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2005年08月30日(火) ■ |
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Vol.603 小包みの行方 |
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おはようございます。りょうちんです。
仕事帰りに真夜中の郵便局に立ち寄った。書類を郵送するだけだったからポストでも良かったのに、夜間窓口の開いている郵便局の前をたまたま通ったので、気がつけば足が勝手に向かっていた。夜遅くに誰もいないだろうと中に入ると、先客がいた。20歳くらいの若いカップル。どういうわけか彼らは、局員と激しくもめている最中だった。こんな時間になぜ激しく言い争っているか俺はわからなかったが、本人たちは相当熱くなっている。なんだかおもしろそうな展開になってきたので、俺は郵便番号を調べるふりなんかをしながらコトの行方を観察することにした。 話を聞いていると、もめているいきさつが少しずつ見えてきた。彼と同居している彼女の元に小包みが来た。しかし彼女はまだ転居届を出してないようで、小包みの宛て先は彼の住所なのに、宛名は彼女のものになっている。不在通知があったので引き取りに来たが、彼女は住所変更の済んだ身分証明ができるものを持ってない。宛名は彼女だが自分の住所の元に来た小包みだから引き取りたいと主張する彼。でも本人だと確認できる身分を証明するものがないと渡せない決まりだと言う局員。 決まりは決まりだからそう簡単に例外を出せないと言う局員の言い分もわかるし、自分の元へ来た小包みがすぐそばにあるのに渡してもらえないのが納得いかないと言い張る彼らの気持ちもわかる。話は堂々巡りでどちらとも一歩もひかず、お互いの主張は平行線のままだった。 局面に変化があったのは、突然彼女が泣き出したのがきっかけだった。「もう小包みなんかいらない、こんな思いをするくらいならそんなのどうでもいい!」、と涙を流したのだ。「これがないと困るのは君なんだよ、あきらめないで!」、と彼。それまでの昂ぶった声を一転させて彼女をたしなめるように彼は優しく声をかけたのだが、そんな彼を振り切って彼女は外へと出ていってしまった。 静けさが戻った真夜中の郵便局で、俺は無事に窓口で書類を郵送した。しかしあの小包みの行方がどうなったのか、彼と彼女はその後どうしたのか、俺は知らない。
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2005年08月29日(月) ■ |
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Vol.602 双子の姉妹 |
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おはようございます。りょうちんです。
俺の幼なじみに、JちゃんとMちゃんという双子の姉妹がいる。俺よりもたった数日彼女たちの方が早く生まれただけなのに、俺が4月の初め、彼女たちが3月の終わりが誕生日ということで、学年でいえば彼女たちの方がひとつ年上だった。 小学生の頃、良く遊ぶ友達の中に彼女たちも含まれていた。ドッヂボールや缶蹴りをして、俺もJちゃんやMちゃんも日が暮れるまで夢中で遊んでいた。さすがに双子だけあって、ふたりともとても良く似ていた。顔つきはもちろんのこと、髪型も背格好もそっくりで、ふたりがおそろいの服を着ている時もしょっちゅうだった。双子なんてそうそういるもんでもないから、JちゃんやMちゃんと呼ぶよりも「双子ちゃん」とひと括りに呼ばれる方がみんなにはピンと来たし、たまにしか遊ばなかったちょっと遠くの友達は、ふたりの見分けがなかなかつかなかったようだ。 でも当時、いつも一緒に遊んでいた俺は、ふたりを見分けることなんてたやすかった。Jちゃんに比べると、Mちゃんの方が少しだけ目が細いし、走り方にもちょっとだけクセがある。しかしそんな具体的な違いを例にあげなくても、子どもの俺は彼女たちの放つ雰囲気から、直感的にふたりを見分けることができたのだった。それは俺だけに言えることではなく、当時遊んでいた友達のほとんどがほぼ間違いなく見分けることができた気がする。 先日お盆で実家に帰った時、お墓参りに行って久しぶりにJちゃんとMちゃんに会った。ふいに俺の名前が呼ばれて振り返ると、そこにはちょうちんをぶら下げたJちゃんとMちゃんが、あの頃と同じようにふたり並んで笑顔で立っていた。コトバを交わしたのは、もう20年以上も昔だったかもしれない。それでも俺のことがすぐにわかったのは、俺はあの頃と全然変わっていないということなのだろうか。そして俺は、どっちがJちゃんでどっちがMちゃんだったのか最後まで見分けられなかったのだが、それは夕闇の中でぼんやりと揺れるちょうちんの灯りが弱かったからだということにしておこう。
