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2012年09月26日(水)
「今からあなたの家の時計を止めてみせます」という超能力の秘密

『ゼロリスク社会の罠』(佐藤健太郎著・光文社新書)より。

【怪しい話かどうか見分けるポイントとして、「分母が示されているかどうか」ということがあります。
 多くのケースでは、「××によって20件の事故が起きた」というだけの報道がなされますが、これが50件中20件の事故であるのか、1000万件中20件であるのかで話は全く変わってきます。

 数百メートルの上空から落ちてきた一滴の水が、ある人の頭に当たるリスクは限りなくゼロに近いといえます。
 しかしひとたび雨が降ってくれば、我々はあっという間にびしょ濡れになります。ひとつの雨粒が当たる確率はほぼゼロでも、雨粒の数はとてつもなく多いからです。分母(雨粒の数)がとてつもなく大きくなれば、分子(頭に当たる数)もそれにつれて大きくなるのが当然でしょう。


 昔、超能力ブームのころに、こんな番組がありました。超能力者を名乗る人物が、テレビカメラの前で、「今からあなたの家の時計を止める」と宣言し、念を送る仕草をしたのです。
 するとほどなくして「うちの時計が止まった」という電話がスタジオにかかり始め、番組終了まで電話のベルは鳴りやみませんでした。
 この話のタネは単純です。もしある時計が3年に一度止まるとしたなら、1時間のうちにその時計が止まる確率は、1/(3×365×24)で2万6280分の1となります。
 しかし、テレビを見ている家庭は何百万世帯もありますし、それぞれの家に時計は数台はあるでしょう。別に超能力など使わなくても、放送時間中に全国で何千台も時計が止まって当然なのです。
 しかし数百万、数千万という分母は我々の日常感覚では捉えにくく、認識を大きく狂わせてしまいます。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕の子どもの頃、ああいう「超能力番組」はけっこう好きで、家の時計を「止まるかな……」と、じっと見ていた記憶があります。
 残念ながら、僕は直接その「止まった場面」を体験したことはないのですけど。

 これを読むと、あの「スタジオから念を送って時計を止める超能力」には、まさに「タネも仕掛けもない」ことがわかります。
 だって、「何もしなくても、日本中で、どんどん時計は止まっている」のだから。

 そして、「偶然時計が止まった人たち」が、大きな声でアピールすれば、他の視聴者も「これは超能力だ!」という気分になってしまうんですね。
 たしかに、母集団が大きければ、3万分の1でも、少なからぬ数の人が、「体験」してしまうものなあ。
 まあ、実際は、「念を送った場合」と「送らなかった場合」に止まった時計の数を比較対象してみなければ、完全に否定はできない話ではあるのですが。

 こういう話って、一度聞いておけば、そう簡単に引っかからないとは思うのですけど、意外と誰も教えてくれないものなんですね。
 ごく当たり前に起こることでも、「演出」で、超能力のように見せかけることができるのです。
 もっとも、これに関していえば、「分母」がそれなりの数必要なので、逆に忘年会のネタとして簡単にできるというものでもないのですけど。

 ああいう番組が最近少なくなったのは、「似非科学」に対する免疫ができてきたことと、何より、「時計が以前ほど頻繁には止まらなくなった」ためなのかもしれませんね。



2012年09月19日(水)
やなせたかし先生が語る「とびぬけて成功したキャラクター」

『人生、90歳からおもしろい!』(やなせたかし著/新潮文庫)より。

【ところでインタビューの時に必ずといっていいぐらい聞かれるのは、「今までつくってきた多くのキャラクターの中で何が一番好きですか?」という質問で、これが実に答えにくい。
 なにしろアンパンマンシリーズだけで2300ぐらいある。このすべてにそれぞれ思い入れがあるから、どれかひとつにしぼると他のキャラに嫉妬されるじゃないですか。
 どれが好きとはとても言えない。キャラは全部自分の愛する子どもたち、運、不運、売れる売れないがあって、一度だけで消えてしまう短命の者もあるが、作者としてはみんな可愛い。
 しかし成功したキャラということになると、アンパンマンは別格としてやはりバイキンマンがとびぬけていますね。
 最初にはただ敵役をつくろう。食品の敵だからバイキンだろうとごく軽い気持ちで蠅を擬人化したような感じで描いたのです。
 バイキンが敵役で登場してメーンキャラをはっているのは世界中でアンパンマンシリーズだけではないのかな?
 ところがこれがズバリ適中!
 なぜかといえば、生きるということはバイキンとの戦いを避けて通ることは不可能!
 それではバイキンを全滅させればいいのかといえば、その時は人間そのものも死滅してしまう。パンも酵母菌、イースト菌がなければつくれない。しかしインフルエンザ菌とかいろいろ怖いバイキンもいて戦わなくてはいけない。健康であるということは善玉菌と悪玉菌のバランスが良好な状態。
 これは国家の成立についてもいえることで、独裁、専制はファシズムの危険がある。
 だから、アンパンマン対バイキンマンの戦いは永久にくりかえされるわけで、そこにバイタリティーが生まれる。】

