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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2005年06月30日(木)
Vol.586 ブライダルフェアに憧れる

おはようございます。りょうちんです。

結婚1周年を迎えた弟夫婦の元に、結婚式を挙げたホテルから食事の招待券が送られてきたそうだ。フランス料理のフルコースを腹いっぱい食べてとっても良かったよ、なんて言う弟をちょっとだけうらやましく思った俺。そんなおいしい思いができるのは結婚式を挙げた人だけの特権なのかもしれない、と俺は考えていた。
しかし、そうとは限らないらしいということが判明した。目をつけたのは、いろんなホテルでおこなわれているブライダルフェア。モデルさんがおこなう模擬結婚式に、俺も参加してみようと企んでみた。弟の話では、ブライダルフェアの模擬披露宴で出される料理を無料で試食できるホテルもあるらしい。帰りには記念品をもらえたりもできるそうで、このご時世になんと太っ腹なイベントなのだろうとびっくりしてしまった。結婚前、弟たちのデートはもっぱらブライダルフェア巡りだったようで、毎週のようにいろんなホテルで食べまくったと言っていた。おっ、これはなんとも魅力的ではないか。さらに話を聞くと、男女のカップルであれば特に婚約していなくても参加できるようで、そのあとにダイレクトメールなどで資料の送付などはあるにしろ、当たり前だがブライダルフェアに参加したからってそこで結婚式を挙げなくちゃならなくなるなんてことは絶対にないそうだ。
これはぜひとも一度ブライダルフェアに参加してみたいと、強く思ってしまった俺。しかし、問題があることに気がついた。通常、ブライダルフェアが開催されるのは週末の土曜か日曜。俺の場合、大概仕事が入っている日だ。休みを取ってまで、ブライダルフェアに参加すべきなのかどうか。また、参加条件が男女のカップルだということ。付き合っている必要はないのだから俺の女友達の中から探すのが妥当だが、こんなバカげた企画に乗ってくれる友達がはたしているのかどうか。
明日から7月。ジューンブライドの季節は今年も終わってしまった。だが、ブライダルフェアは今後もいろんなホテルでおこなわれるはずだ。ブライダルフェアに憧れる俺と一緒に参加してもいいよという女の子、もしもいたら至急連絡ください!



2005年06月28日(火)
Vol.585 恥ずかしい宝物

おはようございます。りょうちんです。

まだ6月なのにこの暑さ。体温並みに上昇した記録的な暑さを、いったいどうしのげばいいのか。うちわも扇風機もクーラーも風鈴も冷麦も怪談話も、他にも涼を取るアイテムは数多くあるけれど。どんなに暑い真夏の炎天下でも、一瞬にして身の毛もよだつほどの涼しさ、というか極上の寒さを体感できるものが俺にはある。
学生時代、ずっと俺は空想少年だった。空想といえば聞こえは良いが、どちらかといえば妄想に近かったと思う。100%ありえない架空の世界を俺のココロに描き、その中でいろんな事件が起こっていった。超能力を使ってみんなを驚かせたり、誰もがうらやむほどのかっこいい少年になって素敵なロマンスに落ちてみたり、時には悲劇の主人公を演じてみたり。都合の良いように自分で話を進めながら、つまらない授業もそうやって現実逃避することで退屈な時間をつぶしていた俺だった。
当時、俺は密かにもの書きにも憧れていた。だから俺の中の妄想は、頭の中で描かれるだけでなく必然的にコトバとしてカタチに変わっていった。時にそれは教科書の端に書き留めたポエムだったり、ノートに綴った小説だったり。どこかで使い回したような安いポエムや、ストーリーなんて稚拙で矛盾だらけの小説なんて、作品と呼ぶにはとてもおこがましいのだが。できあがったものを友人たちに強制的に見せてよろこんでいたのだから、俺も相当たちが悪い。高校2年の時に書いた長編小説は、学園モノのラブコメディ。当時は笑いあり涙ありの甘酸っぱい青春を描いた最高傑作だなんて思ってたけど、今考えてみればあまりのくだらなさと質の低さで、とてもじゃないが人に見せられるものじゃない。あの頃の俺、身の程知らずもはなはだしいったらありゃしない。バカバカ、俺。バカバカ、もっと恥じを知れ!
あれから時は過ぎ、今は「ひとりごと」を書いている俺ではあるが。当時作ったポエムや小説は、実はまだ残してある。相方も知らない秘密の引き出しに封印したまま、時々思い出すだけで恥ずかしさの嵐で信じられないほどの寒さに襲われる。俺の最強に恥ずかしい宝物は、今では他人には絶対見せられない青春の証なのだ。



