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2004年03月29日(月) ■ |
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Vol.458 全部返せ! |
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おはようございます。りょうちんです。
実はね、こっそり企んでたんすよ。甲子園に行こうと思ってたの。怒涛の8日間連続勤務が終わったら、連休を使ってセンバツを見に行こうとね。夜行バスの時間も調べちゃったり、生ダルビッシュをこの目で見てやるんだなんて、昨日の夜はひとりでウキウキしてたんだけれど。でも、行けなかったんすよ。しょぼん。 昨日の真夜中。店に泥棒が入りまして。俺はひとりごとを書き終えたあとすぐに眠りにつき、それからものの5分もしないうちにっすよ。不法侵入のセンサーが働いたと警備会社からの電話で叩き起こされまして。飛び起きた俺はあわてて店に向かったんすけど、時すでに遅し。俺が着いた時には、もう警察の方がいろいろと検証をされているところでした。 奪われたものは、大きな大きな金庫とその中に入っていたお金と銀行のカード。幸い、前日の売り上げ金は別の場所に保管してあるんで無事だったんすけどね。でも、いつもあるべきところにあるはずの大きな金庫が影もカタチもきれいになくっていて、その豪快な手口に俺は度肝を抜かれちゃいました。 結局、警察の検証は盗難届の作成やらも含めて、たっぷり朝までかかり。それに立ち会っていた俺は、一睡もできないままで。お巡りさんが帰っても、壊された扉の修理依頼をお願いしたり、新しい金庫の調達をしたり、保険の手続きを進めたり。それでも店はいつものようにお客様がやってくるから、通常業務もこなしながらかなりあわただしい一日を過ごすことになっちゃいました。さすがに夜は、いつもより早めに帰ってきちゃったけど。でも明日の休日も、事後処理等で午前中はつぶれちゃいそう。もう、睡眠不足と疲れと精神的ダメージで、完全にへとへとっす。 泥棒にひとこと言わせろ! 持ってった金庫やお金や銀行のカードよりも、大切な俺の睡眠時間と久しぶりの連休と楽しみにしていたセンバツ観戦甲子園ツアーを、全部返せ!
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2004年03月28日(日) ■ |
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Vol.457 トイレのドアが開かなくなった |
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おはようございます。りょうちんです。
せっかくの休日だというのに、店から電話が入った。トイレのドアが開かなくなったという。どうやら内側から鍵をロックしたままドアを閉めてしまったらしい。押しても引いてもうんともすんともいわなくなってしまったドアを前に、用を足したくてもどうすることもできずに途方に暮れてしまったようだ。 しかしあいにく俺は遠出をしている時で、すぐに店に飛んで行って様子を見ることができない。コインやドライバーを使ってなんとかドアを壊さず鍵を開けられないかと電話越しに指示してみたのだが、やっぱりどうも上手くいかない。目に見えない状況を電話越しに指示する俺も相当もどかしかったが、トイレを目の前にして用を足すことができないバイトくんの方がよっぽどもどかしいに決まっている。がまんの限界を超えたバイトくんは、結局近くのコンビニにトイレを借りに行った。 翌朝、出勤した俺はまず最初にトイレのドアの様子を見てみる。案の定、内側からしっかり鍵がかけられた状態になっている。「ホントに中には誰もいませんよね? もしかして、トイレの中で具合が悪くなって倒れちゃったお客さんとかいたりして?」、なんてパートさんが脅かすもんだから、一刻も早くドアを開けて中を確かめたくなった。まるで誰もいない家に忍び込むピッキング泥棒になったかのように、俺は鍵のかかったドアを必死で開けようと死闘を繰り広げる。ドアの隙間に細い針金を挿入して奮闘すること15分。カチャリという音とともにドアは見事に開いてくれた。トイレの中には倒れたお客さんがいることもなく、いつものように便器とトイレットペーパーがこっちを向いて微笑んでいた。うれしさのあまり、特にしたくもなかったが用を足してみる俺。 「りょうちん、すごい!」と、パートさんは誉めてくれたけど。よく考えてみれば、それってホントにすごいことなのか? 鍵のかかってるドアを針金1本で開けられちゃうなんて、犯罪にだって使えちゃうんだぞ。今の仕事がクビになったら、これで食っていこうかな。なんちって。
