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2011年10月25日(火)
『スーパーマリオブラザーズ完全攻略本』が達成した「偉大な記録」

『超実録裏話 ファミマガ 創刊26年目に明かされる制作秘話集』(山本直人著・徳間書店)より。

【『スーパーマリオブラザーズ完全攻略本』は前述の通り120万部超えの売り上げを記録し、徳間書店の最大発行部数の記録を塗り替えました。それだけにとどまらず、1985年のベストセラー第1位になったのであります。
 この年のベストセラーには二見書房の攻略本も第10位に、『ドルアーガの塔のすべてがわかる本』が第19位になっており、ゲームの本が売れているというのを一般に知らしめることになります。このあたりは周知の事実なんですが、実は『スーパーマリオブラザーズ完全攻略本』は、翌1986年もベストセラーの第1位になっているんですね。2年連続で同じ本がベストセラーの第1位になるっていうのは、記録にほとんどないようです。自画自賛ながら、ベストセラーの金字塔と言えるのでは……。ちなみに二見書房の攻略本も引き続き3位に入っています。 1986年はベストセラー30位までに徳間書店の本が7冊記録されており、そのうち5冊が完全攻略本シリーズでした。正直、ちょっと異様な記録の残っている年であります。
 実際にはゲーム攻略本がベストセラーに多数登場するのはこの2年だけで、その後は『ドラクエ』『FF』の攻略本シリーズが記録に出てくるくらいです。最近は『ポケモン』の攻略本が軒並みベストセラーになりランクインしています。】

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 僕のような「ファミコン世代」には懐かしい、徳間書店『ファミリーコンピュータマガジン』の元編集長・山本直人さんが当時を振り返って書かれたものの一部です。
 「ゲーム攻略本」の黎明期、僕にも忘れられない思い出があります。
 当時中学生だった僕は、行きつけの書店で、『ドルアーガの塔のすべてがわかる本』を購入したのですが、そのとき、レジの店員さんに「この本、なんだかすごく売れているんですけど、いったい何の本なんですか?」と尋ねられたんですよね。
 僕は基本的に知らない人に話しかけるタイプでも、話しかけられるタイプでもありませんし、書店のレジで「カバーかけますか?」以外の会話をした記憶がほとんどないので、このときは驚きました。
 たぶん、書店の人にとっては、「なんだかえたいの知れない本が、やたらと売れていて不思議でしょうがなかった」のでしょうね。
 この『ドルアーガの塔のすべてがわかる本』は、40万部くらい売れたそうです。
『スーパーマリオブラザーズ完全攻略本』は、120万部を売り上げたそうですから、なんと『ドルアーガ』の3倍。

 『ドルアーガの塔』は、「攻略本がないと、まず普通の人はクリアできないゲーム」だったので、攻略本が売れたのも理解できるのですが、当時の僕は、「それほど難しいとは思えない『スーパーマリオ』の攻略本が、なんでこんなに売れるのだろう?」と疑問だった記憶があります。
(と言いつつ、うちにもあったんですけどね、この『完全攻略本』)

 『スーパーマリオ』自体がものすごく売れたことと、これまであまりゲームをやっていなかった人たちが、『スーパーマリオ』で一気にゲームをやりはじめたことなどがその理由なのでしょうが、その後、どんどん分厚く、詳しくなっていった攻略本に比べて、マップと簡単なアドバイスで構成されていたこの本がそんなに売れたというのは、「ファミコンが大ブレイクした時代のなせるわざ」ではあったのでしょう。
 いまは、すっかりネットの「攻略サイト」におされてしまい、「攻略本」にとっては、厳しい時代のようですけど。

 ところで、この『スーパーマリオブラザーズ完全攻略本』、当時はロイヤリティという考えがなく、任天堂にはまったくお金が支払われていないそうです。
 そして、山本さんをはじめとする著者たちは徳間書店の社員と時給アルバイトで、印税契約もされておらず、こんなに売れた(売上3億5千万!)にもかかわらず、山本さんには1円も入ってこなかったのだとか。
 
