|
|
2004年06月27日(日) ■ |
|
Vol.490 弟の結婚 |
|
おはようございます。りょうちんです。
弟が結婚をした。式の数日前から、気がつけば俺もあわただしさに巻きこまれていた。父の衣装合わせに付き合ったり、新郎の親族代表としてのスピーチを考えたり。何があっても、このおめでたい出来事をココロから祝福してあげたいとずっと前から思っていた俺は、ばたばたするにつれて弟の結婚という事実を徐々に実感するようになってきた。 式当日。身内だけの、ホントに小さな結婚式は執り行われた。ホテルに着いて控え室へと向かうエレベーターを降りると、偶然にもそこには真っ白なドレスを着た花嫁のYちゃんが立っていた。とてもきれいだった。一緒にいた母は、彼女を見るなり号泣。4年も付き合ってきて、Yちゃんのことを我が子同然と考えていた母が泣くのも仕方ないかもしれない。式を待つ間、なかなか泣き止まない母を見ながら、そんなことを思って俺は桜茶をすすっていた。 こじんまりとした教会で、結婚式は始まった。厳かな賛美歌が流れる中、指輪を交換して愛のコトバを誓うふたり。そして身内だけの小さな披露宴。ふたりの写真をスライドで見たり、ケーキ入刀したり。俺はYちゃんの親族のところにお酒を注ぎに回ったり、母のサポートもしながらカメラ係も引き受けていたので、あちこち出歩いたりして、式の最中もいろいろと忙しかった。料理はしっかり食べたけど。 それにしても。Yちゃんもとてもきれいでびっくりしたんだけれど。それよりも、弟が本当にカッコ良かった。最後の、「ふたりで幸せな道を歩んでいくことをここに約束します!」と誓った弟のあいさつ。その潔く堂々としてしっかりした清らかなコトバは、本当に立派だった。正直言って、すごく感動した。 弟とYちゃんへ。結婚おめでとう。ふたりなら、きっと大丈夫。幸せになること、間違いないよ。そして、いつだって俺はふたりの味方です。頼りない俺だけど、万が一困った時には、俺が力になるからね。これからの新しいふたりの道を、確実に幸せの方向に向かって歩いていってください。本当に、おめでとう!
|
2004年06月20日(日) ■ |
|
Vol.489 リストカッター |
|
おはようございます。りょうちんです。
先日からうちの店で働いてくれている、新人アルバイトさん。彼女はとても元気が良く、愛想も良いかわいい女の子だ。小柄なのに声も大きいし、教えた仕事の要領も良く期待のホープである。休憩時間も他のバイトくんやパートさんと絶えず笑いながら話をしていて評判も良く、屈託のない笑顔は彼女の最高の魅力だと思う。 しかし先日、彼女と一緒に仕事をしている時、俺は気付いてしまったのだ。彼女の手首に、痛々しい無数の切り傷があることを。しかもそれは、おそらく鋭い刃物によって彼女自らの手で作ったものであることを。「あ、リストカッターなんだ…」。言葉にこそ出さなかったが、ココロの中でそうつぶやいた俺はショックを受けてしまった。実際、リストカッターの存在を知らなかったわけではない。でもこんな身近にそんな人がいるなんて考えもしなかったし、生々しいリストカットの傷跡を目の当たりにしたのは初めてだった。 普段は明るく悩み事なんて全然ないように見える彼女にも、きっとたくさんの悩みがあるのかもしれない。長野の片田舎から上京してきてひとり暮らしをする中、彼女のココロのうちだけじゃどうにもならない問題も抱えているんだろう。そんな不安や苛立ちやもやもやを、自分の手首を傷つける行為によってなんとか処理しようと努力しているのかもしれない。そして彼女は好きなタレントの話なんかをしながら、いつものように曇りのない魅力的な笑顔で笑っていた。 友人から、メールをもらった。俺を励ます文章の中で、彼女もまたリストカッターだということを告白してくれた。彼女の言葉は、とても力強く説得力があったけれど。俺はどんなに悩んだって落ち込んだって、自分を傷つける自虐的な行為をすることはできない。そんな勇気すらない。リストカットなんて俺には到底できないやり方だけど、それで希望が見えてくるのなら、けして悪いことじゃないのかもしれない。
|
2004年06月15日(火) ■ |
|
Vol.488 ココロに残った傷 |
|
おはようございます。りょうちんです。