2005年06月26日(日)
Vol.584 本末転倒

おはようございます。りょうちんです。

俺の住んでる部屋と駐車場とは、ちょっと離れている。歩いてもほんの2分程度の距離なのだが、でもこのわずかな距離が実は結構面倒に思えたりする。特に雨が降ってる日や重い荷物を運ばなきゃならない時は、わざわざ駐車場まで行ってから逆戻りして部屋まで歩くのがすごく億劫なのだ。だから俺以外の住人も、部屋の前に路上駐車している人がたくさんいる。住宅地とはいえ、偶然にも部屋の前は空き地なので駐車禁止区域ではない。俺も含めて、交通の邪魔にならないようぎりぎりまで路肩に近づけて車を止めておくことがよくあるのだ。
ある日、いつものように路上駐車した車に、「迷惑駐車禁止」と書かれた張り紙があった。町内会だか自治会だかか独自で作ったもののようで、よく見るとどの車にも張ってある。その時は俺もすごすごと自分の車を駐車場に戻したが、よく考えてみると、あの場所に駐車しても誰にも迷惑をかけているわけじゃないことに気がついた。前は空き地、他の車の出入りはまったくない。道幅も、車が止まっていても十分な広さは確保できている。緊急時に必要な防火設備もマンホールもない。あの場所に車を止めることが、誰に迷惑がかかるというのか。
俺らは再び同じ場所に路上駐車をはじめたが、それから何度も張り紙攻撃を食らった。それでも懲りずに繰り返し車を止める。それは明らかに姿を見せない誰かと俺らとのいたちごっこだった。そしてその張り紙は、ある日突然コーンに変わった。いつも車を止めている道の隅に、工事現場などで見かける三角形の朱色のトンガリが現れたのだ。でもそんなの、片手でひょいと動かしちゃえば同じこと。少し離れた場所にコーンを移動して、いつもの場所に車を止めた。
翌日。道の隅にあったコーンは、道の中央にどーんと居座っていた。誰が動かしたか知らないが、これじゃ路上駐車どころか車の通行さえも不可能だ。迷惑だと言われて置かれたコーンそのものが、今まさに道の真ん中で堂々と迷惑な存在になっている。あれ、これって矛盾してない? こういうの、本末転倒っていうんだよね?