 ちなみに、山本さんには、後日、完全攻略本の英訳版がつくられたとき「担当者にギャラを」ということで、お金が振り込まれたそうなのですが、その金額は「5555円」(5555万円じゃないですよ、念のため)だったとのことです。

 徳間書店にとっては、本当に「いい商売」だったみたいですね。



2011年10月17日(月)
千原ジュニアを驚かせた「タモリさんのサービス精神と開き直り感」

『うたがいの神様』(千原ジュニア著・幻冬舎)より。

【あとはやっぱり、タモリさんです。誰もが知ってる「あたりまえ」の存在になってますけど、「笑っていいとも!」をギネスに載るくらい何十年も、毎日続けるって、めちゃくちゃすごいことです。もう変態ですよね。生態が変わっているっていう意味で、変態。実際いいともにレギュラーで入ってびっくりしたこともいっぱいあります。オープニングのコーナーが終わったら、CM中に「乗ってるか?」「イェーイ」「昨日セックスしたか?」「イェーイ」というくだりを、年中毎日やってるんです。オンエアもされてないのに、びっくりしましたね。他にもあって。「明日も見てくれるかな」「いいとも!」で番組が終わった後、30分間、後説をレギュラーが残ってスタジオでやる。その時も、「ここでもう一人、ゲストで来てもらってます。福山雅治君です」って言って客席がキャー!ってなる。それで、タモリさんが「ちょっとは考えなさいよ。来るはずないでしょ」と言う。そのくだりも、まったくおんなじ言い回しで毎日やってるんです! あのサービス精神と、客席が沸くならおんなじことを何回やったっていいって開き直り感は、ほんまにすごい。しかも、それを毎日やってるタモリさんが、曜日のレギュラー以上に汗をかいてる。】

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 『笑っていいとも』は、毎週日曜日に「増刊号」がありますから、生放送されている本編以外に「おまけ」の部分もあるというのは知っていました。
 でも、この千原ジュニアさんの話を読むと、あの「増刊号」で流れているのは「毎日30分行われている後説」から選ばれた「精鋭」なんですね。

 これを読むと、「番組では流れていない部分」でのタモリさんのサービス精神に驚かされるとともに、「よく同じことをずーっとやっていられるなあ」と思わずにはいられません。

 考えようによっては、「同じネタを毎日繰り返して、高いギャラをもらうなんて、ラクでうらやましい」のかもしれませんが、それを何十年も繰り返すのって、けっこう忍耐がいると思うのです。


 基本的に「同じことを繰り返してお金を稼ぐ」ために芸人になる人はいないと思うし、絶対に飽きますよね。
 せめて、昨日が福山雅治だったら、今日は堺雅人にしよう、とか。

 そんな色気を捨てて、毎日、毎週、毎月、同じネタを繰り返し続けるというのは、まさに「客席が沸くならおんなじことを何回やったっていいっていう開き直り」なのでしょう。
 でも、「まったくおんなじこと」をやり続けていても、いつかはウケなくなるはずだし、タモリさんの側の「熱意」みたいなのが薄れて、投げやりにやってしまっては、いくら「鉄板ネタ」でも、客席の反応は悪くなるはず。

 タモリさんの「やり続ける力」というのは、本当にすごいですね。
 「違うことやりたいなあ」と飽きたり、「たまには変えてみたほうがいいかなあ」と迷ったりしないものなのでしょうか。

 たぶん、こういうのが「名人芸」なんでしょうね。
 こんな話を聞くと、「一度は観てみたいなあ」と思いますから。



2011年10月11日(火)
「やらせ」と「演出」は違います。

『伊藤Pのモヤモヤ仕事術』(伊藤隆行著・集英社新書)より。

【それからADの修業期間を経て数年後。僕は『愛の貧乏脱出大作戦』というみのもんたさん司会の番組でディレクターデビューしました。先日、10年前の映像を見る機会があったのですが、これが改めてすごかった。
 仕事がうまくいかないストレスから、息子に手を上げようとする父親がいます。そんなダメな亭主に、奥さんはイライラしている。そして奥さんはにっちもさっちもいかなくなった状況で、「ここにハンコ押して!」と離婚届をたたきつけます。憮然としながらハンコを押そうとする亭主――。
 もう面白そうでしょう? そして殴ろうとする瞬間、離婚届に判を押す瞬間、どこにも当り前のようにカメラが回っているんです。
「ヤラセじゃないか!?」と思う人がいるかもしれませんが、別に脚本を演じてもらっているわけではありません。れっきとしたドキュメンタリーです。

