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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2006年01月28日(土)
Vol.634 雪とビーフジャーキー

おはようございます。りょうちんです。

弟が、会社の研修でグアムに行ってきた。おととしはサイパンに行ってるし、その前はハワイだったし。不景気だというのに仕事とはいえ数年に一度は海外に行けるなんて、海外旅行には最近すっかり無縁な俺からしてみればうらやましいことこの上ない。でも今回ばかりは、ちょっとだけそうとも言い切れない旅だったようだ。
出発当日。関東では朝から本格的な雪が降り始めた。雪はみるみる積もりだし、あたり一面を真っ白な世界に変える。成田空港まではどうにか辿り着けた弟たちだったが、容赦なく降り積もる雪は飛行機のダイヤを完全に乱し、弟たちが乗り込んで成田を発つ予定だった便も足止めを食らってしまった。待っても待っても雪は一向に止む気配がなく、流れるのはダイヤの乱れを知らせるアナウンスばかり。やがてすっかり待ちくたびれた弟たちは、空港での8時間もの缶詰状態からやっとのことで開放されて、どうにかこうにかグアムへと向かうことができたんだそうだ。
さて。思わぬ雪のせいで予定が大幅に遅れ、グアムでの自由時間がその分減ってしまった弟たち。それでもなんとかスケジュールをこなし、おみやげを買うことになった。弟は、大好物であるビーフジャーキーを大量に買い込む。知人や俺らへのおみやげにもしようと考えていたらしく、日本円で6000円ほどのビーフジャーキーを手に入れたんだそうだ。しかし、予想だにしなかったアメリカ産牛肉全面輸入禁止のニュース。まさか手にしたビーフジャーキーがこれに引っかかるなんて、ツイてないったらありゃしない。だが、現実は現実。日本に持ち込むことのできないビーフージャーキーにどうしてもあきらめがつかなかった弟は、飛行機が発つ直前まで買い込んだビーフジャーキーを食べ続けたという。それでも半分ちょっと食べたところでギブアップ。食べ切れなかった残りは、泣く泣く置いてきたらしい。
そして高カロリーなビーフジャーキーを食べ過ぎたせいで、今は顔のあちこちにできたふきでものに悩まされている弟。気の毒だが、雪とビーフジャーキーのせいで、弟にとっては散々なグアム旅行になってしまったのかもしれない。



2006年01月27日(金)
Vol.633 氷点下の世界

おはようございます。りょうちんです。

千葉というところは、どちらかといえば暖かなところだと印象を持っている人が多い。まわりを海に囲まれている影響で、温暖な気候に恵まれひと足先に春の花が咲き乱れるなんてイメージを思い浮かべるのかもしれないが。それは房総半島、特に南房総に限ってのことで、冬はやっぱり寒いことに違いないのだ。
特に俺の住んでいるこの街は、千葉県内でも最も寒く冷え込みが厳しいと言われる街である。理由は簡単、九十九里に行くにも東京湾へ出るにも同じくらい距離があるので、まったく海の影響を受けない。熱しやすく冷え込みやすい内陸性の気候なのだ。夏は暑いが冬は寒い。ちょっと住みやすいとは言えない街かもしれない。
それじゃ冬はどのくらい寒いのかというと。最低気温が0℃を下回る日を「冬日」と言うが、この冬日になることは当たり前で、マイナス5℃以下になることもしょっちゅうある。今年の冬は、とびきり寒い。20年ぶりに寒さが厳しい冬だとニュースになり、日本海側の各地では豪雪で深刻な被害が続出している。わが街でも今年は特段に寒く、先日の水曜の早朝には氷点下7.7℃にまで下がってこの冬いちばんの寒さを記録した。また12月の初旬から1月の半ばにかけて、43日間にも渡って連続で冬日だった。しかし都心では、ひと冬に数えるほどしか冬日を観測しない。いくらヒートアイランドが深刻になっているとはいえ、そこから少し郊外にあるだけなのに、けして標高が高いわけではないこの街がこんなにまで冷え込むところだったなんて、数字を目の当たりにして我ながらちょっとびっくりした。
これらのデータは、すべて気象庁のアメダスによるもの。実は最近、アメダスのデータをチェックするのが密かな楽しみになってしまった。お天気にはちょっとうるさい、俺の小さなマイブームである。今朝はどのくらい冷え込んだのか、今はどのくらい寒いのか。本当は寒いのはあんまり好きじゃないけれど、記録が出るとうれしくもある。目下の目標は、1984年に観測した氷点下12.7℃にどれだけ近づけるかということ。窓の外では、今夜も氷点下の世界が広がっている。



