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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2004年05月29日(土)
Vol.483 BUMP OF CHICKEN

おはようございます。りょうちんです。

BUMP OF CHICKENのライブに行ってきた。今回のライブは、地元でおこなわれる凱旋フリーライブ。彼らが高校の後輩だからというわけじゃないけれど、メジャーになる前から彼らのことを応援していた俺としては実にうれしいライブなわけで。友達に頼んで関係者席でこのライブを見せてもらうことにした。
さて、ライブの会場は市民体育館。体育館といっても財政に厳しい俺の住む市、かなりボロい体育館なのである。その昔、俺も部活の大会や成人式でも使ったことがあるのだが、築30年近くもたち空調設備も整っていないしょぼい会場。こんなところで大丈夫なのか、BUMP OF CHICKEN? そう心配しつつ、ライブは幕を明けた。
オープニングの「アルエ」が始まったとたん会場がどよめき、みんな拳を突き上げて激しいビートの波に乗る。しかし心配どおり、2曲目の最中にアクシデントが発生! なんと、体育館の床がオーディエンスの一斉ジャンプの重さに耐えかねて底が抜けてしまったのだ。俺は2階の関係者席からその一部始終を見ていたのだけれど、どうやら梁が折れてしまったみたいでかなりの広さで床が沈み込んでいた。幸いケガ人は出なかったようだが、このアクシデントのせいでライブは一時中断。どうなることかと不安になる俺だったが、応急処置の末なんとかライブは続行。そのあとは少しだけおとなしくなったオーディエンスではあったけど、俺は最後まで上がってしまったテンションが下がることはなかった。「ダイアモンド」も「ハルジオン」も「ロストマン」も「ラフ・メイカー」も「K」も「グロリアスレボリューション」も「天体観測」もアンコールの「ガラスのブルース」も。全部最高だったよー。やっぱ、藤原くんの書く詞と彼ららしい独特なアレンジが良いっすねぇ!
ライブ終了後、なんと関係者席にメンバー全員があいさつに来てくれた。久しぶりに再会する家族や友達と、写真を撮ったり話に花が咲く彼ら。どさくさにまぎれて、俺も藤原くんと握手してもらっちゃった。7月には新曲も出るみたいだし、俺としては今後も大注目のBUMP OF CHICKEN。これからも応援していきますぜ!



2004年05月28日(金)
Vol.482 更新手続き

おはようございます。りょうちんです。

この部屋に越してきて、早いものでもうじき丸4年が過ぎる。先日、大家さんから郵便物が届いて、中には更新手続きの書類が入っていた。
この部屋を、俺はとても気に入っている。実家からも遠くはなく、駅やコンビニやスーパーも近くにあり、駐車場もついている。ひとりで住むにはやや広いくらいだし、日当たりも良好、線路沿いにありながらも電車の音はまったく気にならない静かな住宅地だ。都内に出るにはそれなりに距離もあるし時間もかかるが、その分家賃だって格段に安い。実は弟が結婚をするのを機に来月実家を出て行くことになって、誰も使うことのなくなった部屋が実家にもでき帰ろうと思えば帰れる状態なのではあるのだが。でも俺は、当分この部屋を出ていこうとは思っていない。
郵送された封筒の中には更新に必要な書類がいくつも入っていて、これをきっかけに契約書の内容を改めて読んでみることにした。でも4年もずっと暮らしていれば、契約書に違反することもあったりする。この部屋はペット不可なのだが、じょーじくんと一緒に住んでいた去年までは明らかにこれには違反していた。じょーじくんのせいで、壁のところどころがかじられてぼろぼろになってしまった。これは今さらどうすることもできない。
さらに驚いたのが、家賃の締め切りが毎月26日だったということ。月末が締切日だと4年間ずっと思い込んでいた俺は、25日に自分の給料が出てから銀行に行ってお金を振り込んでいた。時々月末が週末に重なったりすると、実際には月が明けてからの引き落としになってしまうこともあって、そうなると毎回のように俺は数日間家賃を延滞してしまっていたことになる。でも一度たりとも催促の連絡を受けたことはなかったので、今まで全然気付かなかったのだが。大家さん、ごめんなさい。
契約書にサインをして、あとははんこを押すだけになった。来週中には更新料を振り込んで、書類を送り返せば手続きは終了だ。そして俺はこの部屋で、5回目の夏を迎えることになる。