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2004年03月25日(木) ■ |
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Vol.456 エイプリルフールにはまだ早い |
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おはようございます。りょうちんです。
大学時代の友人Yくんからメールが来た。「事後報告になっちゃったけど、結婚しちゃいました!」と。え? マジっすか? なんとすでに大安吉日の昨日、入籍済みなのだそうだ。そういや去年の秋、みんなで新潟に旅行に行った時、彼からはまもなく結婚しそうな幸せなオーラがあふれていたっけ。あれから半年。それにしてもちょっと急過ぎる展開だ。エイプリルフールにはまだ早いけれど、これが本当の話なら、いろんなことをねほりはほり質問しなくては。 大学時代の彼は、真の遊び人だった。彼が学校でマジメに授業を聞いている姿なんて、俺の記憶の中にはまったくない。賭け事が好きな彼は、徹夜でマージャンに明け暮れたり、朝から晩までパチンコに熱を上げたり、先輩や後輩たちとゲームセンターに入り浸ったり。ずっとそんな生活を送っていた。そのせいか、彼はいつも金欠だった。サークル費が払えないと言って、会計だった俺に泣きつくことも幾度もあった。授業もろくに出ていなかったため単位を取るのもままならず、結局俺らと一緒に卒業することができなかった彼。俺らと一緒に企画していた卒業旅行も行けずじまいで、予定よりも1年長い大学生活を送っていた。 この先彼は就職してちゃんとやっていけるのだろうかと、誰もが心配していたのだが。そんな不安を見事に裏切り、彼は5年間通った大学をすっぱりやめたあと、実家の茨城に帰り就職先で一生懸命働き出したというウワサが流れてきた。週末も休日返上で仕事に精を出しがんばっている彼が、大学時代の彼とは別人のように思えた。もしかして彼は、就職したらマジメに働くということを前提の上で、あの頃あれほどまでに遊んでばかりいたのかもしれない。彼のあまりの変わりっぷりにみんな驚き、俺も彼を見直し尊敬した。 結婚おめでとうのメールを返したあと、俺はふと考えた。仕事で知り合ったらしい彼女は、Yくんの仕事熱心なところに惹かれたのだろうか。そのあたりも含めて、聞きたいことは山ほどある。よし、来月飲むぞ!
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2004年03月24日(水) ■ |
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Vol.455 桜の花の咲く頃に |
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おはようございます。りょうちんです。
東京で桜が開花宣言された日を境に、再び寒さが返ってきた。いわゆる寒の戻り。桜の花の咲く頃になると、一時的に真冬のような寒さがやってくるなんてことはそんなに珍しいことではない。今日も鉛色の重たい雲から落ちてくる3月の冷たい雨が、桜よりもひと足先に満開になった真っ白なこぶしの花を濡らしていた。 ここんとこ俺がなんとなく気分がすぐれずユウウツなのは、暖かな本当の春がなかなかやってこなくてじらされているからだけではない。時間が足りないのは今に始まったことじゃないけれど、やらなくちゃならないことも考えなくちゃならないことも山のようにあって、もう何から手をつけて良いかさえわからなくなりそうになる。こんなこと、コトバにしたってなんにも解決しないのだけれど。 深呼吸をしてみる。天井を見上げてみる。お茶を口に含んでみる。真夜中の静寂に耳をそばだててみる。気がつけば無意識のうちに、自分の感覚をフル稼働して少しでもラクな方へと身を委ねようとする俺がいた。もがいてばかりいるんじゃなく、一瞬だけ力を抜いて流れに任せると、見えなかったものが見えてきた気がした。 垣根に咲いた沈丁花から、むせるくらいに甘い香りが立ち込める。ひと雨ごとに暖かくなるなんて言うけれど、この雨があがったら本当にまた少しだけ暖かくなっていくのだろうか。うららかなひざしも満開の桜の花も、ココロから待ち望んでいる俺だけれど。今はまだもう少しだけ、この冷たい雨に打たれていよう。季節が巡れば、やがて俺のところにももうじき本当の春がやってくるのだから。
