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2011年03月11日(金)
「プチプチ文化研究所」の驚異の調査研究結果

『世界が絶賛する「メイド・バイ・ジャパン」』(川口盛之助著・ソフトバンク新書)より。


【日本の「プチプチ®」という愛称、実は業界のパイオニアで現在も圧倒的なトップシェア企業である川上産業の登録商標です。
 海外ではその形や機能を解説するという合理的な説明表現になっていますが、日本の名称は、その辺りに一切言及せず、擬音語のみでまるで俳句のようです。それも本来の包装の使命を終え、指で潰されてしまう最期の瞬間を表現しています。さすがに「もののあはれ」な情緒の国、風流としか言いようがありません。
 川上産業の社内にはプチプチ文化研究所という部署が存在し、そこではプチプチに関するありとあらゆる逸話や面白い使い方について研究しています。その調査研究結果として、たとえばこんなことがわかっています。


(1)人種は問わない

 会議室にプチプチ入りのお菓子の容器を置いて様子をうかがうと、アメリカ人も、インド人も、アフリカ系もラテン系も広くあまねくプチプチしたそうです。


(2)年齢を問わない

 赤ん坊もプチプチすることが確認されています。人生初の遭遇にもかかわらず、赤ちゃんは潰そうとするそうです。1歳半くらい以上で指が使えるレベルなら、プチプチの虜になるのです。


(3)高齢者も気に入るらしい

 介護施設からたまにロール巻き単位での大量注文が入るそうです。医学的な検証はされていないのですが、介護の現場では、認知症のお年寄りも結構熱中するので重宝しているという事例もあるとのことです。


(4)種の壁も越える

 お猿さんも虜になるそうです。猿がラッキョウの皮を剥き続けるという小咄は有名ですが、某テレビ番組の実験では本当にプチプチしたそうです。
 物心がつく前の赤ん坊や、お猿さんまではまってしまうというこのプチプチという作業は、「病みつき動作」の横綱と言えるでしょう。種の壁を超えるくらいですから、深層心理のかなり原始的な部分を刺激する何かが隠されているようです。


 プチプチ文化研究所では2001年の創設以来、この特徴に注目して、プチプチするためだけの専用品をいくつか開発・商品化してきました。
 たとえば「プッチンスカット」。これは音の良さを追求して完成した音専用モデルです。実は今あるものは三代目です。初代と二代目は、数ある梱包用の緩衝シートの中から厳選された最も音の良い品番が”兼務”として当てられていたのですが、三代目は、ついに専用品を設計・製造するに至ったという経緯があります。
 この三代目は、緩衝性ではなく音の良さのみを追求した、血統書つきの音専門タイプなのです。驚くべきこだわりです。
 先般のチリの落盤事故では、閉じ込められていた作業員たちの癒しにして下さいと寄贈され、地下にまで届けられたということです。
「プッチンスカットセレブ」という姉妹品まで準備されています。普通版の3倍はあると思える大口径プチプチ、両手の親指で破裂させると、その破壊力はクラッカー並みで、爽快感もセレブ用と名乗るだけのものはありました。
 球状ではなく四角い気泡が碁盤の目のように整然と並んでいる「プチキューブカレンダー」も、見事な変化球商品です。カレンダーの日付の上に一つずつ四角い気泡が乗っています。仕事の終わり時、帰宅前にプチッと押しつぶして今日もお疲れさま。朝礼や三本締めなど、プチ儀式の好きな日本人にはぴったりの商品かもしれません。】

参考リンク:「川上産業」のホームページ

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 あの「プチプチ」の正式名称は「気泡緩衝シート」で、実用化されたのは、1960年代の初頭なのだそうです。
 たしかに、僕の子どもの頃からあったものなあ。
 当時は、頂き物のお菓子を梱包していた「プチプチ」をひたすら潰して、親に怒られていた記憶があります。
「そんなことしたら、もう使えなくなるでしょ!」って。
 でも、あれをとっておいて、何かに使った記憶って、あんまり無いんですよね。そもそも、どこに売っているかも知らないし。

 この文章を読んで、僕は「まさかネタじゃないよね…」と思い、「川上産業」のホームページを見てみたのですが、そこで「プッチンスカット」の紹介を発見することはできませんでした。
 そこで、Googleで調べてみると楽天市場の「プチプチSHOP」でこれらの商品は売られていたのです。
 それにしても、いろんな「プチプチ関連グッズ」を考えたものですね。

 あの「プチプチ」をやっていると、「こんなことにハマるのは、自分だけじゃないか」という気がしてくるのですが、「プチプチ研究書」のレポートを見ると、人種・年齢、さらには種そのものも超えて、「プチプチ」には中毒性があるようです。
 うちの2歳の息子にも、今度さりげなく試してみたいと思います。

 子どもの頃は、「もっと大きな『プチプチ』があればいいのになあ!」と思っていた僕なのですが、「プッチンスカット」を買ってまで潰すか、と言われると、ちょっと考えてしまいます。
 そんなに高いものではないので、お金の問題だけじゃないような気がするんですよ。

