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2005年07月29日(金) ■ |
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Vol.594 眠れない夜 |
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おはようございます。りょうちんです。
思い返せば、いつだって俺はそうだった。先月の愛・地球博の時も、5月に行ったいわきへの家族旅行の時も。オホーツクに流氷を見に行った時も、去年の沖縄旅行の時も。いつもは布団に入るとものの数秒で深い眠りに落ちる俺なのに、どこかへ旅行で遠出をする前の日の夜はどういうわけかなかなか眠れないのだ。そういやちびっこだった頃から、俺は遠足の前の日の夜はなかなか寝つけなかった。そしていまだにそれが全然治らない。もう、なんとかならないものか。 翌日のイベントを楽しみにしていればいるほど、眠れなくなる。頭の中でシミュレートした数々の楽しい出来事を思い浮かべ、妄想の世界は無限に広がってゆく。あそこへ行ったらこんなことをやってとか、何時頃にはこんな体験ができるかなとか。早く眠らなくちゃと思う一方で、想像ばかりがどんどんふくらんでしまう。 それだけならかまわない。しかし俺の場合、眠りが浅かったり睡眠不足だったりすると、肝心の翌日に支障をきたしてしまうこともあるから困るのだ。せっかく楽しみにしていたイベントも、大事な時に眠たくなったり疲れちゃってたりで、ココロの底から楽しむことができない悔しさを味わったりするのだ。前の日にしっかり寝とけばよかったものをなんて、すでにあとの祭り。後悔は先に立たない。 さて。週が開けて8月に入ると、すぐに俺には富士登山が待っている。この夏の最大のイベントとして、12年ぶりに登る富士登山に今からモチベーションを上げている俺なのだが。高山病も天気の行方もそりゃ気にはなるが、実のところ前の日の夜にしっかりと眠って万全の体調で登山に挑めるかどうかが気がかりだったりもする。登山当日、予定ではかなりの早起きをしなくてはならない。睡眠不足のまま登山をすると高山病にかかりやすくなるし、第一体力的につらくなってしまうはずだ。そうならないためにも、富士登山前日はぐっすりたっぷり、深い眠りを確保しておきたいのだが。眠れない夜を克服するためのすばらしい裏ワザ、知ってる人がいたら誰か俺に教えてください!
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2005年07月26日(火) ■ |
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Vol.593 伝説のライブ |
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おはようございます。りょうちんです。
1989年7月26日、俺は西武球場にいた。目的は、あるアーティストの野外ライブ。ポジティブな歌詞を説得力ある表現で歌い上げる彼女に魅力を感じて、俺はずっとこの人のライブに行きたいと思っていた。高校生の俺には高かったチケット代も奮発して、何度も電車を乗り継いで、そしてついにこの日念願の西武球場に向かったのだった。彼女はどんな歌声を聴かせてくれるのか。俺の好きな曲は歌ってくれるのか。ライブがはじまるまでの間、俺らはそんなドキドキを隠し切れないでいた。 ライブがはじまると、俺の想像以上に力強い彼女の歌声がスタジアムを包み、まばゆい照明と歓声が彼女を包んだ。一緒に歌い、一緒に叫び、こぶしを突き上げ、ジャンプをして。外野席から見る彼女は豆粒のように小さかったけど、パワフルに歌い上げる彼女の存在感はとても大きなものだった。 夕闇に包まれたスタジアムに、いつしか雨が降り出していた。しかしライブは雨なんて吹き飛ばすかのように続く。やがて本降りになった雨はさらに雨足を強めていった。ハイテンションになった俺らには、むしろ雨は刺激的だった。雨が強くなればなるほどボルテージは上がり、ライブも弾けていった。突然の稲光、そして雷鳴。もはや嵐になった。どしゃぶりの雨の中で、俺らは気が狂ったように彼女の歌声にすべてを預けた。しかし、激しい嵐には勝てなかった。これ以上の続行は危険だと主催者が決定した、ライブ中止の判断。彼女は泣いていた。自分のライブがこんなカタチで終わってしまう悔しさに、涙を流していた。最後にアカペラで歌った彼女の歌声は、雨の音にかき消されることなくスタジアム中に響き渡った。そしてこの日のライブは、今でも語り継がれる伝説のライブになった。 彼女の名前は、渡辺美里さん。今では西武球場も名前が変わりドームもついたが、20年も続いた彼女の野外ライブは今年が最後なんだそうだ。最近、車の中で彼女のCDをよく聴いている。なんだか懐かしくて、「パイナップル・ロマンス」が流れるたびに、びしょぬれになって叫び続けたあの日の記憶がよみがえってくる。