2004年05月26日(水)
Vol.481 たった3ヶ月の間に

おはようございます。りょうちんです。

うちの店に荷物を運んでくれる業者のお兄さん。配達ルートが変わってから、もうじき3ヶ月になる。ぎこちなかった荷物の配送もすっかり慣れてきて、余裕も出てきた最近じゃ仕事の合間に世間話もするようになった。「週末は荷物が多くて大変すよ」とか、「まだこのあと5店も回らなきゃなんすよ」とか、忙しそうに荷物を整理しながら俺の話に乗ってくれてとても好印象だ。
何とはなしに、「以前うちの店を担当してくれていたお兄さんは、今でも別のルートでがんばってるんすか?」と聞いてみた。前のお兄さんも気さくでノリが良くとても好印象だったのだが、ルートが変わってからはすっかり会えなくなってしまった。すると、めずらしく仕事の手を休めたお兄さんが、「実はですね…」とちょっと小声ですごいことを話し始めた。
なんと前のお兄さん、別の店のアルバイトの女の子と駆け落ちをしてしまったんだそうで。それが原因で、ちょっと前に配達の仕事を辞めてしまったんだそうだ。その話を聞いて、俺もバイトくんも驚きの声を隠せなかった。だってほんの3ヶ月前、もう長いこと同棲してる少し年下のナースの彼女がいるって言ってたじゃん。時期を見計らって近いうちに結婚するって言ってたじゃん。
たった3ヶ月の間に、彼のもとでどんなことがあったのかは俺にはわからないけれど。あまりに予想外の事実を知って、マジでびっくりしてしまった。休みの日が重なったら今度一緒に飲みましょうという約束はまだ果たしてないから、ぜひとも再会して事の真相をいろいろ聞き出したいんだけれど。今となっては、それも叶わぬ夢になってしまったようだ。今はただただ、彼の新しい幸せを祈るばかりである。



2004年05月25日(火)
Vol.480 メガネをかけて

おはようございます。りょうちんです。

メガネを使わなくなって、どのくらいたつだろうか。視力が裸眼で0.1もない俺は、ここ何年もコンタクトレンズに頼りっぱなしの生活を送っていた。コンタクトをしていないと階段を降りるのさえ怖く感じてしまうほどなのに、ものぐさな性格のためか手入れはかなりいいかげんだ。コンタクトをはめたまま眠っちゃうことなんてしょっちゅうだし、何日間も外さないままでいることもあったりする。ホント、自分でも良くないとは思うのだが。
でもやっぱりコンタクトをずっとつけっぱなしでいると、さすがに目が疲れてしまう。仕事中も霞んだりしょぼついたり、日々の生活にも少しずつ不都合がでてきてしまったので、思いきって数年ぶりにメガネを作ることにした。仕事や外出の時は今までみたいにコンタクトを着用して、家にいる時はメガネを使用して。そうやって使い分けることで、目への負担を軽くしようと思った。
メガネ屋さんで、さっそく自分のメガネを作ってもらった。フレームを選んだり検眼をしたり、最近じゃ加工方法もいろいろあったりでそれなりに楽しかった。フレームは、いくつもの候補の中から最終的にいちばんぴったり来たのに決めた。ASIAN KANG-FU GENERATIONのボーカルくんをめざしたのだが、鏡の中の俺はどう転んでもGOING UNDER GROUNDかチューヤンで、俺の髪型も加味すれば東北高校の真壁くんにも似ているような気がした。ううむ、所詮俺はその辺止まりか。
数日後、できあがったメガネを受け取りに行く。おぅ、なかなか良いカンジだ。久しぶりのメガネで鼻の付け根と耳に多少違和感があるが、思ったよりも視界が広く、コンタクトと違って目そのものへの負担はまったくない。予想以上の快適さに、大満足の俺。その日以来、仕事でコンタクトをする以外は、ずっとメガネをかけて生活している毎日である。