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2005年08月25日(木) ■ |
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Vol.601 育てていくということ |
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おはようございます。りょうちんです。
高校時代の友人Yさんから、久しぶりにメールが来た。彼女はいつのまにか結婚して、なんと先日女の子を出産したとのこと。これで高校時代の仲良しグループのうち、まだ結婚してないのは俺だけになった。ま、ひとり暮らしじゃなくなった今の俺の生活が、実質結婚しちゃってるようなもんだから別にいいんだけど。そういう意味では、前ほど結婚そのものに憧れなくなったような気がする。 今回の彼女の出産も含めて、俺の友人たちは今、続々と出産ラッシュだ。30歳を過ぎると、結婚という段階を経て、そろそろ家族を増やすという段階に入るのが普通なのかもしれない。男女関係なく、俺の友人たちは今まさに親になってきている。ホントは俺ももう、そういう年頃なのだ。 しかし、親になるということはものすごく大変なことだと思う。かわいいだけじゃ親にはなれない。自分のことよりも、まず第一に生まれてきた子どものことを考えなくちゃならないのだ。どんなに疲れていてもどんなに眠たくても、たとえ自分がどんな過酷な状態にあっても、そんな自分よりもまず子どものことを考えて動かなくてはならないのだ。しかも、それが子どもが大人になってちゃんと責任を取れるようになるまでずっと続く。そうやって自分の身を投げ打ってまで子どもを見守ること、それが育てていくということなのだと俺は考えている。 正直言って、自分のことも全部やりきれていない俺が、親になる自信なんて今は全然ない。自分のことさえろくにできない現状なのに、それを差し置いて子どものことを考えるなんて、今の俺にはそこまでまだ余裕がないのだ。だから、俺は当分親にはなれない。というか、万が一俺の子どもが生まれてきたとしても、俺みたいな親に育てられた子どもは絶対にろくな大人にならないだろう。もっと俺がしっかりして、自分の子どもを最優先で考えられるくらいになったら、俺は初めて自分の子どもを本気で育ててみたいと思う。 さて、しっかりもののYさんだから、ママになる前から親になる覚悟は十分できてたんだろうな。ご出産、おめでとう!
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2005年08月19日(金) ■ |
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Vol.600 自分を映す鏡 |
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おはようございます。りょうちんです。
「りょうちんのひとりごと」も今回で第600号。いつも読んでくれて、ココロからどうもありがとう。気持ちは毎日でも書きたいと思っているのだが、パソコンが壊れたり俺のライフスタイルが変わったりで、去年の夏の第500号からは約1年かかっての今回だけど。これからも地道に更新していくつもりではいるので、引き続きよろしくお願いしますなのだ。 さて、いつも「ひとりごと」を読んでくれている俺の友人から、ステキなご意見をいただいた。「りょうちんってさー、ホントは腹黒いのに、なんで好感度を上げるような話しか書かないの? もっと腹黒いことも書けばいいのに!」。そうやって笑いながら言う彼とは何度も俺は会ってるし、「ひとりごと」からは見えない俺の人柄も知っているがゆえの発言なのだろうが。でも、彼にも即答したことを改めて記しておくが、好感度を上げるために書いた「ひとりごと」なんて今までひとつもありませんから〜! 