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2012年06月21日(木) ■ |
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「世間は、思った以上に”ふざけたこと”に対して厳しい」 |
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『評伝 ナンシー関 「心に一人のナンシーを」』(横田増生著・朝日新聞出版)より。
【私が「小耳にはさもう」の初期のコラムで、ナンシーの笑いの志向というか、笑いのツボがよく表れていると思うのが、<加勢大周>と<新加勢大周>をめぐる二回の原稿だ。 <加勢大周>という芸名の使用権をめぐって一悶着あった末に、事務所の社長が<新加勢大周>をデビューさせたとき、ナンシーはこう書いている。 「久々の『ちょっといい』事件だ。こんなにずさんでスキだらけな事件も珍しい。だれにも同情する必要のないところもいい。出てくる全員が浅薄系のバカ。(中略)/なんかもう、何やっても『不条理コント』だ。裁判だとか、肖像権がどうだとか、登録商標がどうしたとかいった『きちんとしたもの』をいくらちりばめても無駄である。(中略) もう、全員がバカ状態のこの一件だが、さっき、拝みたくなるほどありがたいネタが飛びこんできた。元祖・加勢大周側の事務所が、『加勢大周』の登録商標といっしょに『新加勢大周』も含めた36個の芸名を先回りして登録申請していたというのだ。そのひとつは『東京加勢大周』だってよ。ああ、もう私は居ても立ってもいられないほど36個全部を知りたい。居ても立ってもいられないので私が36個を考えてみた。最後にそれを書き並べてお別れとしたい。きっと8割は当たっていると思う」(「小耳にはさもう」) そして、自ら嬉々として36のバカバカしい芸名を書き連ねる。 しかし”加勢大周 vs. 新加勢大周”の闘いはすぐに終焉を迎える。 ほぼ一ヵ月後のコラムでナンシーはこう嘆く。 「わずか2週間という短命で『新加勢大周』は消えてしまった。こんな残念なことはない。(新加勢大周の事務所の)竹内社長がもくろんでいたとされる『新加勢大周増殖計画』『新加勢ゴレンジャー計画』などの夢の計画も日の目を見ることなくついえてしまった。/原因は、世間の冷たさである。私は『世間は、思った以上に”ふざけたこと”に対して厳しい』ということが、新加勢大周撤退の原因だと思う」(「小耳にはさもう」) ナンシーは、世間のお笑いに対する理解が不足している、とした後でこう続ける。 「なぜそんなに『悪ふざけ』を忌み嫌うのか。『善』『悪』二極思考の強迫観念ではないのか。 日常生活の指針を『善・悪』に置くことに、私は文句をつける気はない。でも『芸能』みたいなことも『善・悪』で判断するのは、見方として”下手”だと思う。 もう伝説のような話であるが、昔、『エノケソ』や『美空小ひばり』というのが地方を回っていたという。エノケンや美空ひばりと間違えて見に来る客をあてこんだニセ者である。エノケソは『悪』であろう。だまそうとしてるんだから。 近くの公民館かなんかに『エノケソ』が来たらそうゆう『悪』を憎む人はどうするのだろうか。『エノケンと間違えて見に来る客がいたらどうする気だ!』とか、ミもフタもないような抗議をするんだろうか。めまいするほどダッセえ抗議。でもそれは『善』だ。それより何より『エノケソ』を見てみたいよ、私は」(「小耳にはさもう」】
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ナンシー関さんが急逝されてから、今年の6月12日でちょうど10年になりました。 この(1993年の)「新加勢大周」をめぐる騒動、当時のワイドショーではかなり話題になったんですよね。 当時、加勢大周さんは、「イケメン枠」としてかなり人気があったのですが、この騒動で、「本家」も「新加勢大周」も、「ネタ」として消費されてしまった記憶があります。 裁判にもなり、芸名騒動が収束したのは、もう世間は「加勢大周」に見向きもしなくなった頃でした。 僕はこの『小耳にはさもう』を読んだことがあって、この話の「自ら嬉々として36のバカバカしい芸名を書き連ねる」ナンシーさんを覚えています。 ああ、この人は、こういう話が本当に大好きなんだなあ、と。