2004年05月24日(月)
Vol.479 タイヤ交換

おはようございます。りょうちんです。

いちばん下の弟は、実家近くのガソリンスタンドでアルバイトをしている。俺も学生の頃、ガソリンスタンドでアルバイトをしていた経験があるのだが、仕事は給油や洗車をするのがメインだった。しかし弟はもうずいぶん長いことそこでアルバイトをしているので、車の整備や修理などもできる腕を持っている。整備士の資格も取ろうかなんて考えてるくらいだから、機械に関しててんで弱い俺としては、車関係で何か困ったことがあるとすぐに弟に頼ってしまうのだ。
ちょっと前、弟にオイル交換をお願いした時、「この車のタイヤももう寿命だね」と言われた。それまではタイヤのことなんて全然気にしてなかったのだが、そう言われて初めてタイヤがひどく磨耗していることに気がついた。考えてみれば仕事で毎日のように車に乗っている俺、知らないうちにタイヤだって酷使しているはずだ。「時間がある時に持ってくれば安く交換するよ」、の弟のコトバに甘えて、今日さっそくタイヤ交換をお願いした。
作業着姿の弟の横で、俺はずっと自分の車のタイヤが交換されるのを見ていた。いろんな工具や機械を使い、油まみれになって、先輩たちと一緒に手際よく作業をする弟がなんだかとってもカッコ良かった。俺と12歳も歳の離れている弟のことをまだまだ子供だと思っていたのに、一生懸命働く姿はいつもの弟と違って見えた。末っ子の弟はやんちゃなくせに甘えん坊の聞かん坊で、ホントにできの悪い弟だと思っていたのだが、いつのまにか俺にはできないこんなことまで簡単にできてしまうほどに成長していたとは。弟のとても鮮やかな仕事っぷりを目の当たりにして、俺はひどく感心してしまった。
ほんの1時間足らずで作業は終わり、そのあとは一緒にファミレスに行った。来年成人式を迎えるとはいっても、チョコレートパフェを夢中で食べる弟の姿は、やっぱりまだまだ子供だった。今度は大好きなビッグマックセットで、改めてお礼をしてあげようかな。タイヤ交換のお礼がこれくらいで済むなら、安いもんだ。



2004年05月23日(日)
Vol.478 ほったらかしの日々

おはようございます。りょうちんです。

俺ってば、いったいどうしちゃったんだろう? ここ数日、すこぶる調子が悪かった。熱が出たとか風邪を引いたとか、そういうわけではないので体調を崩したとはまた違うのだが、とにかくなんだかとても疲れてしまったみたいで、何をするにも体力が気力についてこなかった。これって5月病か? なんて思ったけど、やる気はあってもカラダがついてこないという症状は、やっぱりそれとも違う気がする。
そういや先週はいつもよりも休日が1日少なかったし、たった1回しかなかった休日もほとんど眠らずに遠方まで野球観戦に行っちゃったし、都内まで普段着慣れないスーツを着て会議に出かけたりと、何かとあわただしかった。そんな過酷な俺に、今まで溜まっていた疲れがプラスされてしまったのかもしれない。仕事中も常に腰掛けていたい状態だったし、休憩中は机につっぷしてちょっとでもカラダを休めようと必死だった。家に帰ってくれば、メールのチェックどころかパソコンを立ち上げることすら億劫で、布団に直行してあっという間にとろけるくらいの眠りに落ちて、気がつけば朝になっていてあわててシャワーを浴びて再び仕事に向かうなんてこともあった。
やらなくちゃならないことはたくさんあるのに、すべてほったらかしの日々。部屋の掃除も、溜まった洗濯も、食器洗いも、季節はずれの台風で外れてしまった網戸も、全部ほったらかしのまま。やる気だけは充分あるのに体力に限界を感じるなんて、もはや老化現象かなんて悲観的には考えたくないけれど、疲労困憊な自分にはもうにっちもさっちもいかない。
明日は休日。そう思うと、弱りきった俺の中のまだ少しだけ残っていたパワーが出てきた気がする。これくらいでへこたれる俺じゃない。ひとつずつ、あせらずに、ゆっくりと。明日こそ、久しぶりに自分の時間を有意義に使いたい。