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2005年07月25日(月) ■ |
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Vol.592 夏祭りには帰ってこいよ |
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おはようございます。りょうちんです。
日曜日の早朝にかかってきた電話は、母からだった。こんな時間にかけてくるなんてなにか緊急事態かと思いきや、「今日は夏祭りだから、おまえも帰ってくれば?」。あいにく仕事だった俺は寝ぼけたまま無理だと告げると、静かに受話器を置いた。俺は再び布団にもぐりこんだが、夏祭りには帰ってこいよと気遣ってくれたことをうれしく思い、幼かった頃の遠い夏祭りの記憶を思い出していた。 夏祭りと言っても、俺の生まれたところの夏祭りなんて小規模で全然大したものじゃない。それでも、おみこしや出店が出たり盆踊りやカラオケ大会が催される夏祭りはちびっこだった俺らには大イベントで、本当の夏が来た気がするのだった。7月になると毎週日曜日の午後は夏祭りで披露する太鼓と盆踊りの練習がおこなわれ、祭りを待ちきれない俺はよろこんで参加していた。 毎年2日間に渡って催される夏祭り。初日はおみこしが街中を練り歩き、2日目は神社に立てられたやぐらで盆踊りとカラオケ大会がおこなわれるものだった。家では母がお赤飯を炊いてたくさんのごちそうを作ってくれ、いろんなものが食卓に並ぶと俺らは大はしゃぎした。初日の夜、はっぴ姿にねじりはちまきの衣装に身を包んで、おみこしの上で太鼓を叩く。祭りになると血が騒ぐのか、夢中で太鼓を叩いていると気分は爽快だった。沿道で見ている人からおひねりなんかももらっちゃったり、折り返しの休憩所ではスイカやジュースも好きなだけ食べられたりで、とても楽しかった。2日目、今度は甚平に着替えて神社へと向かう。教えてもらった振り付けで盆踊りを踊り、そのあとはいつも見かける近所のおじさんやおばさんのカラオケを聞いたりする。リズムをはずしながら上機嫌で歌うおじさんを見るのも、俺の夏の風物詩だった。すべてが懐かしい、夏の思い出。 今、俺の生まれたところは過疎化が急激に進んでいる。俺も例外ではないが、若者がすっかり少なくなった。聞くところによると、夏祭りも昔ほどの活気は全然ないそうだ。伝統を守っていくためにも、来年の夏祭りには帰るのも悪くない。
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2005年07月22日(金) ■ |
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Vol.591 光が見えるまで |
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おはようございます。りょうちんです。
夢を見た。もう10年も前に交通事故で死んだはずの実家で飼っていた愛猫に、寄り添っている俺の風景。なでるとやわらかな毛並みの感触も、少し曲がった耳のカタチも、外から帰って来た時のほこりっぽいにおいも、俺を呼ぶ時の鳴き声も、すべてが異様にリアルだった。懐かしさと穏やかさが心地良く重なって、なんだかとても幸せな時間だった。しかし浅い眠りから覚めると、俺はひとりぼっちだった。10年前にさよならしたはずの猫が、現実にいるはずなかった。それが夢だと気づいた俺は、声をあげて泣いた。良くわからないけれど、夢だと知っているのにせっかく久しぶりに会えた愛猫ともう2度と会えない気がして、ただ涙があふれてきた。 いつだってそうだ。精神的に体力的にいっぱいいっぱいでココロに余裕がなくなった時、俺はどういうわけかとても涙もろくなる。理由はわからないが、大したことでもないのにすぐに涙がこぼれてしまうのだ。ふいにFMから聞こえてきた流行りの曲の歌詞を聞いて、仕事に向かう車の中で俺は今日2回目の涙を流した。 今週に入って、仕事のプレッシャーが俺にかなりかかっている。考えることもやらなきゃならないことも山ほどあって、ぐっすり眠る暇もない。忙しくなることは予測してはいたのだが、それに加えてよりによって同じ時に突発的な事故や緊急事態が重なったり、喜ばしくないニュースや嫌いで気の進まない作業もあったりで、心身ともに疲れ果ててしまった。先週は球場に足を運んであれだけ堪能していた高校野球観戦も、今週はネットで結果をチェックするのが精一杯。こんなはずじゃなかったのにと思う悔しさよりも、今は少しでも多く休む時間が欲しかった。 なんだか夏の夕立に似ていると、ふと思った。さっきまではあんなに晴れていたのに、今は激しい雨の中。疲れたカラダを休めることもできず、ただ困難に耐えるだけ。でも、ピークは過ぎた。雨は少し小降りになってきたようだ。もうじき雲間からの光が見えるまで、泣いてばかりいられない。あと少し、がんばっていこう。