この『エノケソ』『美空小ひばり』の伝説、僕も聞いたことがあります。 こういう「ニセモノ」たちが、どんな表情でステージに立ち、観客がどんな反応を示したのかすごく興味があります。堂々と「本物のように」出てきたのか、それとも、「ごめんね」と申し訳なさそうに登場してきたのか。 観客の反応も興味深いですよね。 会場は「違うじゃないか!』と怒号の嵐となったのか、「まあしょうがねえな、こんな田舎に本物が来るわけないし」とみんな苦笑しながらステージを観ていたのか。 ナンシーさんがこれを書かれたのは、もう20年も前のことです。 もし、今の「ネット時代」に「加勢大周騒動」が起こっていたら、ネットではどんな反応がみられただろう?と想像してしまいます。 笑いのネタとして消費されたのか、事務所や新旧加勢大周が「炎上」していたのか、あるいは、「こんな話ばかりマスコミは採りあげやがって!」と矛先が変わっていたのか。
『エノケソ』とか『美空小ひばり』なんて、「こんなニセモノが出回っているから、要注意!」というツイートがあふれ、ニセモノたちは大炎上したでしょうね。 そもそも、あまりにも早く「真実」が拡散してしまうため、このような商売は成り立たないかもしれません。
僕だって、いまのこの「高みの見物」の状況なら、「エノケソ、観てみたかったなあ!」なんて鷹揚に構えていられますが、本物を楽しみにしていたのに、「エノケソ」が出てきたら、「騙されたあ!」と苦笑できるかどうか。
たしかに「他人を騙そうとすること」は悪い。 でも、ナンシーさんが書かれているように、「芸能」の世界くらい、ちょっと大目に見るくらいのほうが良いのではないか、と僕も思うのです。 あんまり「潔癖」すぎる世の中は、かえって普通の人たちを息苦しくさせるだけだから。 発言しているのは普通の人たちなのに、ネットという「公の場」を意識しすぎて日常生活での正しさのハードルを上げ、かえって自分の首を絞めているのではないか、とすら感じることがあります。 「芸能」っていうのは、「日常で溜まった緊張を、ガス抜きする場」でもあるはずなのに。
それに「バカバカしいこと」で、「騙されるトレーニング」を積むことは、もっと大きくて、見極めが難しい「悪」に直面したときに、役に立つような気もするのです。 とはいえ、「犯人」に「オレに騙されたおかげで、お前もちょっとは賢くなっただろう」なんて言われたら、ものすごく腹が立ちますけどね。
でもやっぱり、もしタイムマシンがあるのなら、僕も「エノケソ」と、「エノケソ」が登場してきたときの観客の反応を観てみたいものです。
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2012年06月13日(水) ■ |
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自衛隊を指揮した「クロネコヤマト」の被災地支援 |
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『できることをしよう。〜ぼくらが震災後に考えたこと』(糸井重里/ほぼ日刊イトイ新聞著・新潮社)より。
(糸井重里さんと木川眞(ヤマトホールディングス社長)の対談「クロネコヤマトのDNA。」の一部です)
【糸井重里:最初にうかがった、救援物資を運ぶチームのことについて、もうすこしくわしくお話しいただけますでしょうか。
木川眞:「救援物資輸送協力隊」ですね。
糸井:そう、それです。その活動は現在も続けられている。
木川:続けています。
糸井:救援物資がちゃんと被災者のみなさんに届くのか、ということについては、心配されたり話題になったりいろいろなかたちで言われていますが、実際のところはどうなんでしょう。