 いまから考えると、あれって、「こんなふうにまだ使える(かもしれない)プチプチを潰してムダにしてしまって良いのだろうか……」という罪悪感が、快感でもあったような気がするので、「好きに潰していいよ」って言われると、なんだかちょっと拍子抜けするのかもしれませんね。




2011年03月06日(日)
『千と千尋の神隠し』で、スタジオジブリの若いアニメーターたちが描けなかったワンシーン

『名セリフどろぼう』(竹内政明著・文春新書)より。

【現代人の本能が近年、退化してきたような気がする。「スタジオ・ジブリ」のプロデューサー、鈴木敏夫さんが『映画道楽』(ぴあ)で経験談を披露している。
 アニメ『千と千尋の神隠し』で千尋の両親が不思議の町に迷い込み、店で食べ物をかき込む場面がある。若いアニメーターは描けなかった。そもそも、「かき込む」「かっ込む」とはどういう動作を指すのかが理解できない。

<宮さん(=宮崎駿監督)は「お前らだって、ご飯をワーッとかき込んで食べたことがあるだろう」と言ったんですが、聞いてみたら彼らにはそういう経験がない。若いアニメーターたちは、ご飯をゆっくり食べるんですよ。経験がないから、そのシーンが描けない>

「かき込む」とはいわば本能の爆発であり、物が豊かになるにつれて爆発の出番は減っていく。本能にもとづかない食事であれば、貴子女子のように人の目に触れて恥ずかしがる必要はない。テレビをつけるたび、情報番組や旅番組と称して若いタレントやアナウンサーがのべつ幕なしに物を食べているのも、思えば道理である。
 旅番組の草分け、放送開始から40年になる長寿番組『遠くへ行きたい』で初代の旅人役を務めたのは永六輔さんだった。永さんは語っている。

<ほかの出演者のみなさんがやっていて、僕がやっていないのが一つある。僕は絶対、食べていない。カメラの前で食べるのは許せないんです。食べながら話をするなんてのは、もっと許せない>(朝日新聞、2005年2月15日付夕刊)。永さんは終戦のとき十二歳、「かっ込む」を身に染みて知る世代である。
 映画やドラマにも、食卓の場面がしばしば登場する。
 小林桂樹さんは映画『裸の大将』などでいつも、料理や菓子をうまそうに食べている。感心した森繁久彌さんがコツを訊ねたところ、小林さんは答えたという。

<噛んで食っちゃダメですよ。噛んでる時に客は口の中を想像しますからね。想像させないように早く――つまり、噛まずに飲んじゃうですネ。するといかにもおいしそうに食っている風に見えるんです>(森繁久彌『あの日あの夜』、中公文庫)

「噛まずに飲んじゃう」と「かき込む」の距離は、ごくわずかでしかない。「かき込む」動作を理解できない世代が育つにつれて、うまそうに食べることを至芸の域にまで高める練達の役者も姿を消していくのだろう。】

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 僕は1970年代のはじめの生まれなのですが、「ご飯をかき込む」という動作を思い浮かべることはできます。
 でも、それって、記憶をたどってみると、『まんが日本昔ばなし』の登場人物が、茶碗に文字通りの「山盛り」になっているご飯を、もりもりと「かき込んでいた」シーンなんですよね。
 つまり、人間がごはんを「かき込んでいる」のを、この目で直接見たことはないのです。
 コンビニがたくさんある時代ではなかったし、ケーキも生クリームじゃなくてバタークリームが主流だった頃なのですが、ご飯をかき込むほどの「食べ物への渇望」を持った人は、ほとんどいなくなっていたのだと思います。

 そう考えると、僕よりももっと若い「スタジオジブリ」のアニメーターたちが「ご飯をかき込む」と言われても、イメージできなかったというのは、すごくよくわかるんですよね。
 そういえば、『千と千尋の神隠し』で、千尋の両親が目の前の大量の食物を「かき込んでいく」シーンは、けっこう最初のほうだったのだけれど、妙に記憶に残っています。
 僕より若い世代にとっては、さらに「異様」に感じられたのではないでしょうか。

 それにしても、「ものの食べ方」というのには、いろんなこだわりがあるものですね。
 「カメラの前でものを食べるのは恥ずかしい」「噛むと口の中を想像させてしまうので、噛まずに飲み込む」なんていうのは、バラエティ番組で出演者が「食べる」シーンがどんどん流される時代に生きている僕にとっては、信じがたい話ではあります。
 カメラの前で食べることが許されなくなったら、成立しない番組だって、現在はけっこうありそうです。

 たしかに「ものを食べる姿」というのは、けっこうその人の印象にとって大事ではあります。
 「くちゃくちゃと大きな音をさせて食べる」というのは、デートでNGな食べ方の代名詞ですし、「食べながら話をする」というのも上品とは言い難い。
 でも、僕自身は、「食事の細かいマナー」へのこだわりは、あんまりないんですよね。まあ、あんまり悪目立ちしなければいいだろう、くらいのものです。
 
 「かき込む」を知らないというのは、「飢え」を経験していないという点で、けっして悪いことではないはずです。
 その「幸運」には、感謝すべきだとしても。
 ただ、こういう時代だからこそ、「食事のマナーがきちんとしている人」というのは、ものすごくカッコよくみえるんだよなあ。