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2005年07月19日(火) ■ |
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Vol.590 ゴキブリの存在 |
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おはようございます。りょうちんです。
いきつけのパスタ屋さんがある。季節ごとに変わる旬の食材を取り入れたパスタは毎回当たりはずれがなくて、ものすごくおいしい割には値段もリーズナブル。一緒についてくる焼きたてのバケットも極上に絶品な上に、何よりも上品だが気取っているわけでもない温かいお店の雰囲気がとても居心地が良い。何かにつけて俺と相方はそのパスタ屋さんに行って食事をする。それだけお気に入りの場所なのだ。 先日も俺らは、例のパスタ屋さんを訪れた。休日の夜、とても混み合う時間。活気あふれる満席のフロアに通された俺らは、いつものように楽しく食事をはじめた。食事も終盤にさしかかった頃だろうか。事件は起きた。相方の動きが一瞬止まる。目線は、向き合っている俺を通り越してその後方に注がれたまま。不思議に思った俺も振り返り目をやると、そこにはうごめく黒い物体が。明らかにそれは、この場にいるのが最もふさわしくないゴキブリ。しかもファミリーサイズのでかいヤツ。黒い物体は、柱を上下に元気に動き回っている。ゴキブリの存在に気づいているのは俺らだけのようだが、俺は相方と目で合図してどうするべきか一瞬考えた。 「ゴキブリ!」と店内に響く大きな声を出すべきか。例えばゴキブリが心底嫌いな人だったら、無意識のうちに悲鳴を上げてそう叫んでしまうかもしれない。でも、客席は満席。ここで大声をあげたら店内はパニックになるだろう。それならクレームとして店員さんにこっそり申し出るべきか。でもここは大のお気に入りのパスタ屋さんである。クレームを出してしまったら、再びここに来づらくなってしまわないだろうか。俺らが考えあぐねて黙って見ている間もゴキブリは活発に動き回り、今にも他のお客さんに見つかってしまいそうでずっとヒヤヒヤしていた。 幸にも、次の発見者は店員さんだった。彼はほうきを持ってあわてて飛んできたが、その時にはすでにゴキブリはどこかに姿を消してしまっていた。結局ドキドキしたのは俺らだけで、一件落着に落ち着いた店内はその後はなにごともなかったかのように振る舞われた。でも俺らは知っている、ゴキブリが確かにいたことを。
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2005年07月10日(日) ■ |
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Vol.589 平成の大合併 |
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おはようございます。りょうちんです。
自分の出身地を聞かれた時、その市町村名をちゃんと胸を張って言えますか? 例えば出身地が大都市だったり結構名前の知れた都市ならば、聞いた方も何県にあって何が有名でとかすぐにわかってもらえると思うけれど、知名度も低いマイナーな小さな村が出身地だったりすると、いちいち場所や名産品や名物を説明しなくてはならない。そんな理由からかちょっと前までは、市出身の人に比べて村や町出身の人たちはあまり胸を張って出身地を言えない風潮にあったと俺は思っていた。 現在、平成の大合併が頻繁におこなわれている。各地の自治体で合併や吸収が進められ、市町村の数もどんどん減っている。さまざまな問題解決の手段として政策が進められるのは良いことかもしれないが、でもやり過ぎだと思うところもある。 どの地域にも、それぞれ特色がある。その土地のカラーや独特の風土や風習があり、それがその土地の個性になっている。そこから生み出される名物もあれば有名な観光地もあって、そうやってその土地の色を主張しているのだ。しかしこの平成の大合併により、その色がどんどん曖昧になってきているように俺は感じている。場所が近いからといって、各市町村が持っているカラーが全く同じとは限らない。だからある地名を聞いてその場所の特色を思い浮かべても、実際には大合併でそこからかなり遠く離れた場所だったりすると、考えていたその土地のカラーが全然違ったものだったりすることもあるのだ。これからはそういう固定観念を捨て、その場所の新しいカラーを植え付けていく必要があるのかもしれない。 また合併により各市町村の名前も変わり、それがとてつもなくセンスのないネーミングだったりすることもある。聞きなれない市の名前を言われても、それがどこなのかまだピンと来ないところが多いのだ。そういうことも含めて、昔はマイナーな村や町が出身だということに気が引けた人も、今はどんどん減っている村や町が出身だという方が逆に貴重でかっこいいと聞こえてしまう俺なのだ。 さぁ、あなたは自分の出身地を胸を張って言えますか?
