能過ぎても使いこなせないと俺が横から何度口出ししても、母はあっちを見たりこっちを見たりなかなか決められない。そして母と俺の押し問答がしばらく続いた末。ついに母は、「そんなにお前がとやかく言うならもういらない。今のだってまだ十分使えるんだから!」と、少女のように瞳に涙をいっぱい浮かべて俺に言い放ち、出口へと向かってしまった。
結局何も買わず店を出た俺らは、そのまま帰路についた。炊飯器を使うのは母なのに、なぜ母の好きなものを素直に選ばせなかったのだろう。なぜ俺はもう少し黙っていられなかったのだろう。母も自分のためじゃなく、家族のためによりおいしいごはんを炊いてあげたいと考えていたはずだ。何よりも、俺は母に気持ち良く買い物をしてもらいたいと思っていたのに。母の喜ぶ顔が見たかっただけなのに。確かに俺、ちょっと言い過ぎた。そう思ってもすでにあとの祭りで、いつもより口数の少ない車の中でも、母に似て強情な俺は謝ることもできないまま家に着いた。
弟の彼女も来て6人の大所帯になった我が家の夕食は、案の定ごはんが足りなくなった。ほとぼりが冷めた頃、また母を連れて炊飯器を買いに行かなくちゃな。