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2004年03月19日(金) ■ |
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Vol.454 青く染まったスタジアム |
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おはようございます。りょうちんです。
サッカーを見に行ってきた。アテネ五輪出場をかけたアジア代表決定戦、日本vsレバノン戦。野球なら数え切れないほど観戦経験がある俺だが、実はサッカー観戦はこれが初めてなのである。別にサッカーが嫌いなわけじゃないが、野球に比べるとどうしてもとっつきにくく、イマイチ熱くなれないと思っていたのだけれど。オリンピック出場がかかっているとなると、話は別だ。 少し前、新聞の人物紹介欄で平山相太くんの記事が載っていた。高校生にしてものすごく超越したワザを持っている彼がサッカー界で騒がれていることは知っていたが、予想に反した彼のあまりにもしっかりした考え方に俺も一気にファンになった。あかぬけない純朴な顔つきも、サッカー選手らしくなくて魅力的だ。そんな彼も、この試合に出場するのだという。ミーハーゴコロも手伝って、俺は初めてのサッカー観戦を期待せずにはいられなかった。 5万人を超える観客を集めた国立競技場は、ジャパンブルーの青一色だった。俺もサポーターたちにまぎれて、入場の時に手渡された青いシートを頭上に掲げたり、青いタオルを振り回したり、大声で叫んだりウェーブをしたり。応援の熱気は試合が始まる前から満ち溢れていた。やがてキックオフ。TVで観戦するのと違いピッチ全体が見渡せるので、試合の流れがよくわかり、目を離す暇もないほど熱くなって観戦している俺がいた。それは野球観戦の時と何も変わらない俺だった。やっぱり生でのスポーツ観戦は、何でもおもしろいということか。 チャンスが来たりピンチが来たりするたびに、声をあげて一喜一憂する。阿部選手のゴールも大久保選手のゴールも、俺はしっかりこの目で見届けた。日本がゴールを決めるたびに、青く染まったスタジアムは歓声で響き渡る。そしてついに、日本は2−1でレバノンに見事勝利を収めた。 さらにその2日後にはUAEにも快勝し、日本チームは夢のオリンピック出場を手にした。さぁ、今年のオリンピックはサッカーも目が離せなくなるかもしれない。
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2004年03月18日(木) ■ |
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Vol.453 激しく燃える炎 |
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おはようございます。りょうちんです。
真夜中に目が覚めて、父はいちばん下の弟の部屋からぱちぱちと不審な音がしているのを聞く。ドアを開けると部屋の中は真っ黒な煙が充満し、すでに燃えあがった炎は手のつけられない状態だったという。大声で弟の名前を呼んだが、返事は返ってこない。父はこの時、部屋に取り残された弟はもう煙に巻かれてしまったと思ったらしい。父の叫び声を聞いた母も飛び起きて、取るものも取らずあわてて階下へと逃げる。すると自分の部屋で眠っているはずの弟が居間から寝ぼけまなこで出てきて、何が起こったのかわからないまま3人は外へと逃げた。 3番目の弟は隣の部屋が炎に包まれているのにもかかわらず、ベッドの上で少しの間考えたあと、当時彼のいちばんの宝物だった野球のユニフォームとグローブを抱えて、窓から物置の屋根伝いに家の裏手へと逃げた。 家の前で家族4人がそれぞれ無事であることを確かめると、我が家はまるで映画のワンシーンを見ているかのようにいとも簡単に火の海に包まれていった。