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2005年07月06日(水) ■ |
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Vol.588 日本でいちばん高い場所 |
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おはようございます。りょうちんです。
21歳の夏、俺は富士山に登った。その2年前、富士五湖ひとつである河口湖でキャンプをした俺らは、湖越しにそびえる富士山を見上げ、「今度は日本一高い場所をめざしたいね〜」なんて誰かが何気に言ったコトバを実現させることにしたのだ。 山頂をめざす友人の中に、登山経験者は誰ひとりいなかった。頼りにしたのは直前に買ったガイドブックだけ。そしてそこに載っていた「ハイキング気分で富士登山を楽しもう!」なんてコトバを鵜呑みにしたのが、大間違いだった。はしゃぎながら早朝に山中湖に着いた俺らは、最初にボートに乗る。誰がいちばん早く漕げるか競争してへとへとになったあと、次はサイクリング。アップダウンの続く道を、夏のひざしを浴びながら湖畔を一周。メインは富士登山なのに、この段階ですでに疲れ切ったカラダのまま、ようやく昼過ぎに俺らは5合目から登りはじめた。 登山開始数分後、予想以上の急勾配に驚く俺ら。最初は「結構キツいよね〜」なんてコトバも、登るに連れて無口になっていく。いつしか俺らは話をする余裕さえ忘れ、黙々と急傾斜を進んでいった。「俺らは若いからこんなのいらないよ〜」なんて言いつつも、登山道入り口でみんなで記念に買った杖。この杖が身を支え、どれだけ助かったことか。睡眠不足と山中湖での無茶が追い討ちをかけて、この登山がどんなに厳しかった部活の特訓よりもキツく感じた。薄くなっていく空気の中でぼんやりと思うのは、ガイドブックに書いてあった「ハイキング気分」だなんてあきらかにうそっぱちだということだった。 予定よりも大幅に遅れ、すっかり日も暮れてから俺らは8合5勺の山小屋に着く。疲れたカラダはすぐに泥のように眠りに落ちた。翌朝、雲間からの御来光はすばらしくきれいだった。そしてそこからさらに数時間かけてたどり着いた頂上。達成感はこの上ないもので、想像以上の感動と満足を俺らは噛み締めたのだった。 あれから12年。そして俺はこの夏、再び富士登山を企んでいる。日本でいちばん高い場所に、俺はあの日と同じように立つことができるのだろうか。
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2005年07月01日(金) ■ |
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Vol.587 アクシデントを乗り越えて |
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おはようございます。りょうちんです。
俺がマラソンをしている間、何度もケータイが鳴っていたようだ。帰ってきたらすぐにシャワーを浴びて走り疲れたカラダを癒そうと思ってたのに、誰か俺に急用があるに違いない。着信履歴を見ると、そのすべてが高校生バイトのIさんからだった。留守電に残されたメッセージは、「とんでもないことをしてしまいました、すみません!」という泣きそうな声。これは何か一大事があったのだろう。俺は折り返しIさんに電話をかけた。ワンコールもしないで電話に出た彼女に理由を聞いてみると、どうやら預けておいた店の鍵をなくしてしまったとのことだった。 Iさんはバイトをはじめてまもなく1年になる。部活とバイトを上手に両立させているがんばり屋さんだ。そんな彼女に店の鍵を預けたのは、まだ1ヶ月前。放課後は部活があるし早起きは得意だという彼女に、店をオープンさせるという朝の大事な仕事を任せることにしたのだ。誰もいない早朝の店にいちばん先にやってきて、裏口の鍵を開けて店内に入り、ひとりで準備をはじめる。彼女が来なければその日の仕事の予定はすべて狂ってしまうし、営業自体できなくなるかもしれない。それだけ重要な仕事なのだ。学校がない週末を中心に、彼女の仕事もだんだん慣れてきた頃だったのに、仕事に必要な鍵をなくしてしまったという。 そういや彼女に鍵を渡す時、「これは店の大切な鍵だから、どんなことがあっても絶対になくさないでね!」と何度も念を押した俺。そのコトバが頭をかすめ、店や俺にとてつもない迷惑をかけてしまったと思ったのだろう。確かに鍵をなくしたらかなり面倒なことにはなるが、でも泣きべそをかきながら謝る彼女の声を聞いて、俺は怒ることなんて最初から最後までできなかった。 数日後、無事鍵は発見され彼女の元へ戻ってきた。俺は彼女のことをまったく咎めなかったけど、彼女は相当反省したようだ。これでもう二度と鍵をなくすことはないだろう。そうやっていろんなハプニングやアクシデントを乗り越えて、バイトくんたちは育っていくものだ。Iさんもこの一件で、さらにたくましくなったかな。
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