2005年06月21日(火)
Vol.583 息子を想う気持ち

おはようございます。りょうちんです。

実家を離れて暮らしている俺だが、両親にしてみれば息子が帰ってくるのはやはりうれしいことらしい。俺が実家に帰った時も、父はそっけない素振りを通してはいるが、何時頃やってくるのかとか夕食は食べていくのかとか母に何度も聞いたりして、来る前からそわそわしているのが手に取るようにわかると言っていた。いちばんの親孝行とは、ちょくちょく帰って元気な顔を見せることなのかもしれない。
朝から天気も良く父と俺の休日が重なった今日、遠出をしようと俺は両親をドライブに誘った。先月の家族旅行がとても楽しかったせいか、俺の誘いに父も母も大いに賛成してくれた。梅雨晴れの強いひざしの中、俺らは県境の川辺に咲くあやめを見に行くことにした。紫色やクリーム色に咲くあやめの遊歩道を歩きながら、川面を過ぎていくさわやかな風を感じて夏が近いことを知る。こうやって穏やかに家族と一緒に時間を刻むことが、今の父と母にとって最高の幸せなのかもしれない。
帰りに道の駅で朝取りの新鮮な野菜とスーパーで食材を買いこんで、今夜の夕食は俺が作ることになった。母のために薄味に仕上げた肉じゃがと野菜サラダは思った以上に好評で、団欒にも花が咲く。できあがった家族旅行の写真を見て笑ったり、俺が小さかった頃の話で懐かしんだり。食事が終わっても話題は尽きることなく、気つけば夜もかなり更けるまで話し込んでしまった。そろそろ俺も、帰らなきゃ。
俺が席を立とうとすると、母は家にあるいろんなものを持って帰れと勧めてくる。「米はまだある?」とか「肉じゃがも持ってけば?」とか、そんなの毎回だ。息子を想う気持ちはよくわかるが、母の勧めるものを全部もらってもとてもじゃないが食べきれない。だから今日もタマネギとじゃがいもと父が今朝採ってきたわらびはお断りして、多めに作ってしまった肉じゃがと米と餅と桃の缶詰を遠慮なくいただいてきた。そして帰りの車の中で、俺は気がついた。あれ、これじゃ親孝行をしに帰ったつもりが、逆に俺がお世話になってるじゃん。こんなにいろいろくれなくても、俺はまたすぐに顔を見せに帰るのに。そう思いつつ、父と母に感謝をした。



2005年06月20日(月)
Vol.582 いちばん最初の記憶

おはようございます。りょうちんです。

ちびっこだった頃の記憶を思い返してみる。どんどん時間をさかのぼっていき、自分が覚えているいちばん最初の記憶をよみがえらせてみる。俺がこの世に存在してから、いちばん最初に覚えていることは何なのか。
俺のいちばん最初の記憶は、おそらく1974年の暮れのこと。今になって考えてみれば、もしかしたら大晦日だったかもしれない。当時、俺は2歳。玄関から店に続くドアのところで、仕事中の父と母を待っている記憶である。年の瀬でいつもよりも遅くまで仕事をしている両親を、俺は退屈をもてあましながら少し不機嫌なまま、自分の背よりも高い位置にあったドアのノブにぶら下がって遊んでいる風景。ドアのノブが金色のちょっとおしゃれな丸いものだったこと、店の床がこげ茶色の剥げた板張りだったこと、映りの悪いTVから歌番組が流れていたこと、外はすっかり闇に包まれていたこと、もうじき今年が終わるという緊迫感みたいなもの、それらを俺はぼんやりと覚えている。記憶の塗り替えがひょっとしたらあるかもしれないが、これが俺の覚えているいちばん最初の記憶である。
記憶の整理、つまり、これは俺がいくつの時の記憶だったのかを頭の中で年代順に並べていく作業を、俺はちびっこの頃から無意識のうちにやっていた。2歳の時の記憶は、座布団に寝かせられて天井を見ていたことや、祖母の背中におんぶされて泣いていることや、まもなく入園する保育園のかばんを買ってもらって喜んでいることなどいくつかあるのだが、たぶん店の入り口で両親を待っている記憶がやはりいちばん最初の記憶だと思う。
あの旅行に行ったのは何年前だっけななんて最近の記憶はあいまいだったりするのに、逆に小さかった頃の記憶はずっと忘れないで俺のココロに残っている。そしてそれを時々思い出して、あの頃の記憶を大切にしていきたいと思う俺なのだ。