 しかしなぜこんな決定的瞬間を撮影できたかというと、そのタイミングを想定してカメラがいるんです。ただそれだけ。ディレクターは、取材対象者と何日も一緒に過ごして、距離を密にします。そうすると、だんだん相手の良いところも悪いところも見えてくる。つまり、人間関係が生まれる。やがて、その存在すら空気となる。つまり、カメラをかなり気にしなくなる。そして、事件は普通に起きます。この場合、人間関係を作ることそのものが演出なのです。簡単に書いちゃいましたが、これは、難しいです。
 また『貧乏』ではダメな亭主がその道の達人から技術を学び、しくじるシーンも見せ場でした。その画を手に入れるため、ディレクターは亭主とずっと一緒にいます。修業中、亭主が眠くなって、うとうとしだすと、「寝たらダメです」と声をかけて眠らせません。
「少し寝かせてください」
「何言ってるんですか? すぐそこに達人がいるんですよ。失礼じゃないですか」
 そうするとどうなるか? 亭主は「眠い。もう帰りたい」とボヤきだします。

 亭主はもともと、番組の主旨に賛同して参加したはずです。「どんなことがあっても、最後までやり抜きます」と強い意志を持って。しかし三日後、そこにある感情は「いい加減にしてくれ!」になっています。「どんなことがあっても……」は嘘と化します。これがその人の一面……。
 結果、達人が教えている最中に、ぶっきらぼうな態度を取ったり、失礼なことをする。「ちゃんとしろ!」と怒る達人――そこにカメラは回っているのです。

「そこまで踏み込むなんて、おまえらは何様だ」と思うでしょうか。
 でも、これは番組という名のもとに成り立つ、演出の範疇だと思います。『貧乏』は、ギリギリの地獄から人間同士がぶつかり、壁を乗り越え、泣き、新たな未来へ強い意志を見出す。そして再出発を果たすまでの修行という名の荒行が番組の内容となっているのです。その名のもとに許される演出は数多くあります。その人のいいところ、いやなところを見せるためのギリギリの演出。その上で、間違いのない真実を映す。どんな人間も化けの皮が剥がれるのに三日かかるのならば、その限界を破らなければいけません。ここから、ドキュメンタリーという名のドラマが始まるのです。「眠気」すら突破できないで、何が「人生再出発」ですか? と。これこそ、番組 vs 亭主のギリギリの勝負。目には見えない演出です。

 そして何故、こうしたドキュメントバラエティが面白く感じるかというと、現場のディレクターが「やばいぞ。出演者が怒って番組にならないんじゃないか?」とハラハラしながら作っているからです。テレビマンとして勝負しているんです。作り手の感情は視聴者に伝わります。作り手がドキドキしない番組は、視聴者もドキドキしないですから。
「やらせ」と「演出」は違います。やらせとは本当はそんなことが起きていないにもかかわらず、嘘をつくこと。これは露骨すぎた場合、真実を曲げてしまうために往々にして支障をきたします。それに対して演出は、真実をショーアップして面白く見せることです。
 それはテレビが持つ、そもそもの機能。だから視聴者は楽しんできました。】

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 テレビ東京・伊藤隆行プロデューサーの著書の一部です。
 『伊藤P』こと伊藤プロデューサーは、『モヤモヤさまぁ〜ず2』『やりすぎコージー』などの人気番組を手がけている、テレビ東京のバラエティ番組の屋台骨を支える存在。
 
 ちなみにこの新書のなかで、伊藤プロデューサーは、「バラエティのように演出を施して良いジャンルと、ニュースのように演出をくわえてはいけないジャンルがある」と言及されていることも付け加えておきます。