2004年05月17日(月)
Vol.477 春風のいたずら

おはようございます。りょうちんです。

前日までのぽかぽかで穏やかな春の陽気が一変して、その日は朝から台風みたいな激しい雨と風。天気予報でも発達中の低気圧が近づくため、大荒れの一日になるでしょうなんて言っていた。
うちの店の裏手にはちょっと大きめの業務用のゴミ庫があって、店から出たゴミをそこに溜めている。しかしその日に限って、バイトくんがしっかりふたを閉めなかったらしい。折りからの強風に煽られて、畳1畳くらいもあるゴミ庫のふたが飛んでいってしまった。そしてよりにもよってそれが隣のIさんの家の窓を直撃し、無残にも網戸を壊してしまった。
いつも穏和でうちの常連さんでもあるIさんだが、さすがにこれにはかなりご立腹の様子。いくら春風のいたずらとはいえ、今回ばかりは全面的にこっちが悪い。あわてて菓子折りを持って謝罪にうかがうと、若奥様が出ていらした。こっぴどく叱られるのは覚悟してたんだけど、「こちらこそいつもご迷惑ばかりかけてしまって…」なんて、とても愛想良く対応してくれて俺もほっとした。だけど悪いものは悪い。「修理代等はこちらで持ちますので…」と約束して、その日は帰ってきた。
翌日、今度は旦那さんが店にいらした。旦那さんもとてもにこやかな方で、やっぱり壊れた網戸を修理をしたいとのこと。こういう事故は保険対応でまかなえるので、壊れた網戸の写真を数枚撮らせてもらった。あとは保険屋さんに任せるだけ。これですべてが一件落着、そう思っていたのだが。
あれから半月たったけど、今だにIさんの家の網戸は壊れたまま。直した形跡がない。おまけにその日以来、店の常連だったIさんはうちに来なくなった。どうしたものか非常に気になるのだが、聞きに行くのもどうも気が進まない。近いうちには、どうなったのか聞きに行かなくてはと思っているのだが。うう、ご近所付き合いって難しい。



2004年05月14日(金)
Vol.476 遠い街のどこかで

おはようございます。りょうちんです。

長年東京暮らしをしていた友達が、実家のある長崎に帰ってしまった。それはあまりにも突然の出来事で、3月に一緒に伊豆に行った時も、4月に誕生会をやった時も、俺はなにひとつ知らなくていつものようにバカなことを言い合ったり大騒ぎをしていたのに。引っ越しの知らせを知った時はすでに東京をたつ1週間ほど前で、俺は彼にあわてて電話を入れた。
彼はホントに楽しい人だった。集まった時はいつもみんなを笑わせてくれて、彼がいるだけでタイクツなんて忘れてしまえた。そんなおちゃらけたキャラクターだと思っていた彼の、別の一面を知った時があった。俺が相方とケンカをした時、彼は俺らのことを本気で心配してくれたのだった。優しいコトバやアドバイスをしてくれて、彼は楽しいばかりじゃなくこんな繊細な部分もあるんだなと、その時から俺は彼を見る目が変わった。
送別会の日も特にしんみりすることはなく、いつもと同じように楽しくふざけてばかりの彼がいた。いくら長崎に帰るとはいえ、またしょっちゅう東京に遊びに来ると彼は言っている。二度と会えないわけじゃない。どうせみんなのことだから、集まる時は彼にもお声がかかるだろうし、彼がいなくたって彼の話題は当然出てくるに違いない。だから俺もさみしいなんて気持ちはなく、笑顔で手を振った。
でも彼にとってみれば、大学入学と同時に上京してきてから、長い間暮らしてきた東京を離れていくのはやっぱりさみしいことだと思う。今までのライフスタイルが一変して、また新たな生活が始まってゆくのだから。「長崎に帰ることに全然抵抗はないよ」と彼は笑っていたけれど、彼の瞳の奥ではひとつの覚悟ができているように俺は感じた。
彼が東京を離れてから、もう1週間が過ぎた。彼は長崎の遠い街のどこかで、今日もがんばっているだろうか。