2006年01月25日(水)
Vol.632 贅沢を楽しむ

おはようございます。りょうちんです。

今年の新年会は、みんなでフグを食べようと約束していた。北風が強く吹く中、待ち合わせの場所に集まる俺ら。久しぶりに会う友達は、みんな変わっていない。予約済みの店に移動すると、2階の座敷に案内された。まずは乾杯。冷たい木枯らしの世界から一気に暖かな部屋に通されて、口にしたアルコールが身にしみてくる。
今夜は奮発して、フグのコースだ。フグ刺、フグちり、フグ雑炊。次々とやってくるフグ料理に、お酒も進み話も弾む。それにしても、こんなふうに贅沢ができるようになったのは俺らが少し大人になったからなのかもしれない。誰かが言ったひとことに、俺は大きくうなずいた。確かに学生だった頃や社会人になったばかりの頃は、フグをつつきながら優雅にお酒を飲むなんて俺らには早過ぎたと思う。大学を卒業して少しだけ時が過ぎ、経済的にもココロのゆとりも少しだけ余裕が出てきて、今だからこそこんな贅沢を楽しむことができるようになったのかもしれない。
昔のように相変わらずバカみたいに笑っているみんなは、つらいことなんてまったく知らないように見えるけれど。俺の知らないところでそれなりにそれぞれ苦労も経験してきたし、明日になればまた日常へと戻り厳しい社会の中に帰っていく。今だけが特別なみんななのだ。楽しいばかりじゃない、つらい時もあるんだってことを誰もがみんな知っている。そういうことも全部わかった上で、人間的にも大きくなった証拠に、こんな贅沢が楽しめるようになったと言えるのだろう。
あれっ? 似たような話、軽井沢でそば懐石を食べた時も、江ノ島で生しらすを食べた時も話した気がする。お酒が回っているせいとはいえ、同じ話を毎回するなんて、やっぱりそれも俺らが歳を取ったからなのか。
気がつけば、電車の時間が迫っていた。それぞれの家では愛するダンナさんやかわいい子どもが待っていたり、俺だって翌日には仕事が待っている。あの頃のように、夜通し飲んで騒ぐこともできなくなった。駅でみんなに手を振った俺は再び冷たい北風の中を歩き始めたが、ココロはなんだかとても暖かい気持ちだった。



2006年01月21日(土)
Vol.631 カンなんてはずれてしまえ

おはようございます。りょうちんです。

ひとつの目標を達成し終えた俺らは、もはや有頂天だった。達成感と満足感を胸いっぱいに充満させて、大はしゃぎで笑っていた。でも、いつも冷静な彼だけは違っていた。新たな目標をすでに定め、次はどうすべきかを考え動き始めていた。それは、彼の決めた新しい目標の入り口となる扉に辿り着くまで、俺らとは会わないと決めたこと。自分自身に厳しい試練を与えた、彼の決心だった。
俺は寂しかった。同じ目標をめざしてそれを一緒に達成した仲間なのに。困難を乗り越えて喜びを分かち合った友達なのに。当分の間は彼と会えないなんて。だが彼の決意は強く、それまでバカみたいに浮かれていた俺も涙をこらえ彼の旅立ちを応援することにした。彼の、「いつか必ず戻ってきます!」というコトバを信じて。
次の一歩を進み出した彼に刺激されて、俺も負けてられないと思うようになった。うかうかしてたら、俺が負けてしまうと焦るようになった。そしていつかはわからないが、再会した時は俺も胸を張っていられるようがんばろうと思った。でも、彼にエールを送り再会の約束をした時、こんなことが頭をかすめたのも事実なのだ。
人は、時とともに変わっていくもの。彼も、俺も。だから、こんなふうに同じように笑い合える日がまた来るとは限らない。彼との約束は絶対に守りたいけれど、時間や目に見えないチカラがきっとそれを不可能にしてしまうだろう。俺がいくら待っても彼は戻ってこないかもしれないし、彼が戻ってきても俺が待っていないかもしれない。仮に約束通りお互いが再会できたとしても、こんなふうに笑い合うことはできないような気がする。確信できる理由なんてまったくないのだけれど、直感的に俺はそんなことを思ってしまったのだ。
あの約束を交わした夏の日から、もうすぐ半年がたつ。あの日以来、俺は彼とはまだ会っていない。俺の頭に浮かんだ根拠のないカンなんてはずれてしまえと、今は強く祈るばかりなのだが。早く彼に会いたい。あの日のように、大切な友達としてお互い笑い合える再会ができる時を、今でも俺はずっと信じて待っている。