少しの風も吹いていなかったこの夜、赤々と燃える炎はまっすぐに夜空へと向かって燃えあがり、思い出と一緒に灰になっていく我が家を4人は道路越しにただ身を寄せ合って見ているしかなかったそうだ。誰も声を出さず、家が燃えていくことが悲しいとか恐ろしいとかいう感覚もなく、まるで他人事のように4人は立っていた。3月とはいえまだ相当寒かったにもかかわらず、パジャマ姿でもまったく寒さを感じなかったのは、激しく燃える炎のそばにいたからではないだろう。消防車が来て消火作業が終わり、俺のところに連絡が来たのはもう夜が明けてからのことだった。 実家が全焼してから、もう6年。あの時のことは、父も母も弟ももう思い出したくない過去だという。火事のニュースを聞くたびに胸が痛くなるが、その現場に居合わせた父や母や弟は俺以上に胸が締めつけられるのかもしれない。火の用心を、忘れずに。
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2004年03月13日(土) ■ |
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Vol.452 真夜中の肉体労働 |
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おはようございます。りょうちんです。
相方から、荷物を運びに来てほしいとオファーがあった。普段使わないものや衣類など、最近相方の部屋に増えた荷物を俺の家に置かせてほしいとのこと。都内に住む相方の家まではいつも電車を使って行っていたのだが、荷物を運ぶとなると俺の車を出動させなくてはならない。都心の渋滞にはまるのもイヤだしお互いのスケジュールも合わなかったりで、そのタイミングを俺らはずっと見計らっていた。 週末の夜も更けた頃、俺は相方の家をめざして車を出した。午前0時の国道はやっぱりすいていて、予定通りに俺は相方の家までたどり着くことができた。それなのに。相方の部屋に入ると、肝心の荷造りがほとんど終わってなかった。んもう、本当ならばすぐに荷物を積んで、そのままとんぼ返りで俺の家まで戻るつもりだったのに。仕方なく、俺も一緒になって荷造りを手伝い始める。 大きなダンボールや袋を完成したものから少しずつ運んでいると、相方のアパートの住人に出会った。こんな真夜中に大荷物を運んでいる俺のことを、彼は不審に思ったのかしれない。ちらりと横目で俺のことを見たあとで、ぎゅうぎゅうに荷物を積めこんだ俺の車ものぞいていた。いえいえ、夜逃げなんかじゃないっすよ。 バックミラーも見えないくらいに荷物を詰め込んだ俺の車は、来た道を再び引き返した。俺の家に着いたのは深夜というよりはもう早朝と呼べる時間で、それから持って来た荷物を俺の部屋までさらに運ぶという作業に取りかかる。明日も俺は仕事があるっていうのに、大きな重い荷物を抱えて階段を何度も上ったり下りたりする真夜中の肉体労働は、さすがにつらいですって。 ひととおり荷物を運び終えると、ダンボールやら何やらで俺の部屋は相方の荷物に占領されたようだった。足の踏み場もないくらいの荷物、どうやって片付けていこうか。とにかく明日は俺が仕事に行っている間、相方にはこの荷物の整理をしっかりやってもらわなくっちゃ。
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2004年03月12日(金) ■ |
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Vol.451 結婚を決めた弟へ |
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おはようございます。りょうちんです。
拝啓、結婚を決めた弟へ。 婚約、おめでとう。ココロから祝福します。お前の口から正式に結婚するということを聞いて、俺は本当にうれしく思います。 実はね、ちょっと前にお前が結婚することになりそうだということを、母から聞かされていたからさ。いつお前の口からその話題が出てくるのか、俺は内心ずっと待っていたんだよ。やっぱりちょっと照れくさかったかな。昨日、家族全員が集まり、それまでの深刻で重い話題を一蹴するかのように、「そういえばさ…」なんて結婚の話題に突然踏み切るもんだから。俺もなんだかお祝いのコトバを言うタイミングを逃しちゃってさ。あとから取ってつけたような「おめでとう!」になっちゃったけれど、それは俺のココロからの祝辞なんだよ。 一昨年の夏、お前と一晩中語り明かしたあの夜。