木川:それはですね、救援物資をどこにどれだけ送るか、送った物をどうやって管理するか、そういう整理整頓が、できていないケースがやっぱり多いんです。
糸井:ああ……。
木川:災害が起きたときには、常に同じことが起きているのですが、救援物資の管理については地方自治体のかたが仕切るわけです。多くの場合そのかたには、ロジスティックス(物流・資材調達)の専門知識がありません。
糸井:そうでしょうね。
木川:その一方で、救援物資はどんどん集まってくるわけです。水が来る、食料品が来る、衣類も来る。そしてそれらは、およそ物流の拠点にふさわしくない体育館であったり、公会堂であったり、学校であったり、そういう場所へまずは運び込まれます。ところが、そういう場所は、中は広くていいんですが、出入り口が狭いんです。救援物資はどんどん来るから、どんどんそこに入れられていく。そうするともう、最初に入れられた荷物は出せなくなる。
糸井:ボトルネックだらけになるんですね。
木川:そう。必然的に「後入れ先出し」になるんです。後から来たものを最初に出す。いちばん最初に入れたものが食料品だったら、賞味期限が切れてしまいます。
糸井:うーーん……。
木川:ほしい物がいちばん奥にあるとわかっていても出せない。それどころか、奥に何があるのか誰も知らない状況になる。
糸井:簡単にそうなってしまいそうですね。
木川:あとは、これ、ほんとうに、とある避難所で見たんですが、そこにはひとりも赤ちゃんがいないのに哺乳瓶と粉ミルクの段ボールがどーんと置いてあったんです。つまり、それを必要とするところはほかにあるのに、まったく別のところに行ってしまっている。
糸井:せつないなぁ。
木川:そういう状況をロジスティックスの専門家が仕切ると、うまく回転がはじまるんです。たとえば、気仙沼市では、「ぜんぶヤマトに任せる」ということになりました。もう自分たちの手に負えないと。それで、大混乱してる状態でぼくらが引き受けて、二日目には完璧に「どこに何がいくつあるか」をパソコンに入力し、その置き場所のレイアウトも完了しました。
糸井:所番地をつけたわけですね。
木川:そう、所番地をつけた。すると、歯ブラシ一本とか、長靴一足とか、ほしい物をすっと出してお渡しすることができるようになりました。
糸井:たった二日で。
木川:忘れてはいけないのが、自衛隊の方々の協力です。ヤマトがその場を仕切ると決まってから、自衛隊のみなさんがですよ、ぼくらの支配下に入って、指示通りに動いてくれたんです。これはね、ほんとに……。
糸井:すごいっ! もう、立ち上がって拍手したいですよ(笑)。
木川:ひと言の文句もなしに、われわれの指示で動いてくださる。自衛隊っていうのはすごいな、と。】
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この対談は、2011年の7月7日に行われたものです。 ヤマトホールディングスは、東日本大震災に対して、「宅急便1個につき、10円の寄付」を行うことを表明しました。 これは合計130億円から140億円の寄付となり、年間純利益の4割くらいにあたるそうです。
この糸井さんと木川さんの対談を読んで、僕がいちばん印象に残ったのは、「救援物資の運用のノウハウ」の話でした。 あの震災を受けて、たくさんの救援物資が現地に送られたのですが、いくらたくさん「モノ」があっても、それを運用する技術がなければ、ロスばかりになってしまうんですね。
救援物資が集められた被災地の公会堂や体育館について、「中は広くていいんですが、出入り口が狭いんです。救援物資はどんどん来るから、どんどんそこに入れられていく。そうするともう、最初に入れられた荷物は出せなくなる」というのは、言われてみれば、確かにそうだよなあ、と。 そのため、「後入れ先出し」になってしまって、最初に運び込まれた物資は、ずっと死蔵されることになります。 そういう物資をうまくコントロールするのは、まさに「クロネコヤマトのお家芸」なんだよなあ、と。 もちろん、いざというときのために、公務員にそういうスキルがあれば、それに超したことはないのでしょうけど、現実的には、そこまで要求するのは難しいだろうし、その専門家を常に雇っておけるほどの余裕もないでしょう。