2006年01月17日(火)
Vol.630 カンが強い

おはようございます。りょうちんです。

これを読んでいる人の中には、正月に俺の年賀状が届いた人もいると思うが。今年の俺の年賀状には、32年前の俺、当時1歳の俺自身の写真がプリントされている。
最近、結婚式や我が子の写真をプリントした年賀状をもらうことが非常に多くなった。友達の結婚や出産のニュースを年賀状で知るのはとてもうれしいのだが、同時に少しうらやましくもあった。でも残念なことに、俺は結婚もしてなければ子どももいない。だったら自分の赤ちゃんの頃の写真を使って年賀状を作ってしまえと冗談でやってみたら、これが予想以上に良い作品に完成したのだ。案の定、「りょうちんとそっくりだから、知らないうちに子どもが生まれたかと思った!」なんて騙されかけた友達もいるほどで、俺としてはしてやったりと思わずにはいられない。
さてこの年賀状、実家の両親宛てにも出してみた。32年前の俺とはいえ、さすがに我が子のことはひと目見てすぐにわかったようで、父も母も良くできていると大笑いしていた。ところでこの俺の写真、にこにこ笑っている俺ではなくて、眉間にしわを寄せて今にも泣きそうな写真を俺はあえて選んだつもりだったのだが。そのことを父に言うと、父は笑いながらこんなことを話しはじめた。「これは別に機嫌が悪かったんじゃないんだよ。おまえはカンの強い子だったからね、すぐに眉間が険しくなってこんなしかめっ面になっちゃうんだよ!」。あれっ、俺って、ちびっこの頃は素顔が泣き顔だったのか? なんていぶかしがりながらも、意味のわからなかった「カンが強い」とはどういうことなのか、家に帰って改めて調べてみた。
「カンが強い」の「カン」は、漢字で書くと「癇」。「癇癪持ち」の「癇」である。つまり「癇が強い」とは、神経質で感情の起伏が激しく、興奮して良く泣きなかなか眠らない、といった意味だそうだ。たしかに俺は、デリケートで周囲に敏感な赤ちゃんだったと聞いたことがある。でもそれが、こんなふうに顔に出てたなんて。知らなかった自分の過去に、ちょっとびっくりした。それを知った相方のひとこと。「りょうちん、今でも十分に癇が強いよ…」。え、それって…?



2006年01月14日(土)
Vol.629 暗くなるまで待って

おはようございます。りょうちんです。

映画好きな人はたくさんいるが、俺はほとんど映画を見ない。俺が最後に映画館に行ったのは、もう5年以上も前のことになる。映画が嫌いなわけではないのだが、映画をゆっくり見るほど時間の余裕がないのが現状なのだ。だがそれよりも、高いお金を払って映画館で映画を見るより、時間があるならもっとアクティブに外で活動したいと思ってしまうのだ。だからビデオやDVDを借りてきて、家で見ることもめったにない。そんな俺が、先日ある映画のDVDを借りた。オードリーヘップバーン主演の、「WAIT UNTIL DARK」。邦題では、「暗くなるまで待って」。
今から7〜8年前になるだろうか。TVを見ていたら偶然その映画がはじまった。特に期待をするわけでもなく、最初はぼんやりとストーリーを追っていただけだったのに。気づけば話にどんどん引き寄せられ、目が離せなくなっている俺がいた。
こんなにまでこの映画に惹きつけられた理由は、単に話がおもしろかったからだけではない。ほとんど全部が部屋の一室だけで撮影されていたり、真っ暗な映像が広がり音声のみで話が進んでいったり。映画通とはまちがっても言えない俺だが、今まで見てきた映画とはまったく違うタイプの斬新さが各所にあって、思わず俺をうならせたのだった。俺はその作品のあまりに高い完成度に、数日後再びビデオをレンタルしてきて改めてじっくりと見たのを覚えている。
そんな話を相方にしたら、相方もその映画をぜひ見てみたいと言い出した。オードリーヘップバーンが主演している映画は数々あるけれど、この「暗くなるまで待って」は彼女が出ている作品の中でもマイナーな部類に入るのかもしれない。そんなわけでこのDVDを借りてきて、再び見よういうことになったわけだ。
おもしろい作品だったということはしっかり覚えていたのに、最後に見たあの時からずいぶん時がたったため俺の記憶もかなり曖昧で、どんなストーリーだったのか忘れかけていたのだけれど。数年ぶりに見る「暗くなるまで待って」は、やっぱり文句なしにおもしろかった。いつまでも名作は名作なのだ。



