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2012年10月25日(木) ■ |
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村上隆さんを叱咤激励した、ある会社の専務の話 |
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『創造力なき日本』(村上隆著/角川oneテーマ21)より。
【ある人に対して、「アート業界には、この世界で生きていくための手引書がない」という話をしたときにひどく怒られたことがありました。 その相手とは、フィギュア制作で知られる海洋堂の宮脇修一社長(当時は専務)です。 「フィギュア業界に比べれば、あんたたちの世界はものすごく恵まれている。今の世の中、模型屋がある町なんてほとんどないけど、文具屋に行けば画材は買える。都心などには大きな画材屋もある。それに幼稚園でお絵かきするのはもちろん、小学校から高校まで美術の時間もあるんだから、その裾野はものすごく広い。つまりあんたの業界はわしらより恵まれているんだ。盛り上げ切れないならそれは当事者であるあんたの力が無いからだ。それがわかっていないのか!」 というわけです。 言われてみれば、たしかにそのとおりです。これまでにぼくは、『GEISAI』などのイベント開催を通して、この業界に人を集めるのは難しいことだと痛感させられていました。しかし、日本中のほとんどの人が絵を描いた経験を持っているというのは間違いないことです。模型制作といったコアなジャンルとは較べるまでもないのはもちろん、野球やサッカーなどと較べても、経験者人口は多いはずです。それを考えてみれば、これからアート業界というインダストリーに多くの人が集まり、大いに発展していく可能性もあるわけです。】
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村上隆さんは、海洋堂とのコラボレーションで、数々の作品を世に出しておられますが、海洋堂の宮脇社長から、こんな叱咤激励もされていたんですね。
「アート」というと、セレブの道楽の世界という感じがするのですが、たしかに、小さいころから「お絵描き」はするし、学校には美術の時間もあるわけです。 僕は不器用で美術は苦手だったのですが、少なくとも、実際に筆をとって描いてみて、「すごい絵を描くのは難しい」という経験を持ってはいることになります。 そういう意味では、たしかに日本の「アートの裾野」っていうのは、かなり広いと言えそうです。 実際、有名な絵が含まれている展覧会では、けっして入場料が安くない(大人ひとり1500円くらいが相場でしょうか)にもかかわらず、土日は入場制限が必要なほどの行列になり、「立ち止まって見ないでください!』なんて言われるような状況になっているのです。
ただ、「現代アート」は、美術の時間でもあまり触れられることもなく、「印象派基準」で、村上隆さんの作品も「なんであんな女の子のフィギュアに何億円もの値がつくんだ?」と思われがちではありますよね。 これから、日本に「アーティスト」を生みだしていくためには、学校の美術の授業の内容も、ちょっと考えてみる必要があるかもしれません。
この話、どちらかというと、「アート業界の努力不足を責める」よりも、「コアな世界だと思われていたフィギュアの潜在的な需要を掘り起こし、立派に商売にしてしまった海洋堂のすごさ」を讃えたほうが良いのではないかとも思いますけどね。
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2012年10月09日(火) ■ |
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大事な記録ほど、扱いにくい状態で機械化が進んでしまう |
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『「調べる」論〜しつこさで壁を破った20人』(木村俊介著・NHK出版新書)より。
(各界の「調べる」ことによって成果を上げてきた人たちへのインタビュー集から。ヒューマンエラー研究者・中田亨さんの項の一部です)