2005年06月17日(金)
Vol.581 ゴミの分別

おはようございます。りょうちんです。

6月も後半にさしかかり今年もまもなく上半期が終わろうとしているが、年の初めに目標として掲げた俺の「CLEAN大作戦」は、今のところいたって順調に進んでいる。引っ越しの荷物がまだ全部片付いていないので部屋の中が完全に整頓されているとは言いきれないのだが、特にゴミの分別に関して言えば我が家では100%と言っていいほどしっかりおこなっている。というか、分別していくことが楽しいとさえ感じてしまっている俺だったりするのだ。
ちゃんとゴミを分別していくと、多くの驚きを目の当たりにする。まず分別をいいかげんにやっていた去年に比べると、明らかに処分するゴミの量が減った。去年までは牛乳パックもお肉のトレーも包み紙もビニール袋も、カンとビン以外は全部一緒くたにして燃えるゴミとして出していた俺だったが、それらをそれぞれちゃんと分別してやると、燃えるゴミなんてほとんど出てきやしないのだ。
逆に、リサイクルとして生まれ変わる紙製品やプラスチック製品の多いこと多いこと。特にプラスチック製品のゴミ袋はすぐにいっぱいになっちゃうくらい多くて、日本はこんなにまでにプラスチックで包まれたものがあふれている国だったんだなと驚いてしまう。俺の住む市も数年前からゴミの回収はこうやっていくつもの分別をすることが決められてはいるのだが、いまだに徹底されているわけではなく、去年までの俺のように何でもかんでも一緒にして燃えるゴミとして大量にゴミ置き場に置かれているのを見かけたりすることもよくあって、なんだかもったいないなぁと感じてしまうのだ。店で出てくるゴミもホントはしっかり分別したいと考えているのだが、実際そこまではまだまだできてなくて、それが俺の今の課題なのだ。
さてそんな中、レジ袋の有料化が検討されている。買い物に行く時は常にエコバッグを持つのが当たり前になった俺にしてみれば、大いに賛成だ。この案が決まれば、誰もがゴミの量を減らすことができるに違いない。自分だけじゃなく、地球規模でゴミを減らしていきたい。大げさだが、それも俺の「CLEAN大作戦」なのだ。



2005年06月14日(火)
Vol.580 気持ちの切り替え

おはようございます。りょうちんです。

先月あたりから、俺はえらくあわただしい毎日が続いている。仕事はもちろん相変わらず忙しいのだが、それ以上にプライベートでばたばたした日々の連続だ。仕事がとびきり忙しかったGWが終わったらそのすぐあとに相方の引っ越しがあり、月末には家族旅行、そして先日は愛・地球博へ行ってきた。約1ヶ月の間にこんなにもいろんなイベントが重なると、さすがの俺でもキツいと感じてしまう。
引っ越しも家族旅行も愛・地球博も、俺特有の行き当たりばったりのイベントではなかった。前もって計画は立ててあったにもかかわらず、どうしても日程的に譲れないところもあったりで、GWが明けたらあわただしくなるだろうと予測はしていたのだが。実際は予測以上にハードな日々だと感じている。
いや、これらのイベントが、けしてつらくイヤなものだと感じているのではない。むしろ、楽しくて楽しくて仕方ないのだ。でも楽しくて仕方がない分その楽しみを徹底させたいと思うのに、あまりのあわただしさにすべてが中途半端になっている気がするのだ。つまり、ひとつのイベントが終わると次のイベントがすぐ目の前にもうやってきているから、俺の中で気持ちの切り替えが間に合わないのだ。例えば引っ越しの荷物がまだ片付いてないのに、家族旅行の計画ですでに頭はいっぱいだった。家族旅行から帰ってきたら今度は愛・地球博の気分に気持ちを切り替えなきゃいけないのに、家族旅行の余韻に浸ったままなかなか抜け出せないでいた。ホントはそれぞれのイベントを最初から最後までもっと十分に楽しみたいのに、中途半端なまま次へと気持ちを切り替えなくてはならないようで、どうももったいないと思ってしまうのだ。俺は簡単に気持ちの切り替えができるほど、器用じゃない。
暇で暇で何もやることがないよりは、次から次へといろんな出来事を経験していく方が俺は好きだ。でも、それにも限度がある。全速力で駆け抜けるばかりではなく、もう少しスピードを落として自分のペースで進んでいきたい。なんて言っても、次に企んでいるイベントはすぐそこですでに待っている。夏は、もうすぐだ。