「2年たったら俺は結婚する」と言った時。俺は「人生なんて波乱万丈だから計画通り上手くいくもんでもないよ」と、お前のまだ若すぎる考えを笑っちゃったけれど。あの日の予告通り、結婚までの計画をこつこつ進めてきたことをすごいと思うよ。行き当たりばったりで生きている俺とは違って、お前は人生の計画をしっかり立てられる人だからね。この結婚はあくまでもゴールなんかじゃなく、これから始まるふたりのスタートだということを胸に焼きつけて、さらに続く道をひとつずつ確実に歩んでいってください。 今までいろいろ苦労してきた分、お前には本当に幸せになってもらいたいんだ。結婚して家族が増えていくということは、命を賭けてでも大切にしたいと思える人が増えていくということ。それを実感できるなんて、この上ない喜びだよ。俺は当分結婚する予定なんてないから、その喜びを感じることはまだできないけどね。 お前のために何もしてあげられない頼りのない兄貴だけれど、いつだって俺はお前の味方です。だから。どうか、どうか幸せになってください。
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2004年03月11日(木) ■ |
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Vol.450 今日を待っていた |
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おはようございます。りょうちんです。
これから書く今回のひとりごとは、書こうか書くまいかすごく悩んだのだけれど。今まで誰にも話したことのなかった俺の中の触れられたくない部分なので、カタチにすることをとても躊躇したのだけれど。俺自身のひとつの区切りとなった今日という日をどうしてもココロにとどめておきたくて、こうやって記しておこうと思う。読んでいる人には何のことなのかさっぱりわからないところもあると思うが、そのへんは了承してほしい。 ずっと。ずっと、今日を待っていた。あの日、いつも威厳のある父が俺の前で涙を流し、初めて弱音を吐いたあの夜から。父も母も俺も弟も、ずっと今日が来るのを待っていた。目に見えない戦いはじりじりと俺らを苦しめ、表向きにはいつだって気丈に明るく笑顔でいることを装っていたけれど。時には耐えきれないほど胸が痛み、見通しのつかない不安が襲い、ひとりで大声で泣いた夜もあった。それでもいつかきっと笑って話せる時が来る日を信じて、俺らはずっと戦い続けてきた。 そしてついに、今日という日がやってきたのだ。父も母も弟も、もちろん俺も。必死になって本当に良くここまで戦ってきたものだ。こうやって家族が集まり、あの日からの長い年月をなかば懐かしみながら思い出し語り合えるなんて、俺らにとって夢のまた夢だった。現実から逃げてすべてを投げ出しそうになった時もあったけれど、夢をあきらめなくて本当に良かったと、今はしみじみ思う。 それでも。これでこの問題のすべてが解決したわけではない。戦いの第2章はこれから始まってゆく。だから、俺は油断しない。ほんの一瞬、今日という区切りをつける余裕を胸に刻んだら、また強い気持ちで戦ってゆくつもりだ。つらく厳しい道がこの先長々と続いていくだろうが、いつの日か家族みんなでココロの底から笑いあえる時が来るまで、俺はあきらめない。なぜならば、それが最終的な俺の目標であり夢なのだから。
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2004年03月10日(水) ■ |
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Vol.449 雪の露天風呂 |
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おはようございます。りょうちんです。