【ミスを研究し続けていると、日本の組織というのはどのような構造にあるのか、という研究も別個に行うようにはなりました。たとえば、年金の記録が消えてしまったという大きなミスがありましたよね。あの時には、年金事務所で働いている人が怠け者であるだとか、注意が足りないんだとかいうようなことが世間ではよく言われましたよね。 しかし、日本の組織のうちのひとつが起こした問題でもあって、個別に年金に関連した人々が悪かったというようなことよりは、むしろ、国の重要組織だからということから来ている問題のほうが大きいように私としては考えるようになりました。 年金って、とても大切な記録ですよね。だからこそ、非常に早い段階で、かなり昔からコンピュータが導入もされた。その時に使っていたコンピュータにそのつど微調整を加えて、何とか、今までやってきたんです。すると、その結果で何が起きているのかと言うと、いまだに画面が白黒のコンピュータを使って年金を処理している、みたいなことになってしまった。 家電量販店でも、今、画面が白黒のコンピュータってなかなかないですよね。しかし、非常に大事な記録をする機械に、そんなものを使っているという状況が出てきてしまった。 あるいは、今のコンピュータならば、ワードなりエクセルなりで、記録の内容そのものも整理された画面で見られるわけだけれども、年金記録の場合はそのことについても何十年も前に導入した非常に見にくい表のままになっていて、つまり、さきほどの画面が白黒という面も含めてですが、これは注意が足りないというのとはまた別に、間違えやすいようなわかりやすい図を見て仕事をしなければならないところに問題があるのではないか、と考えざるを得ないように思いました。 つまり、どういう経緯でミスが生まれてしまったのか。社会的に重要なシステムであるほど、早めの機械化がなされて、つまり、今となっては「世の中でも相当に遅れている機械を使っている」なんてなってしまうわけです。これについては日本のみならず、世界の先進国でも起きていた状況です。新興国は最近になってからコンピュータを買うから、そうした社会的なシステムを処理する機械に関しても最新型のものが入っているんですけどね。 ですから、年金記録のミスというのは、起きてほしくなかった問題であるけれども、宿命的に起きてしまったミスでもある。大事な記録ほど、扱いにくい状態で機械化が進んでしまうという。これについては、原発の内部なんかでも、白黒の画面というのは当たり前なほど、やはり重要だから機械化が早かった側面があります。ここから見えてくるミスの状況というのもあるわけです。】
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「年金問題」というと、「社会保険庁のお役所体質」や「いいかげんな仕事ぶり」がクローズアップされてしまっていたのですが、これを読むと、たしかに「それだけではない」のだなあ、と。 日本にたくさんのお役所や企業があって、社会保険庁だけが「突出していいかげんな組織だった」ということも無いのでしょうから。 正直、大事な仕事なんだから、もうちょっと「効率化」を考えるべきだったんじゃないか」という気はしますが。
この話を読んでいて、僕は以前勤めていた大きな病院のことを思い出しました。 その病院は、その市で1、2を争う規模で、研修施設でもあったのですが、まだ他の病院が手書きのカルテだった時代に、いちはやく検査の依頼や結果参照を院内でオンライン化し、どこででも見られるようにしたのです。 これに慣れたおかげで、他の病院に行ったときには、いちいち伝票を書いたり、検査結果が印刷(あるいは手書き)で返ってくるのを待つのを面倒に感じていました。
ところが、コンピュータが進化し、他の病院でどんどん電子カルテ化が進んできたにもかかわらず、その大きな病院は、なかなか電子カルテ化されませんでした。 最初にコンピュータが導入されてしまったがゆえに、いざ、先進的な電子カルテに切り替えようとしたときに、なかなか踏ん切りがつかなくなってしまったのです。 これまでのデータの移動が難しくなることや、システムを一から造り直さなければならないこと、そして、これまでのシステムも、古いけどまだ使えないこともない、ということで。 まあ、最大の問題は「お金がない」ってことだったんですけどね。
もとの古いシステムには、「将来的にデータの移行をスムースにするようなシステム」は組み込まれていなかったので、切り替えのときには、「何を残して、何を捨てるか」も問題になりました。 なんとか新しいシステムに切り替えた際には「一からやったほうがラクだったなあ」なんていう話を、いろんな人から聞いたものです。
「大事な記録ほど、扱いにくい状態で機械化が進んでしまう」というのは、たしかにその通りなのでしょう。 「扱いにくい」というか「システムが十分洗練されていない状態で、『最新技術』が投入されてしまう」ことによる弊害というのもあるのです。 もちろん、いまの「最新技術」も、いずれは「老朽化」する運命なのですが、だからこそ、「老朽化することを前提としたシステムづくり」が、これからは重要なのかもしれませんね。
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