小学校生活と中学校生活の大きな違いのひとつに、部活動がある。俺の通った中学では部活動は必須ではなかったのだが、生徒のほとんどが何かしらの部活に属し、俺も入学したての頃は未知なる部活動の世界に期待を抱いていた。今なら迷わず野球部に入るであろう俺なのだが、当時は「身長が伸びるかもしれないよ」という先輩からのうさん臭い勧誘にそそのかされて、軽い気持ちでバレー部に入部した。 そして、地獄の日々はここから始まった。昔のスポ根ドラマのような時代遅れの理不尽で意味もなく必要以上に厳しい練習と、完全に完成された管理教育からなる強制と押し付けを好む顧問の先生のやり方に、俺はずっと苦しめられた。練習で失敗したり決められたこと以外の行動をすると、顧問の先生から平気で殴る蹴るの暴行を受けた。その衝撃で口の中を切ったり鼻血を出すなんてこともしょっちゅうで、白い体操服に何度赤い染みを作ったか数え切れない。カラダはいつも傷だらけで、毎日びくびくしながら過ごしていた。今でこそこんな教育方針は考えられないが、それでも顧問の先生は一部の生徒や父兄さんから教育熱心で熱血漢だと言われて人気もあった。俺は、どうしても好きになれなかったけれど。 逆らうことなんかできなかった。というか、当時の俺はこれが普通なのだと思い、部活とはこういうものなのだと考えていた。バレーボールを楽しもうなんて余裕は微塵もなく、ただ怒られないようにチームメイトの一員として集団に同化することにすべての気を使っていた。毎朝7時からの朝練は吐き気がするくらいイヤだったし、チビで運動神経も良いとは言えない俺は引退するまでレギュラーの座を手にすることもなかった。最後の試合に負けて引退が決まった時は、正直言ってこの地獄から解放されることがうれしくてたまらなかった俺だった。 あれからずいぶん時は過ぎ、暴行を受けた時のカラダに残った傷はきれいになくなった。でも、今でも時々あの頃のことが悪夢となってうなされる時がある。カラダに残った傷は消えても、ココロに残った傷は永遠に消えないのかもしれない。
|
2004年06月14日(月) ■ |
|
Vol.487 逃げるだけの生活 |
|
おはようございます。りょうちんです。
「前向きに!」だとか「がんばっていこう!」だとか、いつもは平気で言ってる俺なのですが、俺の中ではそんなのは上っ面だけの特に深い意味を持たないコトバだったようです。耐えきれない罪悪感のせいで、俺はもう何日もネガティブに塞ぎこんでいる生活を送っています。何もかもから逃れたくて、現実逃避の日々。普段は偉そうに強がりばかりを言ってるくせに、これほどまでに脆く弱い自分だったなんてホントに予想外で、自分自身が情けなくって仕方ありません。 幸い、現実逃避の手段はすぐに見つかりました。仕事です。仕事が忙しく作業に没頭している時は、一瞬でも罪悪感から気をそらすことができました。だから俺は、ただでさえ普段から忙しかった仕事の量をわざと増やし、罪悪感から逃れるためにカラダを酷使しました。それでもふと何かの拍子に気を緩めると俺のココロに例の罪悪感が容赦なくするりと忍び込んできて、胸の痛みに苦しめられるのでした。 家に帰ると現実を突きつけられるようで、仕事が終わってもずっと実家に戻ることにしました。それでもどうしても家に帰らなければならない時は、速攻で布団に潜りこみ少しでも早く眠りに落ちる努力をしました。自分の家だというのに、パソコンを立ち上げることもなく、倒れた扇風機も割れたコップもそのままで。 こんなふうに逃げるだけの生活じゃいけないなということは、充分わかっていました。頭の中では理解していたのですが、でもどうすることもできませんでした。とてつもなく大きな罪悪感と自分のすべてに自信をなくしてしまった俺は、何からどう対処すべきなのか考えることもできなくて、自分をコントロールするのも不可能な状態でした。俺という人間は、なんて弱くてちっぽけなんでしょうか。 時間がたてばすべて解決してくれる、なんて思いたくありません。でもあれからほんの少しだけ時が過ぎて、こうやってココロの弱い部分をさらけ出すことができるようになったということは、本当の意味でやっと前向きに一歩踏み出せたということなのでしょうか。今はそう信じていたいです。
|
2004年06月13日(日) ■ |
|
Vol.486 傷つけるということ |
|
おはようございます。りょうちんです。
人を傷つけたことがありますか? 俺は32年間生きてきて、生まれて初めて本気で人を傷つけてしまいました。それがどれだけ悪いことなのか、やってはいけないことなのかなんてその時の俺はまったく考えることなどせず、ただ自分の都合のいい発言や態度や行動を取ってしまいました。人のココロを無残に踏みにじった俺の言動により、深く大きな傷を負わせてしまったことを今はただ悔やむばかりです。 人を本気で傷つけて、初めてわかったことがありました。傷つけるということは、とても苦しくつらいということです。傷つけることがこんなにも激しい痛みをともなうことだったなんて、人を傷つけてしまってから初めて知りました。あの日以来、俺は今まで経験したことのないこの上ない罪悪感に苦しめられています。申し訳なかったという謝罪の気持ちがこの胸のすべてを埋め、ここ数日はひどく落ち込んでいる毎日です。梅雨の雲の隙間をぬって降りそそぐひざしは憎らしいほど眩しくて、過ぎて行く風も泣きたくなるほどすがすがしいのに。それに反比例するように俺はまったく自分らしさをなくし、絶望と戦う日々を送っています。 そして俺は耐えきれない罪悪感に自分自身がどうにかなってしまいそうだという理由だけで、傷つけた人に謝罪の言葉を伝えました。