〜〜〜〜〜〜〜

 『アンパンマン』シリーズには、2300もキャラクターがいるということがすでに驚きです。
 まあ、かなり強引にキャラクターにしているようなものもあるのだけれども。

 「アンパンマン」はたしかに「別格」として、やなせ先生にとて、その次に「とびぬけて成功したキャラクター」は、「バイキンマン」。
 言われてみればたしかにその通りで、「アンパンマン」がこんなに長い間人気を持続しているのも、「魅力的な敵役」のおかげではあるんですよね。
 子どもと一緒に『アンパンマン』シリーズの絵本を読んでいると、バイキンマンがほとんど同じパターンで悪さをして撃退されるのですが、どんなに酷い目にあっても、アンパンマンはバイキンマンを「撤退」させるだけで、「絶滅」しようとはしないのです。
 逆に、バイキンマンのほうも、アンパンマンにしょっちゅうちょっかいは出しているけれど、存在を消してしまおうとはしていないように見えます。
 大人からすれば、ちょっと「ぬるいな〜」なんて考えてしまうところもあるのですが、『アンパンマン』の世界には、やなせ先生の「バイキンとは戦わなければならないけど、全滅させるわけにもいかない」という考えが反映されているのでしょう。

 いやほんと、海外に旅行すると、よく日本の子どもと接する大人たちは、かなりの高確率で、お別れのときに「バイバイキ〜ン」をやるんですよね。
 そして日本の子どもたちには、ほぼ鉄板でウケるのです。
 こんなシンブルかつオヤジギャグみたいなフレーズがなんでここまで愛されているんだろう……と内心疑問でもあるのですが、バイキンマンというのは、ある意味、アンパンマン以上に「愛されている」のです。
 たしかに、「もっとも成功したキャラクター」と言えますね、ほんと、敵役って大事だ……



2012年09月11日(火)
サブカルが「切ないジャンル」である理由

『サブカル・スーパースター鬱伝』(吉田豪著・徳間書店)より。

(「文系男子(サブカルもの)は40歳で鬱病になるって本当?」というテーマで、吉田豪さんが11人の「文化系有名人」にインタビューした本の一部です。枡野浩一さんの回より)

【枡野浩一:でも、リリー・フランキーさんや松尾スズキさんみたいにお金があっても憂鬱になるのかと思うと……。

吉田豪:サブカルは成功した人たちがみんな病んでるからこそ、切ないジャンルなんですよ。

枡野:どうしたらいいんでしょうね? 僕も最近は変に名前だけ知られて、出版社のパーティーとかに顔出すとみんな僕の顔は知っているんだけど全然仕事してない感じだし。あと、ユーストリームのせいか駅とかで声かけられたりサイン求められたりして、「観ました」ってすごく言われるんだけど、顔がそんなに知られてても全然いいことないし……。

吉田:もういっそユースト有名人みたいな感じで、そっちで特化していけばいいと思うんですよ。文字だと冷静すぎて冷たく捉えられることが、枡野さんの可愛い系のしゃべりで中和されるからいいんですよね。

枡野:なんか、そう言われると自分にとっての大切さよりも需要のほうが大事だから、需要あるならやろうかと思いますね。たとえば本がまったく売れなかった時期のほうが、いつかは売れるかと思ってたから幸せで、半端に売れて「あ、こんなものか」と思ったときに、たぶん能力的にこれ以上にはならないから、ホントに希望が持てなくなっちゃって。

吉田:現実が見えたわけですね。

枡野:短歌も、僕、短歌の世界ではあまりにも有名になっちゃったし、影響力もあったので、結構飽和しちゃってて、もう枡野は若い世代の歌人にとって「乗り越えられていく存在」なんですよ。ハッキリ言うと終わった歌人というか。たぶん自分の表現はどんなに頑張っても、かつて自分がしたこと以上のことにならないと思っているから、頑張りようがないですよね。それをないことにして現役であるような振りをすることはできないから。誠実にやっているつもりですけど。

吉田:誠実すぎますよ!】

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「サブカルは成功した人がみんな病んでいる」か……
この対談集を読んでいると、『東京タワー』のリリー・フランキーさんをはじめとして、みうらじゅんさんや松尾スズキさんなどの「サブカルドリーム」の体現者たちが、40歳を境に、次々と鬱になっていっているんですよね。

この枡野浩一さんの話を読むと、もちろん「誰にも相手にされない、成功できない」ことは大きなストレスなのだけれども、枡野さんくらい歌人・作家として認められても、それはそれで「自分は認められても所詮、こんなものか」とかえって幻滅してしまうことがあるのだなあ、と。

それは、ものすごく贅沢な話ではあるんだろうけど、本人にとっては、他人が何と言おうと「自分が見ている世界」っていうのは、そう簡単に変えられるようなものじゃないですしね。
それこそ、成功して、有名になったとたんに「成金ワールド」に突入して、天狗になってしまえれば、本人にとってはラクなんじゃないかと思うのですが、文化系にとっては、「成功してしまうことへの罪の意識」みたいなのもあったりして、なんというか、とにかくややこしいみたいです。

ちなみに、吉田豪さんは、「サブカル鬱」の原因として、基礎体力がない文化系は、40歳くらいから急激に体力が落ちていくことと、子どもの成長や親との関係の変化などの環境の変化が大きいのではないかと推測されています。

町山智浩さんは、「サブカルの人たちが40歳ぐらいでおかしくなるのは簡単だよ。もともとモテなくて早めに結婚して生活を支えてくれた女性がいたのに、モテだしたらほかの女に手を出して家庭が壊れるの。みんなそうだよ!」と仰っているのだとか。

こうして考えると、サブカル者の将来は、どっちに転んでもつらい、ということになるんでしょうね。
まあ、だからといっていまさら体育会系に「転向」できるわけもないので、どうしようもないんでしょうけど……