それにしても、その運用を、わずか2日間で円滑にした、「クロネコヤマト」のロジスティックス(物流・資材調達)の専門家たちはすごい。 日頃、あれだけ多くの宅急便の荷物を管理することにより、莫大なノウハウが蓄積されているのですね。 「専門家」が介入するだけで、こんなに違うものなのか…… そして、その必要性にいちはやく気づき、協力を申し出て、自衛隊もその指示に従ったということも。
「支援」といっても、いろんな形でのやりかたがあって、モノを送るだけでは、なかなかうまくいかないところもあるのだなあ、とあらためて考えさせられる話でした。 お金やモノ以外にも、自分が日常的にやっている仕事が、被災地への「支援」に役立つことって、まだまだあるんじゃないかな。
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2012年06月01日(金) ■ |
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「人間の大半って絶対に褒められて伸びるタイプだと思いますよ」 |
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『CIRCUS』2012年6月号の特集「なぜか好かれる人の仕事術」の志村けんさんと岡村隆史さんの対談の一部です。
【岡村隆史:やっぱりスタッフって大事ですよね。でも、スタッフにそうやってついて来てもらうのって難しいと思うんですよ。
志村けん:基本的に、どうやったらいいかっていうのは自分でやって見せるしかないよね。それを見て「ああ、じゃあ俺もやらなきゃ」って思ってくれるのが一番いいことだよ。自分でやらないで、頭ごなしに「あれしろ、これしろ」って言ったって聞く気になれないもん。「頑張れよ」って言ったって、何を頑張るんだってことでしょ。だから、まず自分が頑張らないといけない。セットでも衣装でもなんでも「これがやりたいから、こう言ってるんだよ」っていうことを見せなきゃいけないじゃん。言うんだったら、ちゃんとしたものを見せないと人はついて来ないよ。それで、優秀な人のところには、優秀な人が集まってくるんだよ。反対にダメな奴のところには、どんどんダメな奴が集まってきちゃう。
岡村:志村さんは、スタッフを叱ったりします?
志村:うん。でも、いい大人はね、叱るときは陰で叱るんだよ。人前で「なんだこれ!」とか言わない。俺は、なんか言うときは、なるべく陰に行って言うね。
岡村:みんながいる前で、「何やってんだ、バカ野郎!」って言ったって萎縮するだけですもんね。ほんまにちゃんとした人って、終わってからこっそりと「ちょっと」って呼んで、「あそこ、こうこうこうで、これはあかんよ」って言うんですよね。恫喝しても、現場の空気が悪くなるだけですから。
岡村:やっぱりね、ときには叱るのも必要だと思うんですけど、僕は褒めるほうが大事だと思うんですよ。普通に褒められたらうれしいですもん。「あれ見ましたけど、すごく面白かったですよ」って言われたら、うれしいですもん。
志村:褒められんのに弱いな、俺たち。大好きだもんなあ。
岡村:でもこの年になると、周りもなかなか褒めてくれないですよ。上の人はもっと気づいたほうがいいんじゃないですか? 怒るだけじゃなくて、「あれよかったね」って言うことを。特にお笑いの人なんて、褒められて伸びるタイプばっかりだから。
志村:「あれ笑ったねえ!」って言われたときも、「そうか?」って素っ気なく言いながら、腹の中ではうれしくて笑ってるからね。
岡村:「面白かったよ、ありがとう!」って。それ目指してやってるわけですから。でも結局、今日も100点は出されへんかったかも分かんないけど、全力出したぞっていうときも、スタッフは「お疲れっしたー!」で終わっちゃうじゃないですか。もっと「あそこよかったですね」とか言ってくれてもいいんちゃう?って思ったりするんですけど。