たったそれだけの、まったくもって自分勝手な理由で。どこまで自己満足すれば、俺は気が済むのでしょう。すべての信頼を失った俺がそんなことをしても、逆に気持ちを逆なでするだけなのに。許してもらおうなんて、毛頭思っていません。ただこの罪を、俺はずっと背負っていこうと思っています。こんなこと書いても、もう信じてもらえないのですが。 自分でまいた種だから、誰かに助けを求めようなんて思っていません。むしろ、愚かな俺を笑ってください。約束さえ守れない情けない俺を、けなしてください。表面ではきれいごとばかり言って本当は何もわかっていなかった哀れな俺を、罵倒してください。弱くて惨めでどうしようもない俺を、バカにしてください。それがこの最上級の罪悪感から解放される、たったひとつの方法だと俺は思っています。
|
2004年06月06日(日) ■ |
|
Vol.485 コトバの定義 |
|
おはようございます。りょうちんです。
缶ジュース、切符、家。お金を出してこれらを手に入れる時、あなたにとって「買い物」とはどれですか? 先日ふとTVをつけると、街行く人にこんな質問をしている番組が放送されていて、質問に答える人々の反応に俺は思わず興味を引かれてしまった。すべてのものにおいて、お金を出して手に入れることには変わりないのに、缶ジュースは自販機で買う場合は買い物じゃないとか、切符は手元に何も残らないから買い物じゃないとか、家は自分ひとりで気軽に買えないから買い物じゃないとか。人によってその答えがまちまちで、見ている俺も「じゃあ、買い物とはなんだろう?」という疑問が沸いてきた。 諸外国のコトバに比べると、とかく日本語は曖昧なのだそうだ。「買い物」というコトバひとつとってみても、人や場所やその時の状況によってコトバの定義は変わってきてしまう。時にはコトバの曖昧さが不自由な時もあるけれど、すべてのコトバに完全な定義づけがされていないがゆえコトバは生きていくものだと、この番組の最後に締めくくっていた。 そう考えると、コトバの定義って難しい。例えば、自分にとっての「ちょっと」が、相手にしてみれば「かなり」かもしれない。自分はとても仲の良い「友達」だと思っていたのに、相手はただの「知り合い」としか思ってないかもしれない。すべてのコトバにおいて、その意味をきっちり定義づける必要なんてないと俺も思うけれど、意味のラインを曖昧にしたままだったからという理由で誤解を招いてしまう可能性だってあるはずだ。 「友達」とはなんなのか? 「恋人」とはなんなのか? 「付き合う」とはなんなのか? こんなことは論理的に説明したところで理屈っぽくなってしまうとは思うのだけれど、コトバの定義について考え始めてしまった俺は、明確な答えが見つからないまま今日も不安定な一日を送ってしまった。
|
2004年06月02日(水) ■ |
|
Vol.484 23時の新宿駅 |
|
おはようございます。りょうちんです。
23時の新宿駅。週末でもないのに、真夜中に途切れを知らない人ごみの渦。肩を過ぎてゆく風が心地良くて、俺は柵にもたれて行き交う人々をただぼんやりと眺めていた。この場所にいるたくさんの人たちは、いったいどういう人でどこへ向かってるんだろう? ふとそんな疑問がわいてきて、しばし人間観察をすることにした。 もう消えてしまった巨大ビジョンの前の信号が青に変わると、大きな黒いかたまりに見えた人の群れが一斉に動き出して、駅の地下道へ続く階段へと吸いこまれていく。一方その逆に、階段を上がって地上へと出てきた人たちは蜘蛛の子を散らしたように四方に散らばり、ネオンの街へと姿を消していく。 よれよれのくたびれたスーツで千鳥足のおやじ。それを必死でサポートする新入社員らしき人。少し派手な化粧と服で身を固めた急ぎ足で歩く女の人。大きな袋をぶら下げた淡い色の着物を着た上品なおばさん。この春東京に出てきてやっと都会の生活にも慣れてきたカンジの男の子。コンパで上がったテンションが下がらない大騒ぎの学生たち。じゃらじゃらのケータイを手にしてメールに夢中な少女。そして俺だって、この人ごみを構成しているひとりなのではあるのだけれど。 でもきっと誰もが、ひとりひとり違った想いを胸に今日を過ごしてきたんだろう。それは端から見たところで、どういうものなのかはわからないけれど。喜びも、悲しみも、苛立ちも、希望も、不安も、優しさも、幸せも、不幸せも。それぞれがそれぞれの想いを抱いて、目的の場所をめざしてこうやって歩いている。 30分近くもこの不規則な人の流れを眺めていただろうか。終電の時間が迫っているようだ。駅への地下道へ続く階段に向かって、駆け足で滑りこんでいく人が増えてきた。彼らは、彼らを待つ最愛の人のもとへと帰るのだろうか。そうでない人は、いつかこのとてつもなく大きな東京という街の中で、ベストと呼べるパートナーと偶然を重ねて出会えるのだろうか。そんなことをただ漠然と考えつつ、やっとのことでもたれた柵から重い腰をあげた俺は、再び歩き始めた。
|
|