2004年05月13日(木)
Vol.475 「おにいさん」と呼ばれて

おはようございます。りょうちんです。

弟の結婚式が刻々と近づいている。俺の知らないうちに結納がすでに済んでいたり、うちの両親と向こうのご両親との顔合わせの食事会があったり。新居を決めたり結婚式の最終的な段取りを相談したりと、来月末に待っている式の当日まではまだまだいろいろと忙しいようだ。今日は母の退院のお祝いも兼ねて、父、母、俺、それに弟と弟の彼女の5人で食事をすることになった。
実は弟の彼女とこうやってちゃんと話をするのは、今回が初めてなのだ。失礼がないようにとやや緊張していた俺。しかし彼女の第一印象はとても気さくで、元気のいい女の子だった。人見知りもせず俺もすぐ打ち解けて、食事をしながら話もどんどん弾む。弟が言うには彼女のキャラはかなりの天然ボケなのだそうだが、俺の目から見れば、保母さんをしている彼女はホントに気が効く人だと感心した。気がつけば俺の取り皿にいつのまにか料理を取り分けてくれていたり、歩くのが遅い母の手をそっと取ってあげていたり。婚約者の両親や兄の前で、必要以上に気を使ってくれていたのかもしれないが。それにしても弟よ、できた彼女を捕まえてきたな。
さて、楽しい食事の中で、たったひとつだけ気になったことがあった。それは彼女が俺のことを、「おにいさん」と呼ぶのだ。俺は婚約者の兄だから、「おにいさん」と呼ばれてもまったくおかしな話ではないのだが。弟からも本名で呼ばれる俺は、「おにいさん」という聞き慣れない呼び方で呼ばれてもすんなりすぐには耳になじまなくて、そのたびになんだかとてもくすぐったかった。代わりに俺は彼女のことを、「Yちゃん」と呼ぶことにした。今日はやっぱり照れくさくって、面と向かって呼ぶことはできなかったけれど。
弟の結婚式まで、あと1ヶ月とちょっと。その時までには、「おにいさん」と呼ばれることにも慣れるように、恥ずかしがらずに彼女のことを「Yちゃん」と呼べるように、がんばらなくちゃ。これ、弟とYちゃんがくれた俺への宿題かな。