読んだ人が不快に思ったり気分を害することは書かないようにしているけれど、誰かに媚を売るとか良く思われたいとか、まして好感度を上げようなんてことは一切考えてないのだ。俺にとっての「ひとりごと」は、いわば自分を映す鏡。俺自身が思ったり感じたことをコトバにして残すことで、自分を見つめ直すための重要なアイテムにしている。だから好感度を上げようなんて、考えているはずがない。 でも、「ひとりごと」からわかる俺が、俺の本当の姿ではない。たかが600という数の「ひとりごと」を隅々まで読んでも、見えない俺の部分ももちろん存在する。彼は俺と会ってそういう見えないところも知っているからこそ、貴重な意見をくれたのだ。「ひとりごと」からはわからないかもしれないが、彼の言うとおり、俺だって腹黒い部分も持っている。やましいこともエッチなことも、悪いことだってたくさん考えたりもするのだ。よし、彼のリクエストに答えて、これからはもっと俺の腹黒い部分も見せていくのもいいかもしれないな。なんちって。
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2005年08月15日(月) ■ |
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Vol.599 右腕を失ったおじさん |
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おはようございます。りょうちんです。
千葉からは遥か離れた九州は熊本県、阿蘇山の麓に、母方の遠い親戚がある。俺が4歳の時の祖父の葬儀の席で、俺はそのおじさんに出会った。おじさんは右腕がなかった。なんでも戦争で出兵した際、手榴弾を右手に受けて肩から先を切断したんだそうだ。命は助かったものの、その後は右腕がない生活をしなくてはならなくなり、俺が会ったその時もおじさんはすべての動作を左手だけでこなしていた。 おじさんに呼ばれて、小さな俺はひざに抱かれて一緒にごはんを食べた。おじさんの喪服は中身のない右腕の部分だけがぶらぶらしていて、おじさんが動くたびに揺れていた。ひざに座りながらテーブルに茶碗を置いて器用に左手だけで食事をするおじさんを見て、俺は子供ながらにとても衝撃を受けた。 思い返してみれば、俺が戦争について真剣に考えるようになったのは、あの日おじさんに会ったことがきっかけだと思う。祖母からは戦時中の話を聞いたこともあったし、TVでは夏になると毎年のように平和祈念の特番もやっていたけれど。戦争を知らない俺はそれが遠い昔の出来事にしか思えなくても、実際に戦争で痛手を負ったおじさんを目の当たりにしたことで、戦争の悲惨さから目を背けるわけにはいかないと考えるようになった。だから今でも「戦争」というコトバを聞いて真っ先に思い浮かべるのは、右腕を失ったおじさんのことなのだ。 今年の夏がはじまりを告げた頃、おじさんが上京してきた。うれしいことにおじさんは俺のことを覚えていてくれて、俺にも会いたいと言ってくれたんだそうだ。俺もとても会いたかったのだが、どうしてもお互いの日程が合わず、約30年ぶりの再会を果たすことはできなかった。おじさんもすっかり歳を取り、今や80歳を過ぎてすっかりおじいちゃんになってしまったそうだが。今度会う時は、俺が熊本まで足を運ばなくっちゃ。 戦後60年を迎えた今日、戦争について改めて考えた俺は、おじさんに手紙を書いてみようとココロに決めた。
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2005年08月13日(土) ■ |
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Vol.598 進め! |
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おはようございます。りょうちんです。