伊香保には、予定よりも遅く到着した俺ら。旅館に着き食事と温泉を済ませたあと、やがて俺らは深い眠りについた。 翌朝。カーテンをあけ、外の風景を見て俺は驚いた。一面の銀世界。夜遅くに降り出した雪は、一晩で伊香保の町を白く変えていた。ベランダから階下をのぞきこむと道路にもうっすら雪が積もっていて、旅館の人が雪かきに精を出しているのが見えた。普段寝起きの悪い俺もこの雪景色を目の当たりにして、一瞬で目が覚める。 ちょっと待った。チェーン持ってきてない。俺の車のタイヤ、スタッドレスじゃないし。てか、天気予報も雪とは言ってなかったし、伊香保町のHPで調べた積雪情報もライブカメラもチェーンが必要だなんて言ってなかった。ましてや細く急な路地を上がって辿り着いたこの旅館、雪の積もったあの坂道を普通のタイヤで下りてくなんて自殺行為に等しい。しまった。関東地方とはいえ、ここは山間部だった。TVの天気予報を見ると、それでも午後からは晴れるらしい。途切れなく落ちてくる雪も徐々に弱まって、かすかに空も明るくなってきたような気がする。じたばたしたって今はどうしようもないのなら、ここはあわてて車を出すよりも、しばらく様子を見て道路の雪が溶けるのを待った方が賢明かもしれない。 開き直った俺は、坂の上にある露天風呂まで歩いて行ってみることにした。しんしんと降る雪の中、少しぬるめの茶色い温泉に肩まで浸かる。湯船に身を委ねてぼんやり空を見上げてみると、湯気の中で火照った顔に幾粒もの冷たい雪が落ちてきて、なんとも心地良い。風情のある雪の露天風呂という予想外のシチュエーションに、俺は喜びを隠せずにはいられなかった。 1時間もたっぷりと露天風呂を堪能したあと、ひなびた石段街でおみやげを買う頃にはすっかり雪もあがっていた。道路の雪も、車の往来で完全に溶けている。よかった。ほっと胸をなでおろす俺。それにしても、雪の露天風呂なんて思いもかけないちょっとした贅沢ができて、ココロから大満足した俺だった。
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2004年03月08日(月) ■ |
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Vol.448 友達だから |
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おはようございます。りょうちんです。
友達から温泉に行こうとお誘いがあった。そういや彼ともずいぶん会ってない。早めに企画を計画すれば、みんなで日程をあわせることもできる。久しぶりに会って、楽しく話に花を咲かせるのも悪くない。俺はふたつ返事で彼にメールをした。 しかししばらくして、突然彼から温泉の企画は中止するという連絡が入った。どこでどう行き違ったのか、彼はひどく機嫌をそこねているようだった。俺はまた自分のデリカシーのないコトバで彼を知らぬ間に傷つけてしまったのかと一瞬不安になったのだが、まったく思い当たる節はない。彼の文面を読んでもどうして彼がそんなに急にへそを曲げてしまったのか理解できず、楽しみにしていた温泉の企画が突然中止になったことがとても残念で納得できなかった俺は、彼への疑問をかなり激しいコトバでメールにして送り返した。 彼が最近、プライベートでかなりばたばたしていたのも、仕事が忙しいのもカラダを壊しがちだったのも全部知っている。それなのに、厳しいコトバでメールを返してしまったことに、俺は少しだけ後悔をした。もしかしたら、彼からもう返事は返ってこないかもしれない。彼との仲も、これが最後になってしまうかもしれない。友達ひとり減っちゃったかもな。そんな思いが胸につかえ、すっきりしなかった。 数日後、返事は返ってきた。彼も熱が冷めたようで、彼らしい謝罪と会って話がしたいという文が書かれていた。結局は、日程的に俺と彼だけで会うカタチになってしまったけれど。こんないきさつから、俺は彼と久しぶりに会うことになった。 彼と会うやいなや話したい話題が次々とあふれ、ふたりはいろんな話をしまくった。静かな温泉地は話をするのに絶好の場所で、真剣な話もくだらない話もずっと話したかったことがどんどん押し寄せてきた。最後には彼が話し疲れてしまうくらいトークに花が咲いたけれど、それでもまだまだ話したいことは尽きなかった。 またいつか話したい話題が積もったら、彼に会いに行こう。だって、彼は俺の友達だから。
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2004年03月03日(水) ■ |
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Vol.447 さみしいひなまつり |
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おはようございます。りょうちんです。