2005年06月12日(日)
Vol.579 万博とは

おはようございます。りょうちんです。

愛・地球博に行ってきた。この企画、名古屋出身の相方に誘われて、去年からずっと計画していたのだ。とは言うものの、万博とはどんなイベントなのかさっぱり見当がつかなかった俺。中学生の時に隣の茨城県で開催されたつくば博にも、俺は行かなかったし。今年に入って日に日に愛・地球博が話題になってはきたが、それでもいったいどんなものなのか予想もできないまま俺らは愛知へと向かった。
まるまる2日間、広すぎる会場をあちこち見て回る。インターネットで事前に予約を入れていたため、360分待ちだなんて信じられないほどに大行列が出ているパビリオンも楽勝に入ることができた。待つこともほとんどしないまま、世界各国のパビリオンも企業館もスムーズに見て歩く。当選確率が4%だと言われてあきらめかけていた「サツキとメイの家」も、運良く当たっちゃったし。開園から閉園まで、俺らは歩き回り時にはかけずり回り、いくつものパビリオンを楽しんだ。2日間フルにそんなことをしてても、結局は回りきれなかったところもあるし。てか広すぎるよ、長久手会場。
で、結論。万博ってどんなものなのか全然見当がつかなかった俺が、実際に愛・地球博を訪れてわかったこと。万博とは、万国博覧会というように、世界各国の文化や特色を楽しみながら勉強できるイベント。世界旅行なんて時間的にも経済的にも到底無理だから、万博に来て世界中のいろんな国のことをもっと知りましょうよ、みたいな趣旨のお祭りなんだと俺は思った。今回の愛・地球博は「自然の叡智」がメインテーマだから、地球にやさしいとかエコロジーとかそういうコンセプトのパビリオンが多かったけど、名前しか聞いたことのないような国のことをそういう一面からでも知ることができたのはとても興味深かった。
本物のモリゾーとキッコロには最後まで会えなかったけど、今年の目標である「CLEAN大作戦」を展開中の俺にはナイスなイベントだったかも。エコを心がけるモチベーション、さらに上がったもんね。それにしても、疲れた2日間だったなぁ。



2005年06月05日(日)
Vol.578 自己満足の親孝行

おはようございます。りょうちんです。

家族旅行に行ってきた。俺、弟たち、弟の奥さん、それに両親の計7人。大きなワゴン車に乗って、俺たちが両親に旅行を招待したのだ。母の病気が良くなったらみんなで旅行に行こうという口約束が、春になった頃から本格的に準備に入り、ついに実行されたというわけだ。海が見たいとか、きれいな花が見たいとか、おいしいものが食べたいとか、水族館に行きたいとか、関東から脱出したいとか、温泉に入りたいとか、みんなからのリクエストを全部考慮してさんざん悩んであげく。俺らを乗せた車は、福島県のいわき市へと走り出した。
入梅間近の鉛色の空も、北へ進むにつれてだんだんと青空に変わっていく。予報はしっかり雨だったけど、2日間なんとか降らずにもってくれた。久しぶりの家族水入らずで、最初から最後まで俺らはずっとテンションが上がりっぱなし。足の不自由な母がいるため無理な行動はできなかったけれど、ゆっくりのんびりといろんな場所を観光して見て回った。
熱帯植物園で花を見たり、おいしい魚介類に舌鼓を打ったり、小名浜の海を眺めたり、磯遊びに夢中になったり、温泉に浸かって太平洋を一望したり、ちくわ作りを体験したり、かまぼこ工場を見学したり、魚市場でおみやげを迷ったり、水族館で魚を観察したり。そのすべてが楽しくて、俺はずっとはしゃいでばかりだった。
帰りの車中は、みんなもうへとへとだった。普段は家でおとなしくしている母も、母の横でずっと面倒を見ていた父も、相当疲れちゃったに違いない。結局は、俺がいちばん楽しんじゃった旅行だったようだ。それなのに、ふたりは俺らに「ありがとう」と言ってくれた。本当はいつものように家でゆっくりしている方が良かったのかも、余計な遠出をして疲れさせちゃったのかもなんて一瞬だけ不安になったけど。たとえ今回の旅行が俺の自己満足の親孝行だったとしても、いつかはきっとステキな思い出に変わっていくと信じている。父と母を見て、改めて俺はふたりをこれからもずっと大切にしていこうとココロに誓った。