決意を固めた友達へ。 もう弱音は吐くなよ。決めたのはおまえだろ? 相談はしたけれど、俺が否定をしても決意は最初から突き通そうと決めてたんだろ? だったら俺は、その潔い決意を応援するに決まってるじゃないか。後押しするしか俺にはできないじゃないか。 おまえの決意を聞いた時、極端なやり方に最初は俺も動揺したさ。夢をつかむのに苦労は必要だけど、そこまで自分を追い込まなくてもと思ったさ。でも、おまえの説得力のあるコトバと固い意志とまっすぐなまなざしを感じて、反対する気持ちは微塵もなくなったんだよ。むしろ、おまえがそこまで悩み決めたことを、すごいと思ったんだよ。現状を打破して新しい世界へ進むことは、口で言うほどけして簡単じゃない。自分を苦しめて夢をつかむその時が来るまで、長く辛い道のりは続いていく。でもそれがおまえの選んだ道。大丈夫、おまえならたやすいことだよ。 だって、おまえは本当はもう十分に強くたくましいんだから。ただ、そのことに気づいてないだけなんだよ。だから時々弱音を吐いたりしちゃうんだ。おまえは俺なんかよりも全然若いのに、しっかりしてるし賢いし頭の回転も良いし的確な判断を即座にして行動できるすごいヤツだ。俺はそんなおまえを尊敬してるんだぞ。だけど、おまえに足りないのは若さゆえの経験。でも、これから歩んでいく困難な道の中でたくさんの経験をすることで、弱音なんか吐かないようなもっと強い男になれるはずだよ。そうやっておまえは、どんどん強くたくましい男になっちゃえばいいんだよ。そうなれば、おまえは最強の男。俺なんかきっと、足元にも及ばないよ。 おまえのメールを読んで俺の涙が止まらなくなったのは、これからは一緒にバカなことができなくなるのが寂しかったからじゃないからな。おまえの固い意志が俺のココロに響いて、確実に強くなっていくおまえの姿がうれしかったからなんだぞ。今までみたいにすぐに会うことはできなくなるけれど、おまえが夢をつかんでもっと強くなって帰ってくる時まで、俺はずっと待ってるからな。だから、進め!
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2005年08月11日(木) ■ |
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Vol.597 2度登るバカ |
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おはようございます。りょうちんです。
そして俺は12年ぶりに、日本でいちばん高い場所に立つことができた。 午前10時半。須走口から俺らは登山を開始した。12年前と同じ登山口から同じルートを辿り同じ山小屋に泊まって、あの日と同じように頂上をめざす行程で。天候はくもり。目標の山頂は、鉛色の雲に隠れて見えない。あの雲の向こうにあるゴールに向けて、8kgの荷物が入ったリュックを背負い一歩一踏みしめて登っていく。 雲は時折雨を連れてきた。山小屋のベンチで休憩をするたびに落ちてくる雨はゆっくりしすぎるなよと急かしてくれているようで、シャワーのようにここちよく降り注ぐ雨粒に感謝をした。やがていつのまにか行く手を覆っていた雲が晴れ、山頂が顔をのぞかせた。麓の方に目をやると、遥か小さく見える街並みとすばらしい雲海。気がつけば俺らはずいぶんと登ってきていたようだ。出発から6時間。12年前よりも早いペースで、宿泊予定の8合5勺にある山小屋へ到着。思ったよりも俺の体力はまだ残っているようだ。 夜、外へ出た。ぼんやりと遠く霞む街の夜景。そして見上げれば満天の星空。天の川まではっきり見えた。流れ星もいくつも見えた。岩だらけの登山道に寝転がり、さそり座や夏の大三角の下で俺らの天体観測は時間も忘れるほどに夢中になれた。 起床は4時。山小屋の前で日の出を待つ。やがて絵に描いたような雲海の向こう、雲の隙間からオレンジ色の太陽が顔を出した。御来光だ。線香花火のような暖かな光は、疲れと眠気を忘れさせてくれなおかつ希望と感動を教えてくれた。 2日目、山頂に向けて再び俺らは歩き出す。ここからは急勾配が続き、すぐそこに見える頂上がなかなか近づかない。ペースを落とし何度も休みながら、そしてついに俺らは頂上に辿り着くことができた。涙が出るほどの大感動はなかったけれど、富士山のてっぺんで食べたおにぎりは最高にうまかった。 富士登山には、「登らぬバカ、2度登るバカ」という格言がある。12年ぶり、2度目の富士山制覇を果たした俺だが、バカな俺に3度目はあるのだろうか。
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2005年08月09日(火) ■ |
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Vol.596 充実した夏 |
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おはようございます。りょうちんです。