今日は桃の節句、ひなまつり。そういやスーパーでは、バレンタインが終わるやいなやひなまつりコーナーができ。数日前からはひなまつりソングがエンドレスで流れ、菱餅やひなあられやちらし寿司なんかがたくさん並べられるようになった。やっぱり女の子の子供がいる家では、ひなまつりはそれなりにちょっとしたイベントらしい。3人の女の子を持つパートのSさんも、今夜はお手製ケーキを作らなきゃと仕事が終わるとあわてて帰っていった。 男ばかりの兄弟である俺の実家では、当たり前だが昔からひなまつりほど地味なイベントはなかった。祝日になるわけでもないし、3月3日は普通に耳の日だった。保育園でひなまつりの歌を歌ったり、給食で出てきたひなあられを食べることはあっても、家では何をするわけでもなかった。ひなまつりなんて所詮それくらいのレベルのイベントで、俺はそれが普通だと長年思っていたのだが、今思えば他の人に比べるとずいぶんさみしいひなまつりの思い出しかないのかもしれない。かと言って、端午の節句に特別に何かをしたなんて記憶もあんまりないんだけれど。 だから、女の子のいる家にとってひなまつりはちょっとスペシャルなイベントだと言われても、正直ピンとこなかったりする。クリスマスほどメジャーではないが、俺が考えているほどマイナーではないのかもしれない。そういうわけで、押し入れにしまいこんであったひな壇をいちいち出すのが面倒だとか、ひなまつりが終わるとすぐにそれをまたしまわなくちゃいけない苦労だとか、お内裏様とお雛様の配置はどっちがどっちだかいつも悩むだとか。そういう裏話も、俺にはちょっと新鮮に聞こえたりする。子供の成長を祝うのが本来の意味であるひなまつりも、今のご時世はいろいろと大変なんだなぁ。 スーパーにて、せっかくだからと俺も便乗して買った桃のジャムが入った菓子パンは、明日のおやつに取っておこうっと。
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2004年03月01日(月) ■ |
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Vol.446 母との口ゲンカ |
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おはようございます。りょうちんです。
どういうわけか、今日は朝からなんとなく機嫌が悪かった。積もりはじめた雪の中、わざわざ車を出して実家に帰ったのに。着いた早々、母とほんの些細なことで口ゲンカになってしまった。以前なら、こんなたわいもない言い争いなんてしょっちゅうだった。母は口から先に生まれてきたような人間だったし、俺が昔から母に言われてきた理屈っぽいという性格も、実は母譲りなのかもしれない。 でも、久しぶりの母との口ゲンカはちょっと違った。いつものように、俺は母に向かって少しだけ声を荒げて言い分を述べた。すると母は、瞳にいっぱいの涙をためてじっと俺を見るではないか。いつもなら俺よりもさらに大きな声で、俺の言い分を一蹴して反論するのに。まるで叱られる子供のように、やがて母はぼろぼろと泣き始めたのだ。俺はあわてて謝った。機嫌が悪かった俺も悪いのだが、やっぱり涙を流されたらどうすることもできない。母はダダをこねるわけでもなく静かに俺の謝罪を受け入れてくれたが、俺は泣かせてしまったという現実がショックだった。 父や弟に聞くと、最近母はかなり涙もろいのだと言う。昔から何度か母の涙を見たことはあったけど、去年大病を患ってから母は良く泣いているのだそうだ。特に今回のように激しく言い争ったりするとすぐに泣いてしまうんだそうで、父も少し苦笑いをしていた。病気をして気が弱くなってしまったのか、言いたいことを上手くコトバにできなくて悔しいからか、その原因は母本人にしかわからないのだが。 でも、子供のようにすぐ泣くのもどうかと思う。いつだったか弟が、「そうやって人は年を取るとまた子供に戻ってゆくもんだよ」と言っていたけれど、母はまだ子供に戻ってゆくほど老いぼれていない。昔のような強かった母に戻れとは言わないが、病気のせいで気持ちまで弱くなってしまったのなら、もっともっと強くなってほしいと思う。母は元来、そういう人なのだから。 そのあとはなんだか居心地が悪くて、夕飯も食べずに早々と帰ってきてしまったけれど。すっかり雪景色で白くなった帰り道、そんなことを考えていた。
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