2004年05月12日(水)
Vol.474 高尾山で遭難

おはようございます。りょうちんです。

雨の中、高尾山に行ってきた。東京都の西部に位置する高尾山は、以前から訪れたいところだった。標高600m足らずの山頂では、夏にはビアガーデンもやるという。軽いハイキング気分で高尾山登山を楽しみたいと、前々から思っていた。
高尾山口の駅を下りて、登山前にまずは腹ごしらえ。名物のとろろそばは絶品だった。今回はケーブルカーには乗らず、歩いて山頂をめざす。コースも裏ルートを選んだためそれなりに険しい山道が続いたが、雨に濡れる新緑の中を歩くのは気持ち良かった。1時間半かけて、無事山頂へ到着。この時はまだ、これから起こる悲劇なんて想像していなかった。
下山時は、別のルートで帰ることにした。途中、「蛇滝」という道しるべを発見する。ガイドブックを見ても載っていないこの蛇滝、何とはなしに興味本位から足が向いてしまった。しかし、行けども行けども滝は見つからない。地図を見ると15分ほどで分岐点にぶつかるはずなのだが、それさえも発見できないまま道は延々と続いていた。しかも俺らが歩いてきた道は、どんどん下っている。例えまちがえたとしても、今さら引き返して再び険しい山道を登ろうなんて考えたくない。
雨も強くなってきた。ぬかるんだ道に足を取られ、何度も滑り転びそうになる。行きの道すがらにすれ違った人の中には立派な登山用の服装だった人もいたというのに、俺の格好ときたらパーカーにハーフパンツでトートバッグを持ち、まるで塾帰りの小学生のようないでたちだ。これじゃ登山にはまったくもって向いてない。
どのくらい歩いたろうか。あぁこれはホントに高尾山で遭難か、と思い始めた頃。夕闇に包まれ暗くなりかけた中、蛇滝に到着した。さらに進むと道も舗装され、視界も開けてきた。やっと麓に着いたんだ。そう思ったのもつかの間、俺らは再びショックを受けた。看板に描かれた地図を見ると、駅は山の向こう側にある。どうやら山の反対側に下山してきてしまったらしい。雨のあがった曇り空の下、駅まではさらに徒歩50分という事実を知った俺らは、もうただ笑うしかなかった。



2004年05月09日(日)
Vol.473 母の日に花を

おはようございます。りょうちんです。

いつものように、仕事帰りに寄った真夜中のスーパー。店内の一角に、普段見かけない花売場のコーナーがあるのに気づいた。そうか、今日は母の日だったんだ。
まだ保育園に通ってた頃、父の運転する車に乗って駅前の花屋までカーネーションを買いに行ったことがあった。誰かに母の日にはカーネーションを贈るんだと教えられた俺は、父を車に残してたったひとりで花束を買いに行った。買った花束を母にプレゼントしたことなんてすっかり忘れてしまったが、赤やピンクのカーネーションの花束をひとりで買いに行ったことだけは、今でも鮮明に覚えている。
その時以来、俺は母の日に花をあげたことがない。というか、自分の誕生日などは必要以上に意識しているのに、母の日なんてマイナーな記念日は毎年ついつい忘れてしまうのだ。去年だって、母の病室に弟やいとこからもらったたくさんのカーネーションを見つけて、初めて母の日だったことを知った俺だった。
店内を一周してひととおり買い物を終えた俺は、再び花売場の前で立ち止まった。カーネーションの他にも、ガーベラやブーゲンビリアやあじさいの鉢植えも並んでいる。しかしよく見ると、どれも今ひとつの咲き具合なのだ。どことなくしおれ気味だったり、全体的に小ぶりだったり、つぼみがほとんどなかったり。そりゃそうだ。日付が変わってすでに月曜、母の日はもう終わってしまった。ここに並べられているのは、売れ残ってしまった花たちなのだ。
ずいぶん長い間、俺は花とにらめっこしながら考え込んでいたのだが。いちばん奥に隠れていた、白いあじさいの鉢植えを買うことにした。ずいぶん小ぶりだが、つぼみはまだいっぱい持っている。梅雨がやってくる頃には、きれいな花をたくさん咲かせることだろう。病人に鉢植えをプレゼントだなんて縁起が悪いけど、母はきっとそんなことなんて気にしない。明日、この鉢植えを持って母に会いに行く。一日遅れだけれど、あの日以来ホントに久しぶりに母の日に花をプレゼントする。母は喜んでくれるだろうか。もうじき、母の退院も待っている。