 僕も、「ドキュメントバラエティ」はけっこう好きで、『愛の貧乏脱出大作戦』もよく観ていました。
 あれが「完全なドキュメンタリー」ではないことはわかってはいたのですが、このように制作側から「事実」を語られると、なんとなく興醒めしてしまうんですよね。
 実際は、「達人のワザを3日で教えてもらう」なんていう企画そのものが「ズル」ではありますし、「テレビカメラがその場にいる」ということが、すでに応募者をはじめとする周囲の人たちに影響を与えているのも間違いないでしょう。
 やっぱり、カメラが回っていると思うと、ダメ人間でも多かれ少なかれ「がんばってしまう」ものでしょうし、達人も、あまりに酷い仕打ちはできないだろうし。

 とはいえ、どこまでが「やらせ」で、どこからが「演出」として許されるのか、というのは、とても難しい問題です。
 「100%のやらせではない」ことに安堵しつつも、テレビ局のスタッフが、「寝たらダメです」と介入するのは、「演出」の範疇なのだろうか?と疑問にも感じます。
 もちろん、そうやって参加者を刺激しないと、番組として面白くできないのは事実でしょう。
 あの番組だって、「すばらしい人格を持つ参加者が、何のトラブルもなく、修行を完遂する」のであれば、視聴者にとっては、たぶん「面白くない」。
 たまにはそういう回があっても許されるのかもしれませんが、基本は、「ダメな人のダメっぷりを観る番組」なのです。

 でも、『めちゃイケ』とか『ロンドンハーツ』のような、芸能人が出てくるバラエティ番組であれば、「あれは『演出』です」と言われても、まあそうだろうな、とみんな思うだろうけど、素人が出演している「ドキュメントバラエティ」の場合は、「ドキュメンタリーだと信じている」人も、けっして少なくないはずです。
 そもそも、「ドキュメントバラエティ」って、それがある程度は「事実」だと信じていないと、楽しめない番組ですしね。

 そういう視聴者にとっては、スタッフによる介入は、小さなものでも「やらせ」と感じられる可能性もあるはず。
 
 「『やらせ』と『演出』は違います」
 テレビマンにとっては、そうなんだと思います。
 でも、観ている側にとっては、行き過ぎた「演出」は、「やらせ」と大きな違いはないようにも感じます。
 
 ただ、そういう「演出」を一切排除した「ドキュメンタリー」だけでは、「面白くない」のも事実で、制作側にとっての「演出」も「やらせ」だと一部の視聴者に責められるようになってから、テレビがつまらなくなった、というのも、一面の真実ではあるんですよね。
 カメラがその場に入っている時点で、「平常心」ではいられないのは、間違いないのだし。



2011年10月06日(木)
「世界一のセールスマン」スティーブ・ジョブズ(再掲)

『iPodをつくった男』(大谷和利著・アスキー新書)より。

(現アップル社CEO・スティーブ・ジョブズが、(1985年にアップル社を追放されたあと紆余曲折を経て)1996年にアップル社に復帰した際に最初に行った「大仕事」の話)