2006年01月11日(水)
Vol.628 小さな命

おはようございます。りょうちんです。

彼は21歳のフリーター。彼女は19歳の大学生。付き合いはじめてもうすぐ1年がたつふたりに、ある日事件は起きた。彼女のおなかの中に、小さな命が授かっていることが判明したのだ。彼は父親になる重大な決意を固め、彼女は生まれ来る命を育てていく覚悟をした。まだ若きふたりは新たに芽生えた小さな命に夢を見出し、未来に希望を託して喜びを分かち合った。
しかし、話はすんなりとは進まなかった。彼女の両親がこの話に待ったをかけたのだ。二十歳前のまだ学生の身分である娘が、突然母親になるなんて考えられない。娘はまだ苦労も知らないし世間も知らない。しかもその相手は、定職にも就いていないフリーターだ。このまま話を進めればきっと彼女はこの先苦労するだろうし、生まれ来る子どもも不幸になるに違いない。そう言って彼女の両親は強く反対し、このことはなかったことにしてほしいと懇願しているとのことだった。
話を聞いて俺はまず最初に、命が宿ったことに対してココロから祝福をした。聞けば、祝福されたのは初めてだと言う。最強の味方だと思っていた両親からも相談した知人からも反対され、誰からも祝福されなかった彼女は、俺のおめでとうのコトバに涙を流していた。
そして俺はこう続けた。親として子どもを育てていくのは、とても大変なこと。でもその決意をふたりが固めたのなら、大切な命を潰すなんて誰にもできるはずがない。あとは生まれ来る子どもをいかに幸せに育てていくか。そのためには親である君たちやまわりにいる人々が、どうすれば子どもにとって恵まれた環境にしてあげられるのか、それを努力していくことが大切。だから苦労は必ずついてくる。ふたりが親としておなかの中の子どものためにすべき最初の難関は、もしかしたら彼女の両親を説得することなのかもしれない。そういって俺は、彼と彼女を応援した。
この話の主役は彼女の両親ではなく、彼と彼女と彼女のおなかに宿った小さな命。勝手な言い分で大切な命をたやすく潰すだなんて、絶対に間違っているのだから。



2006年01月08日(日)
Vol.627 軽井沢

おはようございます。りょうちんです。

2ヵ月前。軽井沢へみんなで紅葉を見に行こうという話に俺が乗ったのは、本当は元気のない友達を励ますためだとこっそり教えられたからだった。仕事が忙しく俺の方こそいっぱいいっぱいの毎日を送り始めていた頃で、最初はそんな誘いも断るつもりでいたのだが。離婚したことをなかなか打ち明けられず、新たに出会った最愛の人が急死し、仕事でのトラブルにも悩んで、不幸続きですっかり落ち込んでしまった大切な友達を少しでも元気づけてあげたくて、俺も軽井沢へと向かった。
彼女は、思ったよりも元気だった。くだらない話で笑ったり、おいしいものを食べて喜んだり、以前の彼女と何も変わらないように見えた。しかし夜が更けてお酒の量が多くなってくると、彼女は背負った傷をぽつりぽつりとゆっくり俺らに話しはじめた。絶望の底に突き落とされてどうしていいかわからなくなったこと、今でも辛くて悲しくて時々泣いてしまうこと、その痛みもだんだん和らいで少しずつ前向きになれたこと、復帰した職場での人間関係が上手くいかずそれが新たなストレスになっていること、でも落ち込んでいる自分を誘い出してくれた俺らに感謝していること。穏やかに話す彼女のコトバに、俺らは静かに耳を傾けていた。
翌日。俺らは鮮やかに色づいた木々を見たり、自転車に乗って湖に行ったり、お土産屋さんを見て回ったり。そんな中で彼女は、本当に良く笑っていた。何かが吹っ切れたように、大笑いの連発だった。「こんなに大笑いしてばかりなのはホントに久しぶりだよ!」と、彼女は自分でも言っていた。笑っている彼女を見て、俺もうれしくなった。無理してでも軽井沢に行って良かったと思った。
軽井沢から帰ってくると一段とあわただしい日々の連続で、ココロに余裕がなくなった俺もひどく落ち込んだ毎日を過ごすようになった。それでも今日までなんとかやってこれたのは、あの日彼女の痛みを聞いたからなのかもしれない。必死でがんばる彼女を見たからなのかもしれない。ココロのどこかで、ずっと俺はそう思っていた。軽井沢で救われたのは彼女ではなく、実は俺の方だったようだ。



2006年01月06日(金)
Vol.626 Go Ahead!