2004年05月08日(土)
Vol.472 鉄砲隊

おはようございます。りょうちんです。

俺の住む街は、いわゆる城下町だ。天守閣は今はもうないが、城跡は公園になっていて中にはちょっと有名な博物館があったり、街を走る旧道は意味もなくL字型になっていたりする。近年この城跡に天守閣を復元させようという動きがあり、市ではその一環として「時代まつり」というイベントを数年前から催している。
この祭のメインは、仮装行列。殿様やお姫様や侍に仮装した人が行列をなして街の中を練り歩くというのが最大のイベントなのだが、この仮装行列にひょんなことから俺も参加することになった。観光協会に勤める友達から、欠員が出たところに参加してくれとオファーがかかったのだ。俺は相方を誘い、ふたつ返事でOKした。
今回、俺と相方がふんしたのは鉄砲隊。鎧に身を包み、鉄砲を肩にかけて歩くというなんとも勇ましい格好だ。受付を済ませ控え室に入ると、着せ替え担当の人がやってきて、あれよあれよという間に鉄砲隊の衣装に着替えさせられた。考えてみたら鎧なんて今まで着たこともないし、わらじだって上手く履けるか自信がなかったのだが。気がつけばあっという間に、俺も相方も戦国時代の鉄砲隊になっていた。しかし、なんとも見た目が弱っちい。どんなにカッコイイ鉄砲隊の衣装でも、俺らが着るとどことなく頼りない。こればっかりは仕方のないことなのだが。
さて、いよいよ行列が始まった。沿道には思いのほか大勢のギャラリーがいる。写真もたくさん撮られて、上機嫌な俺。ところで、鉄砲隊には重要な使命が待っていた。隊長の号令とともに、担いでいる鉄砲を空に向かって撃たなくてはならないのだ。緊張の面持ちで鉄砲を構え、引き金を引く。「3発鳴りますよ」と言われていたのに、銃口からはたった1回だけしか煙は上がらなかった。思いもよらぬ不発弾を抱え、あせって引き金ばかりカチカチ動かしている俺はやっぱり弱そうだった。これじゃ敵が攻めてきたらすぐにやられちゃうな、なんて自分でも思った。
もしも来年もお呼びがかかったら、今度は何に仮装しようか。忍者なんかも楽しそうかもしれないな。



2004年05月03日(月)
Vol.471 こいのぼりに憧れて

おはようございます。りょうちんです。

男ばかりの4人兄弟だったのにもかかわらず、ちびっこだった頃俺の実家にはこいのぼりがなかった。こいのぼりの代わりに、母方の祖父母からいただいたという立派な兜が居間に飾ってあった。しかし俺も弟たちも、たんすの上に地味に飾られている兜なんかよりも、小さくてもいいから大空を悠々と泳ぐ鮮やかなこいのぼりに憧れていた。こいのぼりが欲しいと母にせがんでみても、うちには兜があるでしょうと言われ、それでもあきらめきれない俺は保育園で作ってきた画用紙でできた小さくて不細工なこいのぼりを窓に飾っていた。
隣のNくんの家には、大きなこいのぼりがあった。毎年ゴールデンウィークが近づく頃になるとNくんのお父さんがこいのぼりを出してきて、風の穏やかな晴れた日には決まってNくんちの庭にはこいのぼりが泳いでいた。Nくんちのこいのぼりは大きな真鯉だけでなく、鮮やかな色の吹流しや緋鯉だって3匹も4匹もついていて、春の風に泳ぐこいのぼりファミリーがとてもうらやましかった。
玄関を開けて隣のNくんの家の庭にこいのぼりが泳いでいるのを見つけると、俺はうれしくなっていつも遊んでいる悪ガキたちや弟を誘ってNくんの家に行った。空に舞い上がるこいのぼりのしっぽをつかんでやろうとジャンプしたり、風がない時を見計らって垂れ下がったこいのぼりの中に潜りこんだり。あの頃はもっと強い風が吹いたら、このこいのぼりに乗って空を飛んでいけるんじゃないかと本気で考えていたっけ。
最近、昔ほど空に泳ぐこいのぼりを見かけなくなった。少子化や集合住宅に住む人の割合が増えたことが原因なのだろうか。今はもうこいのぼりが欲しいだなんて全然思わないけれど、街でこいのぼりを見かけるたびに、あの頃のこいのぼりがカッコよく見えた自分を思い出してしまう俺だったりする。