今年、俺はとても充実した夏の日々を送っている。相変わらず忙しい毎日ではあるが、ココロに満たされた満足感を久しぶりに感じている。仕事があわただしいのはいつものことだけど、それでも気持ちがいっぱいいっぱいにならないでどこかに余裕すら感じているのは、それ以上に充実したイベントが次々とやってきて俺の意欲があふれているからなのかもしれない。 思い返してみれば、大学時代の夏はいつもこんなカンジだった気がする。仕事に追われることもなく、適当にバイトやレポートなんかをこなしながら、企んだイベントをどんどん楽しんでいく。あの頃はあの頃で悩みや葛藤もあったに違いないけれど、今になってみれば青春時代の夏を俺は存分に謳歌していた。 そんな夏に、今年は似ている。7月、梅雨が開ける前から高校野球観戦で何度も球場に足を運んだ俺。夏のひざしを浴びて、今年も俺は真っ黒になった。気温が上昇して連日真夏日を記録するようになると、うるさいくらいに蝉も鳴き出して気分も高まってきた。8月に入るとすぐにこの夏いちばんのイベント、12年ぶりの富士登山。夏前から上げてきた俺のモチベーションはここで一気に最高潮になり、大成功でこの企画を終えることができた。正直、富士登山が終わった今、達成感とともに終わってしまったという寂しい気持ちも感じているほどだ。夏の甲子園もはじまった。海へ行って友人とはしゃいだりもした。夏のイベントが、てんこもりだ。 そんな中、立て続けに俺は相談事をされた。普段は明るく笑っている彼らも、ココロの中では悩みもがき苦しんでいることを知った。それでもなんとか前向きに進んでいこうとがんばっている姿を見て、俺も負けてられないと思った。そんな意欲が俺の気持ちを高ぶらせて、仕事が忙しくても夏を満喫しようとするパワーに変えることができているのかもしれない。夏はまだまだ続いていく。もっともっと、今年の夏を楽しんでいかなくっちゃ。
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2005年08月01日(月) ■ |
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Vol.595 大切なのはプロセス |
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おはようございます。りょうちんです。
俺はもう決めたんだ。あの山に登ることを。道のりは困難で、口で言うほど簡単じゃないことは百も承知の上で。険しい道の途中、時には見上げるほどに高くそびえる崖に出くわすかもしれないし、激しい雨風が襲い行く手をさえぎるかもしれない。しかし、想像を超えるアクシデントやハプニングがたとえ起こったとしても、俺はあの高い山に登ることを、もう決めたんだ。 例えば、俺にある人が質問したとする。「山の上には、いったい何があるの?」。正直なところ、それは俺にもわからない。頂上からは下界を遥かに見渡せる広大な景色が広がっているかもしれないし、見上げればどこまでも澄んだ青い空があるかもしれない。いや、もしかしたら何もないかもしれない。でも、俺が山を登る理由は、山頂にある何かを探すためではなく、そこへ辿り着くまでの長く険しく困難な道のりで起こるいろいろな出来事を経験するためなのだ。だから山頂には何もなくていい。なぜなら、山頂へ着くまでに求めていたものが見つかるはずなのだから。 こんな例え話を出してみたけれど、これは他にも言えることがたくさんあると俺は思っている。世の中、結果がすべてだと考えている人がいる。特に最近は、何かにつけて結果で判断されることが多い風潮にある。仕事の業績がどれだけ良かったとか、テストの成績が何点だったとか、素敵なルックスの恋人がいっぱいいるとか。「勝ち組」や「負け犬」というコトバは、そういう風潮から頻繁に使われているのかもしれない。たしかに、結果で答えを出すことも必要な時もあるとは思う。数字で表せば、たやすく比較できる場合もあるからだ。でも、仕事も勉強も恋愛も、全部がそういうケースばかりじゃない。 どんなふうにしてそうなったのか。それが最も重要なポイントになることもある。結果が出るまでにどれだけ苦労したとか、どんなことを身につけ学んだのかとか、そういうことをもっと重視すべき場合もあるのだ。答えは山頂にはない。結果がすべてではないのだ。そう、大切なのはプロセスなのだ。
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