【世間の一部で犬猿の仲と思われているマイクロソフト社のビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズは、もちろん最大のライバル同士であはあるのだが、かつては酔っぱらったゲイツがジョブズの家にイタズラ電話をかけたりしたこともある旧知の関係で、最近もウォールストリートジャーナルが主催したD5というイベントに2人並んで出演し、過去を振り返りつつも、熱く未来への展望を語っている。
 話を戻せば、ジョブズがアップル復帰後の最初の大仕事としてマイクロソフト社を訪れたとき、交渉の相手として出てきたのは、やはりゲイツだった。もはや風前の灯とも言えた当時のマックを製品として存続させるには、マイクロソフト社が次世代OS(後のマックOS X)にもオフィス製品を対応させてくれることが不可欠だった。
 開口一番、ジョブズはゲイツにこう切り出した。「ビル、君と僕とでデスクトップの100%を押さえていることになる」。ここで言う「デスクトップ」とは、パーソナルコンピューター製品のことを指す。確かにジョブズの言葉は嘘ではないが、これではあたかもウィンドウズとマックOSが五分五分の関係にあるかのように聞こえる。多少大目に見ても六分四分か、百歩譲っても七分三分が良いところだろう。しかし、当時のシェアは、ウィンドウズが97%で、マックOSは3%に過ぎなかった。
 これには、さすがのビル・ゲイツも驚いた。そして、マイクロソフト社としては、まだ普及するかどうかもわからないアップル社の次期OSにコミットする気はない、と突っぱねようとした。しかしジョブズは、さらに畳みかけるように、前にコミットしたときにはずいぶん良い思いをしたではないかと、ゲイツの痛いところを突いた。それは、ゲイツが発売前の初代マックを見て夢中になり、最初のエクセルをマックのOS向けに開発して、後のオフィス帝国を築く礎になったことを指している。
 結局、ゲイツはジョブズの要求を飲むはめとなって、こうつぶやいたのである。「彼は世界一のセールスマンだよ」。
 この会談の結果、97年にボストンで開催されたマックワールドエキスポでは、アップル社とマイクロソフト社の歴史的な提携が発表された。アップル社との関係をさらに強化するため、マイクロソフト社が同社に1億5000万ドルを出資して、議決権のない株を収得するというのだ。ジョブズのキーノート・プレゼンテーションの最中にスクリーンにゲイツの姿が現れ、会場からはブーイングも起こった。
 コンピューター業界の事情に疎い日本の大手新聞社は、この出来事を「マック白旗」といった見出しで紹介。そして他の大多数のマスコミもゴシップ的な興味で飛びつき、マイクロソフト社がアップル社を買収したとか、アップル社がマイクロソフト社の軍門に下ったような記事を書いた。だが、現実には株取得と言っても全アップル株式の5〜6%にしか相当せず、議決権もないため、買収とはほど遠い話だった。】

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 もしこのとき、ビル・ゲイツが断固としてマックのOS Xへのオフィス製品対応を拒絶すれば、確かにマックは「息の根を止められていた」かもしれません。
 あの時期に、「オフィス製品がマックでは使えない」ということになれば、ビジネスユースのマックユーザーたちの多くは、ウィンドウズに乗り換えざるをえなかったでしょうし。
 しかしながら、マイクロソフトにとっては、この時期「オフィスをマックに対応させる」ということには、あまりメリットは無かったはずなんですよね。
 シェアが圧倒的に少ないマック版は、開発費や手間のわりに大きな売り上げは見込めないでしょうし、この段階では多少の利益が出たとしても、将来のことを考えれば、いっそのことここでマックを潰したほうが、今後「マック版を開発する手間」も省けます。

 このスティーブ・ジョブズの「世界一のセールスマン伝説」を読むと、まさに「不可能を可能にした」ジョブズのすごさに圧倒されてしまうのですが、その一方で、僕はこんなことも考えてしまうのです。

 「なぜ、ビル・ゲイツは、ジョブズのこの『理不尽な要求』を受け入れることにしたのだろうか?」と。
 ジョブズがどんな素晴らしいセールストークをしたとしても、この要求が「マイクロソフト社にとってプラスになるとは思えない」ですよね。
 ということは、結局のところ、ビル・ゲイツを動かしたのは、「情」の部分だったのではないかと。もともと親交があったという2人ですし、ビル・ゲイツは以前、マックというコンピューターを手放しで賞賛していたそうですから、もしかしたら、「マックを潰したくなかった」のは、ビル・ゲイツのほうだったのではないかと僕は考えてしまうのです。
 いやまあ、もしかしたら、ジョブスは外部の人間には想像もつかないような「切り札」を出したりしていたのかもしれないけれども。ビル・ゲイツの若い頃の「失敗談」をばらすぞ、と脅していたとか(笑)。
 結局、どんな大きなビジネスでも、最後にモノを言ったのは「人と人との情」ということが少なくないのかもしれません。それが周囲に知られているかどうかはともかくとして。

 そういえば、僕もここで紹介されている提携のニュースを聞いて「マックも終わったな……」というような感慨を抱いた記憶があります。こういう、ニュースを読んだだけでわかったつもりになっていたことって、この話に限らず、今までにもたくさんあったのだろうなあ……