志村:俺、仕事が終わったら必ず飲みに行くんだけど、みんな普通に話してるだけっていうのが多いね。「おまえ、番組のこと、なんか言わないの? 少しは触れろよ! あのタイミングよかったですねとかって」って言ったら「いや、今さら志村さんにそんな。面白くて当たり前ですから」って。「それは違うんだよ!」って言ったの。違うよ。
岡村:飢えてますよね。褒められることに。
志村:うん。
岡村:「もっとできるやろ」って言われてやる気になる人もいるかも分からないですけど、人間の大半って絶対に褒められて伸びるタイプだと思いますよ。大人になってあんまり叱られても「なんやねん!」って思うだけやと思うんですよ。子供のときって、大きな声出しただけでも褒められたりするやないですか。
志村:「おまえは声が大きいなあ!」ってね。
岡村:「大きい声で挨拶できたね」とか。それが大人になったら、あら探しばっかりで、「お前、何してんだ」って言われるわけです。これじゃあ、成長しないですよ。褒められるのが一番のやる気の元ですよ。
志村:俺なんて、自分が褒められるとうれしいのが分かってるから、相手も絶対に褒めるもんね。共演者にも「今日あそこ面白かったな、いいタイミングだったよ」とか言うよ。
岡村:同業者だと、分かったりしますからね。、一緒にやってて。うわ、今日すごくうまいこと回ったとか、いろいろかみ合ったなとか。「お疲れっしたー!」だけの人には、逆にこっちが言うたりしますもん、「今日、大丈夫でした?」とか。そうすると「ぜーんぜん、大丈夫です!」。そうじゃなくて! でも褒めてはくれないですね。】
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この対談のなかには、岡村さんが長期休養されていたときの話も出てきます。 岡村さんは、「なんで自分ばっかりこんなに頑張らなくてはならないのか」という気持ちがすごく強かった、と休養前の状態を振り返っておられます。
この「みんな、誉められたほうがやる気も出るし、成長する」というのを読んで、僕も「やっぱりそうだよね!」と嬉しくなりました。 もちろん、厳しく指摘しなければならない場合もあるのですが、志村さんは、「そういうときは、みんなの前ではなく、陰でそっと言うようにしている」そうです。 志村さんといえば、お笑いの世界のなかでは「帝王」であり、誰も逆らえない存在なのではないかと思います。 でも、そんな人だからこそ、かえって気を遣うところもあるのだなあ、と。 「できるヤツが、まず完成したものを示さないと、周りはどうしていいのかわかるはずがない」というのは、「自分がその完成品を作り上げる責任者なのだ」という強烈な自負心のあらわれでもあるのです。 そして、「できる人間の責任」を、志村さんは背負っているのだな、と。 他人には優しくしなければならない、でも、責任者としての自分には、厳しくしなければならない。
ただ「褒める」だけなら、そんなに難しいことではありません。 でも、「褒めるべきところを、的確に褒める」というのはそんなに簡単なことではありません。 「褒める」っていうのは、「叱る」よりラクなことだと思われがちだけれど、相手のことをしっかり見ていないと、褒めるポイントって、なかなか見つからないものなんですよね。 相手だって、有能な人間であればあるほど、ヘンなところを褒められたら、かえって「この人には『見えてない』のだな」という気分になるはずです。 なんといっても、自分が上の立場になればなるほど、部下の「足りないところ」ばかりが目につきやすいものです。
しかし、率直に言うと、志村さんみたいに「仕事のあとは、飲みに行ってコミュニケーション!」というタイプの上司は、部下にとっては、ちょっとつらいところもありますよね。 みんな「ようやく仕事が終わったのだから、飲み会くらいは、それ以外の話をしたい」と考えていても、「仕事人間」の志村さんは、それを受け入れられない。 でも、そのくらいじゃないと、お笑いの世界で、ずっとトップに立ち続けることはできないのでしょうね。
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