おはようございます。りょうちんです。

年の初めに、その年の目標となるテーマを考えることを毎年の恒例にしている俺。去年は「CLEAN」、おととしは「Return to Myself!」、その前は「なりたい俺になってやる!」、4年前は「どきどきしよう! わくわくしよう!」。掲げたテーマどおりの年だったかどうか、年末に俺は反省しつつ振り返ることにしている。
さて、今年の俺のテーマは「Go Ahead!」。軍隊用語で「前へ進め!」の号令の合図。青信号の「進め!」の合図でもある。とにかく今年の俺は、少しでも前に進んでいきたいと考えている。
俺はよく、「がんばれ!」を口にする。いつだって俺はがんばっているし、誰かにエールを送る時は「がんばれ!」と励ましてきた。でも、がんばるだけじゃダメなこともある。極端な例をあげれば、数学のテストがあるとして、なのに英単語を一生懸命覚えたって、がんばる方向が違う。結果がすべてじゃないけれど、がんばったことがすべて無駄になるのならそれは意味がない。少しでも前に進んでいなければ、がんばっても骨を折るだけなのだ。だからどうやってがんばれば最終的に前に進むことができるか、そういうことまで考えた上でがんばっていきたい。目の前にあることだけをがんばるのではなく、どうすればより前に進むことができるのか、効率良くがんばるにはどうすべきなのかを計算しながらがんばっていきたいのだ。
そのためには、がんばって仕事もするけれど、がんばって手も抜きたい。がんばって新しいことにもチャレンジしたいけれど、がんばって今まで培ってきたことも大切にしていきたい。がんばって頭もフル稼働したいけれど、がんばってバカにもなりたい。そういう取捨選択をした上で、最終的に俺が決めたことがすべてプラスの方向になるように、がんばっていきたいと思う。そして年末に今年を振り返る時、がんばってきた俺が今より少しでも前に進んでいることを願う。
やることが多くて忙しいのは今年も変わらないだろう。でもこの勢いにブレーキをかけることなくさらに前に進むために、俺はこの目標を掲げる。さぁ、Go Ahead!



2006年01月01日(日)
Vol.625 2005年を振り返る

おはようございます。りょうちんです。

新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。
例年のごとく、目が回るほどにあわただしかった俺の年末。ばたついた中でゆっくり2005年を振り返るなんてできるわけもなく、おまけに気分的にもかなりへこんでいる最中だったから、今年が明けたばかりの今の段階ではじっくり考えて去年一年の総括を記すことはまだ難しいけれど。それでも毎年のように点数をつけるとすれば、2005年の俺には85点の点数をつけてあげたい。
思い出してみれば、いろんな意味で活動の範囲を広げた一年だった。思いのほかアクティブにいろいろな場所を訪れていたし。2月には流氷を見に知床へ、3月にはセンバツを観戦に甲子園へ、5月には家族旅行で福島へ、6月には愛・地球博のため愛知へ、8月には登山をしに富士山頂へ、11月には友人に会いに軽井沢と長崎へ。無理して連休を取るたびに、どこかへ遠出をしていた気がする。大好きな高校野球観戦も、センバツの甲子園からスタートを切った去年は、一年間で55もの試合を各球場にて生で観戦することができた。
今まで俺がやらなかった、新しいことをはじめた一年でもあった。大嫌いなマラソンに取り組んで大会に出場したり、年頭に目標として掲げた「CLEAN大作戦」を実行したり。これらはなかなか思うようにいかなかった部分もあるのだけれど、これからも長期的にじっくりと自分のものにしていきたいと考えている。
それにしても、仕事面もプライベートもとにかくあわただしい年だった。5月から相方と一緒に暮らしはじめたためライフスタイルがそれまでとは大きく変わったし、秋からは仕事がとてつもなく忙しくなって気分的にもかなり落ち込んでしまった。ゆっくりと休むことができず、一年中常に駆け続けていた俺だった気がする。
中身の濃い凝縮した2005年だったけれど、忙しすぎて終盤はオーバーヒートしちゃった俺だけれど、そういうことも含めて去年の俺には合格点の85点をつけたいと思う。さぁ、今日から2006年。俺の2006年は、いったいどんな一年になるのか?